▼第0部:西園寺のつぶやき
どうも。
すき家で1人寂しく朝食を食べていました。
(最近、某女性に、「マジ独身のライフスタイルって感じ」ってdisられました。将来的にはキャバクラと風俗で、鼻の下を伸ばすハゲ散らかしたおじさんになる予定です。)
え?ナニ?
もっと景気の良い話でもしろって?
うーん、そうだなぁ。
景気の良い話かぁ。
・・・・・・・。
「世の中にはエロい女が沢山いる」っていう話でもしますか?
どうせ、そういう話を求めているんでしょ。
西園寺イコール、エロでしょ?
はいはい。
わかってますって。
本当はこういう話をするのなんて辛いんですけど、需要に応えてやむを得ずエロい話でもすることにしますか。
本当はエロい話をするたび、毎度、心が痛くなるんですけど。
泣きながらエロい話でも綴ることにします。
人間っていうのは不思議なもので、相手次第で自分の態度を変えるものです。逆に言えば、自分の態度次第で相手のどんな部分を引き出せるのかが決まる部分があります。
そして、それが露骨に感じられるシーンが、対女性。
あなたは女性のエロを引き出してますか?
A君を前にすれば、純情を演じているX子ちゃんも、B君を前にすると、X子ちゃん本人もびっくりの痴態を晒して女豹と化す場合があるのです。
世の中の女性というのは、我々が思っている以上にエロいもので、日夜機械遊びに励んでいたり、隠れたところでキノコシャブリの技術を磨いたり、彼氏にテレフォンセッ●スやLINEビデオ通話によるオ●ニー中継のパフォーマンスを仕込まれていたりするのです。
あぁ、なんて恐ろしい世の中なんだ。
今度、そんなに親しくない女の子と、LINEビデオ通話をするときに、「見せて」と懇願してみてください。
運が良ければ、「えー」とか抵抗を示しながら、上着を脱いで下着一枚になってくれるはずです。相手が相当どエロい場合には、局部を露わにして中継してくれます。
その際は、
「見えない!もっとちゃんと見せて!」
と懇願しましょう。
あなたがもし、勇気がある男性ならば、
「見えない!●●ちゃんの●●●、もっとちゃんと見せて!」
とはっきり言いましょう。
(※実行する際は自己責任です)
大切なのは、
<1>「●●ちゃんの」(=名前)
<2>「●●●」(=局部)
<3>「見せて!」(=直接的要求)
の3つが揃うことです。
この3つが揃うことによって、見事なCTA(=Call to Action)が完成します。
照れながら、画面の向こうにいる男に向け、局部を晒し、恥辱に耐える女性の姿。コレは、興奮を通り越して、高揚感を覚えてしまいます。刺激慣れしていない男性は、自分のブツにノータッチで果ててしまうかもしれません。インターネットビデオ通話の開発者は、まさかテクノロジーがこんな用途に使われているなんてつゆ知らず・・・・といったところでしょうか。
女性の性欲は30代半ば?40?に向けて徐々に上昇するという話は本当らしく、20代前半の頃は男性の激しいピストンに「やめて///」という感じで可愛らしく耐えていたキューティーハニーも、30を越えると「あぁぁあああん」「うっふぅぅぅんん」とか言いながら、ノリノリで腰とケツをクネクネし、こちらの陰茎をもぎ取ろうかという勢い全開です。たまに、向こうの方が先走りすぎちゃうオフサイドプレーのおかげで、不本意ながら萎えちゃう・・・・・なんてことは、あなたも経験済みですよね!?
ね!?
男も女も、みんな、快楽が好きなのですかね。
サウジアラビア人は、飲酒という行為についてかなり怪訝な表情をしながら「お酒は人を狂わせるわ」というごもっともな意見を述べ、飲酒行為を否定してきます。
が、我々ジャパニーズには酒とSEXは解放されています。
そして、その酒とSEXをチャンポンして、快楽に溺れている日本人が毎週金曜日の夜には続出するわけです。
毎週金曜日になると、「TGIFだぜ!!」と言わんばかりに、平日5日間で疲弊した男女が、心と体の癒し場を求め、夜の盛り場にてんとう虫のごとく集い、高揚感に包まれたままなんとなく行きずりのSEXをしている。
これが日本です。
いやぁ、偉大な国だ。
はい、授業始めまーす。
▼第1部:お金について
さっき、youtubeで、
「露骨な外見差別CMが物議を醸している」
っていうニュースを観てたんですけど、なんか、今の世の中ってイチイチ面倒くさいですよね。世の中の人ってどんだけ温室育ちなんですか。
今の世の中はイチイチギスギスしてて、本当面倒臭い。
まーまー、マジョリティ向けの情報発信機関とか、権威性があるデカイところが、露骨に現実的なものを描写したら叩かれるのは常です。
西園寺さんみたいにメジャー向けじゃない人間にとってネットは天国だわ。
わはははは。
(このメルマガはアングラ的なものに理解ある人向けです)
テレビでエロを表現したら色々物議を醸すとか、自主規制とか、ほんと、なんなんですかね。
だからみんなネットに行ったんでしょ。
youtuberとか路上で女の子におっぱい揉ませてもらってて、楽しそうですよね。
はい。
本題。
前回は、DRMについてかなり具体的に説明しましたね。
で、このDRMについてめちゃめちゃ重要なことを話しておきます。
それは、
ーーーーーーーーー
Done is better than perfect.
(完璧よりも終わらせる方が良い)
It is better to be roughly right than precisely wrong.
(完璧に間違えるよりも大筋で当たっている方が良い)
ーーーーーーーーー
ということです。
要するに、
<1>集客
<2>教育
<3>販売
の全体像を、多少雑にでも良いから完成させてみるということ。
そしてそれを市場で試してみるということがとても重要ということです。
私自身の実体験からも言えることですし、クライアントさんを見ていても思いますが、DRMのフォーマットに沿った営業体系をとりあえず統合的に運用してみるタイプの人は、多少アラがあっても、それでしっかりと成約が取れてるものです。
そして確信に至ります。
「オォォ・・・これは、売れる・・・・」
という風に。
- 見込み客を集める
- 見込み客を教育する
- 見込み客に販売する
というのは、商売の基本的な流れと言えます。
この全体像をまず実践してみる。このフォーマットをやってみる。統合的に運用してみるというのは、言ってみれば営業にとって重要なポイントを押さえるということです。
興味がある人を集めましょう。
興味がある人とリレーションシップしましょう。
興味がある人に良いタイミングで販売してみましょう。
考えてみるとすごい当たり前のことですね。
覚えておいてください。
ーーーーーーーーー
Done is better than perfect.
(完璧よりも終わらせる方が良い)
It is better to be roughly right than precisely wrong.
(完璧に間違えるよりも大筋で当たっている方が良い)
ーーーーーーーーー
はい。
ということで、ここらで私が伝えたいお金の話はほとんど終わってしまいました。
DRMのフォーマットに沿って、
しっかりと営業をかけてみましょう。
領域はなんでも良いので。
やればやるほど、上達しますし、HITの確率は上がります。
・・・・・・・で、もしかしたらあなたはこんなことを思ったかもしれません。
「ハイハイ、で、私のDRMの教材を買ってくださいってセールスするんだろ」
おー、筋が良いですねー。
はい、私がこのようにしてあなたに向けているメッセージもまさにDRM的フォーマットに沿っています。
しかし、「正解です!」とは言えません。
別に、あなたに何かを買ってもらわなくても良いからです。
また、この文章を読んでいる人のうち、
90%の人には私のメッセージが伝わらないでしょう。
また、90%に適性ややる気が無いこともわかっています。
まぁまぁ、そんなもんです。
幸い、私は、「買わないで」って言っても、買ってくれるファン層に恵まれているから、別にみんなに理解してもらう必要も気も無いんです。だって、私の教材を買ってくれる人はもう、十分いるし。
しかもそういう人たち片っ端から買っていってくれる。
「早く新商品出せ!!」って煽られているぐらいです。
しかし、職人肌の西園寺さんは、「おっ?これいいかも?」と企画が浮かんで、形にしようとしてもその途中でボツにしたりします。
もう、何度ボツにした独自商品があることか。
こだわりがひどい。
(「Done is better than perfect.」を自分に言い聞かせろ、って話ですよね、マジで。)
まーまー、それぐらい、安定してやれているし、別に媒体もあるのでそんなに売る気ないよ、ってことです。コアファンがいるので。
そういう人たちだけいれば十分。
「お客さんはもういらないです」ってなっちゃうぐらい、人が増えて来ているフシもあるしねー。
ただ、まぁ、私の情報発信スタイルは万人受けしないので(女性読者がいるのにフェラ●オの話とか風俗の話とかしているし、社畜読者がたくさんいるのに「社畜なんてクソ!」とか言っているし・・・・)、まず評価が二分されて、私に好意的な感情を抱いている人のうちの、さらにその一部だけが熱心にフォローするようになります。
大方はボケーっと眺めているだけでしょうね、きっと。
もちろんたまにいますよ!
感情的になってレスポンスしてくる人が!
「不快です!!」
とか
「お前馬鹿だろ!」
とか。
私の場合は、「相性が良さそうな人を選別する」のに必死で、一部のコアファンがいればOKな感じ。
「西園寺さん、西園寺さんが紹介している●●が買いたいんですけど、リンクが切れてて、送ってください!!」というメッセージに対して、「すいません!間違ってリンクエラー出しちゃいました!!ネットでテキトーに探して買ってください!!」って言っちゃうぐらいの「売る気の無さ」です。
私のリンクで紹介したら私に広告収入が入るのに、その手間が面倒臭くてどっかで買って来て、って言っちゃう。笑
ひでー。
なに、この売る気の無さ。
そもそも、売れ売れ「ガンガン」好きじゃないし、お上品にお高く止まる気満々なのでお気をつけ遊ばせ(ハート)。
「はいはい、どうせ私の教材を買えって言いたいんだろ」
って言われたら
「え?買うの?価値わかるの?」
ぐらいの殿様商売なのでお気をつけください。
ということで、これを読んでいる大方の人には私が伝えていることを実行するやる気もお金も時間も無いと思います。
で、そんなことはわかっています。
それで良いと思います。
西園寺さんは、太っ腹なので、「肝心なところは有料で!」とかやってません。もはや、すでに換金できる知識を無料で公開しまくっているはずです。
DRMに関しても、ここまでで伝えたことを実行に移せば大なり小なり経済的に成果が出るでしょう。
正直なことを言うと、
「儲けるための情報は有料です」
っていうよりも、
「儲けるための情報は無料で公開したので、それで換金して、儲かったら私にリターンを下さい」
ぐらいの感覚でやっています。
明らかに、そっちの方が良さそうでしょ。
大学で経済学を履修した人はわかると思いますが、
「取引したら全体の効用が上がる」
ということを、「比較優位」とか「絶対優位」とかいう難しいワードで説明されるのが経済学の考え方で、私もそのパラダイムを信奉しています。
完璧な人間などいません。
そして経営資源が足りている組織などどこにも存在しない。
私もそうです。
だから、私が持っていないノウハウやスキル、経験を持っているであろうあなたに対して、私は知識や情報をシェアして、あなたはあなたの領域でさっさと稼いで欲しいわけです。
それと、大事なことを一つ。
世の中では、「儲かる情報はシェアされない」と言われていますが、あれは大嘘です。大嘘。
儲かる情報はシェアされます。
例えば、
ーーーーーーーー
都内で週休二日、毎日定時で帰れて8時間労働ぴったり、
年収500万円の安定したお仕事
ーーーーーーーー
という求人があったとして、
これを多くの20代に対し、「魅力を感じますか?」と尋ねたら、大方はYESなはずです(最近、会社を辞めたいとばかり言っている私の知人のS君とかなら秒で食いつきそう)。
西園寺はどうか?
NO。
食いつきません。
なぜなら、もっと良い条件やオプションを持っているから。
ファナンス論を学んだことがある人ならわかると思いますが、意思決定とは全て選択肢次第なところがあります。
「大学に行くのは(絶対的に)良い選択だ!」と思っている人が多いのですが、これは才能のない凡人に当てはまる話であって、高校卒業後にすぐプロに行ける野球選手が大学に行った場合、凄まじい損失が生じます。大学4年間、プロに行けばいくら稼げたか?って話。どのぐらいレベル上がったか?って話。
(某氏はこれで失敗してましたよね)
おわかりでしょうか。
株とかに関してもそうですが、大方のサラリーマンは300万円とか余剰なお金があったら株とか債権に突っ込むようです。
西園寺さんだったらどうするか?
マーケティングテストとかビジネス、自己投資に突っ込みますよ。そっちの方が100%リターンが良い(早い)ので。
ほら。
ここでも選択の違いが生まれる。
これは、「私の選択肢の方が絶対的に良い」と言っているわけではなくて、私の事情や状況、できることに照らし合わせたら「私はその方が良い」わけです。
いいですか。
みんな、違うんです。私とあなたも違います。人それぞれ、違いが生まれるのですから、「良い」とされる道に一般解は存在せず、特殊解があるのみです。
ビジネスという選択肢がない人は、証券に金を突っ込むのは最適でしょう。しかし、ビジネスという選択肢がある人はそんなところに突っ込んで微々たるリターンを得ることに全く興味がないものなのです。
このように、人が「何に魅力を感じるか?」はその人の状況や資質・特性、オプション次第なところがあります。
なので、自分はやらない・やれないけど、
他人にシェアすることはできるって人が
情報を他人にまわすことはよくあることです。
「やりたい」
「やりたくない」
「できる」
「できない」
「向いている」
「向いていない」
が人それぞれ違う、そして事情やニーズ、希望も何もかも違うということ。
また、「儲かる情報は人に教えず自分でやる」って話も、あれは半分嘘です。
この考え方には、「みんな、お金が無限に欲しい」という前提が織り込まれています。
考えてみて下さい。
- 年収200万円
- 年収300万円
- 年収400万円
- 年収600万円
- 年収1000万円
- 年収2000万円
それぞれのステージの人が、「お金」というものに対して感じていることや考えていることが同じだと思いますか?
あなたが1000円に対して思うことと、そこらへんの小学生が1000円に対して思うことが同じかどうかを考えてみたら一目瞭然でしょう。
難しいのなら卑近な例を出しましょう。
東京ディズニーランドという人気スポットがあります。
ああいう娯楽産業というのは別に、無くても生活に支障はありません。ああいうビジネスを途上国にボーンと立てて儲かると思いますか?絶対儲かりません。採算取れません。
つまり、「豊かな国の豊かな感覚の国民相手に通じるビジネス」ということです。
つまり、貧しい国の人には、あれの必要性がわからない、価値がわからないのです。
少し前にyoutubeで、ユニクロがバングラデシュに進出した時の映像を見ました。
女性向けの服を売り出す際、かなりチープなものにランクダウンして出さないと売れないということで、現場の苦悩が描かれていました。あの映像を見た後、日本のアパレル産業を見ると「なんでこんなにたくさん服が出回っているのだろう・・・・」と不思議に思えてきます。
そもそも、今の日本で出回っているものって、ほとんどが「要らないもの」でしょう。
ゲームっていりますか。そんなに服がいりますか。漫画とか映画って必要ですか。バッグってそんなに必要ですか。スタバやiphoneは無いとダメですか。
・・・・・。
豊かな国、豊かな国民だからこそ、売れるものってのがたくさんあるわけです。
これが、感覚の違い、です。
そして、これは同じ国に住んでいる人の間にも、大きな違いが生まれるポイントです。
所得も、育ちも、感性も、趣向も、信念も、才能も違う人間が集まっているのがこの社会です。
だから取引の余地が生まれます。
西園寺さんは良い大学を出ていないので、なかなか難しいのですが、もしカッチョイイ学歴(有名大卒)という武器があったら、教養教育の世界でマネタイズしたいです。塾みたいなのやりたい。特にオンラインで。
でも、できません。
もちろん、これを読んでいる人の中には、西園寺視点での教養教育に興味がある人がたくさんいそうですが、これはここでだから成立することです。
私みたいな人間が、一般の教養教育的市場に広くしゃしゃり出ていけるか、そこにウケるか、と考えたら「うーん、無理!」って感じがするわけです。
でも、あなたにはそれができるかもしれない。
数学とか、大人になってちゃんとやり直したがっている人なんてたくさんいます。
「数学ガール」っていう本とかがヒットしてたりしますけど、こういう領域は社会人にも需要があるわけですね。
今の時代、いろんな「教育コンテンツ」が出回っていますが、マーケティングが上手な人、アイデアや独創性を発揮できている人はほとんどいません。
なので、そこらへんにもチャンスがゴロゴロあると思います。
中国語とかもそうですね。
中国語教育とか絶対アツいと思うのですが、西園寺さんは中国語ができません。
そのうち、中国語を勉強して、中国語を活かしたビジネスを始めるかもしれません。わかんないけど。
あと、「儲かる情報はシェアしない」って考え方についてですが、例えば裏技みたいな稼ぎ方とか、FXみたいにピコピコしてるだけの「判断」だけのゲームなら、情報を広めたらアドバンテージが失われるかもしれません。
しかし、ビジネスの場合、「思考」「行動」「スキル」「人生体験」「人柄」「才能」「語彙」「学識」「知識」「センス」など、複数の要素が高度に絡み合って、それぞれが独自の有機体を完成させていく営みであり、「ノウハウ・ハウツー情報」なんてものは一要素に過ぎません。
情報をシェアしただけで、アドバンテージが覆るような人は、そもそも、元から長持ちしない宿命にあると思われます。
また、私がビジネスを教えているのは、私が自分の中にある「売れる価値があるもの」の中で、最もコストや時間をかけてきて、そして人より優れているものを持っていると思えるのがこの領域だからであって、それが恋愛とか語学とか筋トレとかならとっくにその市場でガリガリやってます。
(まぁ、恋愛系に関しては、実はここでも販売してたことがあってボチボチ売り上げました。)
私は、時給が上がってしまって、今の状態である程度満足してしまっています。もちろん、自分のスキルや能力を磨くことに余念はないですが、無駄にビジネスを肥大させることにもあまり興味は無いです。
今の私には、あまり働こうという意欲も湧き上がってこないのが現状です。
もちろん、人生のどこかの段階で、何かドカーンと大きなビジネスを仕掛けたいとかいう気持ちはあるのですが、
「20代で働いてもなー・・・・。働くのって40代からでも良くね?」
みたいな気持ちもあったりするので、難しいところです。
そうです。私は忙しいのです。
人生は仕事ばかりではありません。
世界中見渡しても、日本は「仕事」に埋没している民族だと思います。
海外だと、
- 家族
- 宗教
- 仕事
- 友人
- 趣味
- 勉強
- 慈善活動
みたいな感じで人生の中の重要なことを細分化して捉えていて、「仕事が大してうまくいかなくても他がオッケーならそれでオッケー」ぐらいのノリの人もたくさんいます。
西園寺さんも勉強したいことややりたいことがたくさんあるし、
「いわゆるネットビジネス」とは無縁な世界でのビジネスで、動いたり動かなかったり、
女の子とデートしたり、
読書したり、
旅に出たりと忙しいわけです。
ええ。
・・・・と、まぁ、このように、人には事情が色々あるのだよ、というお話でした。
ググってもらえばわかると思うのですが、世界各国で調査された確かなデータとして、年収1500万円以上は増えたところで幸福度の上昇はない、というものがあります。これは世界共通です。
庶民上がりで貧乏人感覚が抜けない西園寺さんは、月収40万円以上はもう、増えても大して意味がないと感じるぐらいです。というか、額面なんかよりも大事なことは、「どうライフスタイルと共生させるか」とか「どう働くか(どう働かないか)」という点の方が、よっぽど大事です。
そっちの方が、よっぽどQOLに貢献します。
東京都内でバリバリ働いてストレスフルで年収4000万円もらうのと、
田舎でテキトーに超短時間働いて年収400万円もらうのとどっちが良いですか?
と聞かれたら大方の人は前者を選択するのでしょう。
そしてこれはある意味、貧乏人の感覚とも言えます。
私なら「絶対、後者」です。
働いて稼げるのはぶっちゃけ当たり前の話で、私が興味あるのは「自動化された収入」「生産性の高い収入」です。
人それぞれ、ニーズが違う・・・・というのはちょっと理解頂けたかな?
ということで、あなたは私が無料で公開した情報で(そしてあなたの領域・あなたのやり方で)、しっかりと儲けてください。
そして、儲けたお金の一部を西園寺さんによこしましょう。
それでwin-winです。
私に対して「無関心」を保っていた大方の層も、私が無料で公開した情報を実行し、成果を実感したら見る目を変えてくれることでしょう。
「おいおい、マジかよ、成果出るじゃん」ってなったら、札束を握りしめて私のところにまた再来するのは見えきっていることです。
なので、平気で大事な情報をガンガン投下しまくることにします。
そして私は、DRMという非常に価値あるマーケティングモデルを丁寧にご説明して差し上げているわけです。
私がどれだけの情報投資、右往左往を経てDRMに辿り着いたことか・・・・。
いやー、あなたはラッキーですねー。
超ショートカットしてますもん。
もう、「DRM」という語彙を知ってしまった時点で、かなりラッキーです。
前も話をしましたが、
「なんでそのフォーマットに価値があるのか?効果があるのか?」
が、現状、「本気でわからない」のなら実行に移すのはやめてください。
そしてこのメルマガからサヨナラしましょう。
わかる人はわかるし、わからない人はわからないです。
それだけのこと。
物事には適性や相性というものがあります。
さて。
営業・マーケティングの話をすると、次に湧く疑問がコレじゃないでしょうか。
「何売るの?」
・・・・っていう。
幸いなことに、今の時代は恵まれていて、商品を持っていなくても他人の商品を広告することでフィーがもらえる仕組みが存在しますよね。アフィリエイトとかはその代表格ではないでしょうか。アフィリエイトのサービスプロバイダに載っていない商品を見つけてくるのも面白いかもしれません。「おたくの商品、売らせてください!売れたら一部、フィーをください!」的な感じで仕事を取ってくる。
「営業の代行」というのは、割と独立しやすいジャンルでもあるかもしれません。私の知人の知人に、20代で仲間たちと会社をつくって独立した人とかいますが、彼らも営業の代行のようなことをしているようです。
まー、売れる人に需要があるのは当然ですね。
もちろん、自分の商品を持っても良いですね。
その方が粗利は大きくなるでしょうし、自由度も上がるでしょう。
5万円のものを月に4本売れば、あとはもう、何もしないでその1ヶ月暮らせますよ。
最近はオンラインサロンとか、動画教育プラットフォームとか、決済システムとか、アーティスト向けの販売サイトとか、そういう「売り物の公開の場」「売り物の決済・デリバー代行」みたいなものも腐る程あるので、そういうものを調べたりするとまた、アイデアが浮かんでくるでしょう。
自分でお客さんを集めてきて、教育して、そういう場所と接続して課金すれば良いわけですからね。
「自分の売り物」というものを考える時、必ず持っておいて欲しい視点が、「自分の中には必ず換金できるもの(お金と交換できるもの)がある」
というマインドセットです。
これはめちゃめちゃ大事です。
多くの人は、「自分には売り物はない」と考えます。
そして、だからこそ資格とかに走るんです。
でも、その思考自体がまた、「資格貧乏」を招いているんですね。
「何か資格があればどうにかなるだろう」とか考えて、意味のない(需要がない)資格を取りに行って、その後貧乏・・・・みたいな。
そういう人、たくさんいる。
いいですか。
本質は、「需要を感じる」「需要を捉える」「需要を見つける」ことです。
そして、「それに対して、自分なりに奉仕できないかを考える」ことです。
あなたの足元に金塊はあるんですよ。
問題はそれを認識できるかどうか。
パートやアルバイトしか職が無いと嘆く主婦がいる一方で、キャラ弁作りのレシピ動画作成、収納のカリスマアドバイザー、しつけや教育のコンサルタントとして一般会社員以上に成功する人がゴロゴロいる。
この違いって資格ですか?学歴ですか?
違うでしょう。
「誰にとってどんな価値があるのかを見極めるセンス」です。
そこが、商売人として大事なことであり、基本です。
資本主義社会で独力で身を立てていく心構えです。
世の中には「現実世界をカンチガイ」している人がいて、「偉くなれば稼げる」「すごくなれば稼げる」という権威主義・権力主義的な発想で、難しい資格や偉いポジションに就けばなんとかなるだろう、という非資本主義的な考え方をしている人が未だにいます。
権威や権力振りかざして飯が食えるの、今時、公務員ぐらいですよ。
西園寺から見ると、高学歴のコミュ障率は「異常」です。
コミュ障というのは「需要を意識できない」というのとほぼ同義であり、「学歴があればなんとかなるだろう」「学位や学識があればなんとかなるだろう」という思考停止型のキャリア選択は、エロい雑誌を見ながら高速手マンを練習している童貞中学生の発想と全く同じです。
高速手マン、需要ありますか?
そーゆー思考は、喋りや態度にもモロに出ます。何かスキルがあればいいだろう、何か学識や学歴があればいいだろう、そういう思考の人は大人になっても資格漁りに躍起になるし、需要を理解できない人になります。
全く持って市場が感じられない人ですね。
そういう人を見るたび、
「モテないでしょ!?」
って言いたくなります。
世の中には、「占い」とか「片付けコンサル」とか「ナンパコーチ」とか「セックスコーチ」とか「パーソナルトレーナー」とか「愛人業」とか「マジシャン」とか「大道芸人」とか「ライフコーチ」とか、「禁煙コーチ」とか、「感情コントロールセミナー講師」とか、謎の職業でやたら稼いでいる人がいます。
彼らに共通しているのは、マーケティングがうまいってこと。
つまり、ちゃんとお客さんを見つけてきて掴んでいるということです。
需要が見えてる。
とりあえず、心構えとして、「私は何屋さんだ」とラベリングしたり、カテゴリーにハメるのをやめましょう。
そうではなくて、需要を見つける・感じるのです。
それを拾いに行く感じ。
西園寺さんなんて、職業「無職」と思ってますから。
そうやってフラットなセルフイメージを持っているからこそ、需要がありそうなところにスーッと行ってスーッと稼いでくるわけです。
とりあえず、あなたに伝えたいことはこれです。
「時給を上げろ。そして、貧乏暇なしから脱出しろ。」
時間効率良く、金を稼げるようになりましょう。
そして、実際に換金に成功できたら、さらにそのお金を使って換金できそうなものと交換して(何かスキルを身につけたり勉強したり)、またその後さらに換金して・・・・・・・・
ということを続けるようにしてください。
これが、資本主義社会における「経済的に報われる」生き方、です。投資、獲得、再投資・・・・・・・・の繰り返しですからね。
今回はここまで。
▼第2部:世界について
はい、今日の話は面白いですよー。
ズバリ、これからのキャリアサバイバルについて。
まず、キャリアを構築する際に考えてみて欲しいのは、
- 自分は雇われる側なのか?
- 雇われではないのか?
という点です。
先ほど、書店にいて面白いタイトルの本をたくさん見かけました。
「子供を億万長者にしたかったらプログラミングを学ばせろ!」
「英語で年収アップ!・・・・」
「統計学は最強の・・・」
「会計・ファイナンスは最強の意思決定・・・・」
「公認会計士になりたい人のための・・・・」
「儲かる資格●選・・・・」
「東大に2回受かった医師が教える効率的な勉強・・・・」
ふむふむ。
いやー、混迷してますね。
とりあえず、世の中の人は「雇われる」ということを前提にしているみたいです。自分のスキルや職能を買ってもらいたい、みたいな。
とりあえず、食いっぱぐれたくない・・・・ってことでしょうか。
(まさか、「食いっぱぐれないためにマイクロソフトオフィスシリーズの練習をしよう・・・・」とか、その程度のレベルの人はこれを読んでないよね!?)
じゃあ、その時に考えるべきことは「需要があるスキルを身につける」ということ。
「需要に応えるセンスを身につける」は事業家向けですが、
「需要に応えるスキルを身につける」というのはある種、思考停止的で大方の人にとっても取り組みやすい、「難易度の低い」ものと思います。
なのでオススメ。
センスはスキルやナレッジの上位に立ちます。
私としては、
ーーーーーーー
マーケットセンス(市場) > スキル(技術) > ナレッジ(知識)
ーーーーーーー
って感じで序列をつけてます。
世の中の人はスキル磨きや資格習得に躍起なようですが、世の中では満たされていない需要、拾われていないニーズで溢れに溢れかえっています。そしてそれらは放置されまくっているのです。
西園寺さんのように成功したビジネスマンは、そーゆーのが見えます。
あちこちでチャンスがあるなー、っていつも思う。
こーゆーのが見えないって人は、とりあえずスキルを身につけるのがわかりやすくて良いかもね。
就職する・働く際にも、需要があるスキルを身につけさせてくれるところに行った方が良いですね。そういう会社は天国です。
金くれる学校ですよ。最高じゃないですか。
まぁ、なかなか無いでしょうけどね。
そんな、わざわざ、何もない人をゼロから育ててくれそうなところ。
あるとしても、高学歴限定とかじゃないですか。
育ててくれる会社って本当ありがたいですよね。需要あるスキルを身につけさせてくれる会社があるのなら、絶対そこに就職すべきです。
西園寺さんが高学歴だったら、
- 需要あるスキルを身につけさせてくれるところ
- 外資系企業、グローバル企業
のどっちかに行きます。
雇われて働くことの良いところは、スキルや力が身につくこと、もしくは稼いだ金を自分のスキルアップに使えることであって、
「生活ができること」
「高い給料をもらえること」
などは二の次、三の次でしかありません。
会社は学校と捉えるべき、実践スクールと捉えるべきです。逆に言えば、学ぶものがない、得るものがないのであれば、そこにいる必要はもはや無いでしょう。
生活というのはバイト生活、派遣社員生活でもできるからです。
生活するだけは誰でもできます。生活水準はいくらでも下げられます。生活に余裕がないと言っている人はある意味嘘です。その人の「当たり前の基準」が高いだけで、交際を削りまくって家賃下げまくって食事を質素にして、働きまくれば、生活が成立しないということはあり得ません。
誰でも働けば生活はできるのです。
また、高い給料をもらったとしても、それがラッキーマネーとか一時的なものなら意味がない。高い給料は、その給料を自分の人的資本拡大のために再投資してはじめて意味をなします。
つまり、高い給料がある、給料に余裕があるのなら、自分の価値を引き上げることにお金を使うべきです。ここで、「株を買う」とか「無駄に高い家賃の家に住む」とかいう、絶望的投資センスを発揮しているから苦しむハメになるわけです。
この2つ(需要あるスキルを学ばせてくれるorグローバル企業)に行かない、行けないレベルなら、たとえ有名大学を出ても時間とお金の無駄と「私なら」考えます。
- 日本国内でしか通用しない
- 需要あるスキルが身につかない(あるいは将来的に需要が落ち目であることが目に見えている)
の2つが揃っているキャリアに身を投じていれば、たとえ一時的には高い給料・良い待遇を得ていても、むしろそれは害かもしれません。
プライドの高さや贅沢への慣れだけが残るかもしれないからです。
宝くじを引き当てたり、風俗で働いて金銭感覚がバカになり、将来的にキャリアが崩壊するパターンと原理は同じです。
逆に言えば、風俗などで働くことも、うまくやれば将来への足がかりになります。あれ、めちゃめちゃ時間効率良いですからね。
よく、ネットで「風俗嬢の悲哀・・・」とか記事になってますが、実際に風俗に行きまくっている私からすると、「ドヨーン」としながら働いている人とか、「経済的破綻・キャリア破綻」に向かっているのは一部で、大方の人はうまいことそれを足がかりにして次に繋げている印象です。
風俗嬢の学校行っている率、何か勉強している率高いですし、もともと生まれ育った世帯の所得が低い人が多い印象で、自力でなんとかしようとする姿、開き直っている姿は尊敬の念を覚えるほど。私からすると尊敬の対象です。
結局、どんな道もその人次第、やり方次第、使い方次第です。
スキルやキャリアというものを考えるために、卑近な例を持ち出して分かりやすく説明しているだけですから、あまり例については深く突っ込んでこないでね。
とりあえず、
西園寺さんが高学歴だったら、
- 需要あるスキルを身につけさせてくれるところ
- 外資系企業、グローバル企業
のどっちかに行きますって話。
高学歴というのはそのために活用すべきで、そうじゃないなら個人的にはあまり意味ないなぁ、と。大学のコンテンツってどこでも別に手に入るし。図書館で勉強しとけば教養はつきます。高学歴の最大の利点は「パスポート性」でしょう。
学歴がある人しかアクセスできない企業や職業マーケットに入るチャンスが与えられ、初対面の人に対して一定の
- 「忍耐力」
- 「勤勉性」
- 「学識」
- 「競争力」
- 「素行の良さ」
があることを一瞬で証明でき、学閥やコミュニティ意識で仲良くなることができるのが「高学歴」の良いところです。
ホリエモンが、
「勉強は大人を説得するためのツール」
と言っていましたが、実に深いと思います。核心というか本質をついていると思うのです。学歴は「パスポート(クレジット)」です。
例えば、西園寺さんが初対面の人に、「私はたくさん勉強しました!」と言っても実に怪しい。
しかし、あなたが旧帝大とかGMARCH、関関同立レベル以上の学校に受かったのなら、
「●●卒です」「●●大中退です」
と言うだけで、一瞬で「おおっ!」って伝わるわけです。
いやー、良いですねー。
私がパスポート性と言っているのは、そういう証明性ですよね。
それを利用して、私なら
- 需要あるスキルを身につけさせてくれるところ
- 外資系企業、グローバル企業
に行きます。
そうでないのなら、大学4年間は「時間とお金の無駄」だった・・・・と思うかもしれません。
日本の大学生が好きな「日本を代表するドメスティック企業に『就社』」というのは最悪なパターンです。海外出たら職歴はノーカウント、その会社以外では使えるスキルを持てるようにならないまま、もし外にはじき出されたら、プライドだけが高い使いづらい人間へと成り下がります。
ワープアがワープアたるゆえんは、需要あるスキルを持っておらず、低時給でこき使われて、時間がない日常を送る羽目になり、休日にスキルを磨く暇もなく、職場でもスキルが身につかない・・・・という、どん詰まりの状況にあることです。
そして稼いだお金で日曜日はエロ本とビールを買い、テレビとフェイスブックを観る生活を続けていることにあります。おまけに、凶と出た結婚生活も抱えているのなら、もう、八方塞がりと言えるでしょう。
そして、いざという時には会社からも嫁からもポイされてしまいます。
わかりますかね、この負の無限ループ。
西園寺さんがそういう状況にいて、もし向上心ややる気がないのであれば、下手に頑張らずに「手抜きで給料ドロボー」できそうなところを探して、そこでテキトーに生きると思います。
行くなら田舎かなー。
費用対効果で考えれば、その方が良くないですか。
こういうのを、個人的には「戦略的キャリアダウン」と呼んでいます。
そういう人生もアリだと思う。
そういうことをすると、同級生の面倒臭い奴から、
「うわー!お前やべーな!!」
って言われたりすると思いますが、なんで彼らがそんなことを言うのかというと、そうやって言うことで「自分がやっていることは正しい!」と思い込みたいわけですね。ところが、そういう人が30手前にして鬱になり、ボチボチ会社員生活からドロップアウトする。よくある話です。
ハタチぐらいの時に、私のことを散々disってた人間に、あとあと、「俺も社会不適合だったわ・・・・」とか言われたこと、ありますよ。
私が若い頃に、社会にバカ真面目に迎合する気がない姿勢だったのを散々disってきたような人から。そのときには「だから言ったじゃん・・・・」ってなるんですけどね。
西園寺さんの知人にも、20代の前半の頃に、「●●に就職したぜ!いいだろ!!」的なこととか、20代後半でうまいこと転職に成功して「●●で●●職について、月給●万円もらってて、将来はこういう待遇が見込めてる・・・」みたいなことを一生懸命、ツイートしているような人間、酒の席で熱弁している人がいましたけど、結構な確率であとあと病んでますからね。
そもそも、「キャリアウェーイ!!」ってなっているのは気合が入っている20代だけであって、30代とか40代とか50代の、「人生の酸いも甘いも体験しました」みたいな人と話すと、割と
- 休職
- ニート
- ドロップアウト
- 寄り道
みたいなことに寛容な人が多かったりします。
人生は長いのです。そして、20代で無理して心身病んだら話になりません。そもそも、仕事やお金だけが人生ではない。
基本的に、キャリア選択というのは個人の考えや判断を元にやっていくものですが、それが上手にできれば20代半ばにして「時間とお金の余裕」ができるのは割と当然のこと。
逆に言えば、「貧乏暇なし」になっているということはキャリアを間違えた可能性があります。
だって、時給が低いってことでしょ。
まず、キャリアを考えるときに大事なのは
- 需要
- 供給
です。
需要が大して存在しないのに、供給が増えまくった弁護士などはジリ貧マーケットとなっています。
そういうところに突っ込むとまず苦労します。
会計士などもそうですが、1950年代からどんどん有資格者を輩出しまくって、上にベテランが詰まっているようなマーケット、しかも産業転換や技術革新、知識の陳腐化によって一気に廃れていくマーケットに、若い人が突っ込んでいくのはまさに狂気の沙汰。
すごい勉強したという権威性、競争をくぐり抜けたという優越性だけで仕事が取れる、どうにかなるというのはもはや公的な職業だけではないでしょうか。民間に行けば誰もが商売人スピリッツを持っていなければなりません。つまり、需要への意識、ですね。
盲目的に何かタイトルを取れば良い、有能性を証明できればいい、という発想の人はケチョンケチョンになるのが民間マーケットの特徴です。
で、需要があるスキルを身につけようと思った時。
どう考えても、
- みんなが持ってないスキル
- 新しい産業、新しいスキル、未来のスキル
が良いに決まっています。
・・・・・・ってのは、どんな本にもだいたい書いてあることだと思います。
理論としては頭に入っている人は多いでしょう。
でも、なぜ時給が上がらないのか。
それはやっぱり、頭ではわかっていても、実際にやるとなると恐怖ですくんでしまうからではないでしょうか。
わかっててもできないんでしょ、みんな。
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Take time to deliberate, but when the time for action has arrived, stop thinking and go in. (ーナポレオン)
熟議する時間を持て。だが行動する時間が来れば考えるのをやめて飛び込め。
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小話をさせてください。
西園寺さんが人生ではじめて、異性に告白をしたのはおそらく小学校5年生の時です。
同級生に、Mちゃんっていう子がいて、いつもかわいいなーと遠目に見ていました。
そして、このMちゃんに対する好意を仲の良いT君に打ち明けたら、T君もMちゃんが好きだと言っていました。
「お前もかよー!!」
みたいな感じで、ジャングルジムの上で盛り上がった記憶があります。
T君は、Mちゃんのふくらはぎが好きだと言っていました。
(今考えたら意味わかんねー)
西園寺君は、Mちゃんの膨らみかけた胸や、体操着を着た時に浮かび上がる下着の隆起したラインも大好きでしたが、あの頃はとてもピュアだったのでそんなゲスな思いは10%ぐらい、後の90%ぐらいはMちゃんと一緒に下校したいなーというピュアな思いで、好意が形成されていました。
ある日のことです。
授業かなんかで、みんなで校庭のアサガオかなにかに、餌(?)をやる・・・あれ、餌っておかしいですね、肥料っていうんですか、ああいうのをやるみたいな時間があったんです。
西園寺さんは、何をトチ狂ったかわかりませんが、Mちゃんに向かってイキナリ、
「ねぇ!言いたいことがあるんだけど!俺、Mちゃんのこと好きなんだけど!」
と言ってしまいました。
いやー、なんであんなことを言ったんだろう。わからん。思い出せない。
そうしたら、それを傍で見ていたT君が、「おいおいお前待てよ!嘘だろ!??抜け駆けかよ!!」みたいな顔をしながら、「おっ、俺も!!」みたいなことを後出しじゃんけん的に横から言ってきたのです。
Mちゃんの答えはこうでした。
西園寺 → 割と好き
T君 → 特に関心なし
あの時、なぜ西園寺君がT君に勝ったのかは、未だによくわかりません。
T君の方が西園寺より身長が高くて、スポーツマンで、日焼けしてて、男らしい感じでした。他方、西園寺さんはおとなしそーな、特にパッとしない男の子だったのに。
明らかにT君の方がスペックは上でした。
ただ、一つ言えることは、コレでしょう。
目の前で、正々堂々ストレートに気持ちを伝えた西園寺と、「おっ、俺も」という感じで横から後追いしてきたT君の2人を並べたとき、一瞬でも西園寺の訴求の方が心に響くものがあったのかもしれません。
ちなみに、その頃はエロビデオとかはすでに体験済みだったはずですが、頭の中に「付き合う」とか「付き合わない」とかいうボキャブラリーが存在していなかったので、その後は特に何もありませんでした。
しかし、あの頃から、西園寺の脳みそには、この教訓が染みついたのです。
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未来は、自分で創っていくものである。
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後年、ピータードラッカーやスティーブ・ジョブズが同様のことを言っていたことを知り、それに共感するようになるとは思いもしませんでした。
要するに、私が何を言いたいのかというと、「主体性」です。
自分の持っている知識や気持ちを元にして、どうなるかわからない未来に対して、率先して行動をしていくことには主体性が求められます。
えっと、何の話してたんだっけ。
そうそう、だから、「未来のスキル」とか「将来伸びが見込めるマーケット」に飛び込むのには、勇気や主体性がいるよね、って話。
英語を勉強しよう!ってなると、割と抵抗なく勉強できる人は多いでしょうが、
インドネシア語を勉強しよう!ってなると、抵抗なく勉強できる人って少なくないですか。
でも、明らかに後者は未来あるものですよ。
頭でわかってても大方の人はできないでしょ。
未来あるもの。
そんなに年寄りや先行者がのさばってないもの。
ネット周りのことであったり、新しいテクノロジー、来たる時代の産業や技術・・・・・系のスキルを持っていると強いです。
すごい強い。
結局、どれだけ理論や知識を持ってても、実行に移せるかどうかは、勇気とか主体性みたいなところです。
基本的に、物事は
<1>マーケット
<2>テクノロジー
の2軸で見ることができます。
将来的に可能性があるマーケットに精通するか、
将来的に可能性があるテクノロジーに精通するか。
中国語を勉強しようというのは前者的な発想だし、
VR系や人工知能に精通しようと考えるのは後者的な発想でしょう。
で、注意が必要なのが「会計」「プログラミング」といったスキルです。
これらは、その重要性が一昔前に喧伝されまくった結果、習得している人が増えてしまいました。なので、単純にこれらに精通しているからといって高い給与を得られるのか・・・・と言えば疑問です。
もちろん、プログラミングなどはまだまだ、人材が不足している領域だとは思います。
とはいえ、これらのスキルで大成功している人たちを見ると、これらのスキルをベースにクリエイティビティやアイデアを形にして成功しています。そしてそれをうまくビジネス化している。
そもそもプログラミングや経理スキルはやれば誰でもできるという点が、なんとも危うい。
ザッカーバーグやジョブズ、ウォズ、ゲイツがプログラミングを学べと推薦したからと言って、実際にプログラミングから恩恵を得ることができるか・・・・といえば、「プログラミングだけ」であれば買い叩かれるのがオチでしょう。
それでも食いっぱぐれないだけ良いですけどね。
雇われる、を前提とするのなら、
「需要過多」
ぐらいのスキルをサクッと取りに行った方が良いです。
あるいはコスパ(費用対効果)が良い領域かな。
実際、私自身、ウェブでビジネスを創ったりしていて思うのは、
「専門家って危ない」
ってことです。
使う側からしたら誰でも良いですよね、ぶっちゃけ。
専門家ってのは、
- 超難易度が高すぎる専門分野でほとんど代わりがいない、数が少ない(Not士業レベル。宇宙飛行士とかそれ以上。)
- 専門家の中の専門家。トップオブザトップ。
じゃないと厳しい。
例えば、プログラミングはプログラミング、デザインはデザイン、動画制作は動画制作、コピーライティングはコピーライティング・・・・というように、分業で人に仕事を振るとするじゃないですか。
そうしたらやっぱり、誰がやっても同じようなことなら「安い人間」にやらせた方が良いわけです。で、クラウドソーシング市場(人材のアウトソース先市場)や人材市場とかでは価格競争が起こる・・・と。
こういうのはどの職業マーケットでも起こります。
なので、専門的スキル1本でやっていくのならクリエイティブなスキルやエキスパート性の上に、その人のスペシャリティ性が乗っかってくるものじゃないと厳しいでしょう。例えばその人ならではの人脈があるとか、その人ならではのアイデア力があるとか、その人ならではのセンスがあるとかそういう付加価値を加えられる人。
もしくは分野横断的に思考や技術を行き来させて統合的なスキル運用ができる人間。
あとは、商売を丸ごと動かして売上をとってこれる人間ですね。
つまり、
<1>スペシャリティ性があるエキスパート
<2>器用貧乏ではなく、統合的にスキル運用ができるジェネラリスト
<3>商売を成功させられる人(マーケター、イノベーター、リーダー、インベスター)
の3タイプでしょうね。
ただのエキスパート、ただの高学歴、ただの社畜(有名企業にせよ片田舎の零細にせよ)はみ〜んなフツーに負け組です。
理由ですか?貧乏暇なしだからです。時給が低いから。
使う側は誰でもいいから。
「スキルを得ればなんとかなる」
「資格を取ればなんとかなる」
「良い大学に行けばなんとかなる」
と思っている人はめちゃめちゃ多いわけですが、忘れないでください。
ーーーーーーーーー
それ、あなた以外もできますよ、たくさん人材いますよ
代わりはいくらでもいますよ
ーーーーーーーーー
ってこと。
だから、需要過多になっているスキルを費用対効果良く取りに行くか、
超一流の激レア専門家になるか、
なんらかのスキルやエキスパート性を身につけてその上でスペシャリティを発揮するか、
分野横断的なジェネラリストになって複数のスキルセットを統合的に運用し、Whole Brainで物事を見たり考えたりやったりできるか、
もしくは商売を創れる・動かせるか。
そうじゃない限りは平気で時給は地に落ち、買い叩かれます。
貧乏暇なしの完成です。
・・・・・・・・・・で、なんですけど、
こういう話を聞いた後に、
「じゃあコピーライティングだ!」
「じゃあマーケティングだ!」
「じゃあDRMだ!」
「じゃあアフィリエイターになるぜ!」
とかなんとか言って、そういう方向性に進んで、見事にコモディティ化している人はたくさんいます。そういう人、見かけます。その方向性が悪いのではないんですよ。ただ、なんか、「同じ愚」を別の文脈で繰り返している人って結構いるんです。
うーん・・・・なんて言ったらいいのかなぁ。
豚に真珠?
もう、何も言えねぇ、って感じだけど。
こういう人は、「コモディティ人材」よりも酷いです。「換金不可能人材」と化している場合があります。コモディティ人材はコモディティ化しているとはいえ、買ってくれる人がいるのは事実なのです。
しかし、「換金不可能人材」はそもそもレアリティも需要もないわけです。フツーにバイトしている人の方が経済価値を発揮していたりします。
そのくせに、そういう人たちが言っていることって、ブログで「セルフイメージが!」とか「ドリームキラーをシカトしろ!」とか「宇宙と繋がれ!!」とか「俺は●億稼ぐ男だ!!!」「●●師匠から学び、マネタイズを極め・・・」とか。・・・・・、そういうのを見ると人は、「アァ・・・・近づかないでおこう・・・・ああいう人たちは・・・・」という感じで疎ましく思う。
で、そういう人たちは余計儲からない。
そして本人は、
「ウッヒョー、やっぱ俺って超スペシャルな人間で、非コモディティだぜ!その証拠に友達はみんないなくなったし、みんな俺を変な目で見るし、俺のことをdisってくる!これって、俺が特別だからだよな!!興奮してきた!!勃起してきたぜ・・・・!!」
って感じになってヤバイ自己強化の円環的プロセスに入っていく。
こわ。
多分、5年後か10年後くらいに普通のサラリーマンに戻って、世の中の自己啓発とかビジネス書、自分が影響を受けた人間をボコボコにdisったり、「レールを外れるなんて馬鹿らしい!」ということを言いまくるタイプに転身しているはずです。絶対そうでしょ。
そして、自分の子供が、将来的に過去の自分と同じようなこと(チャレンジする)を言い始めたらひどく説教するオヤジになっているはずです。
あるいはネットで偉そうに、評論・レビューを垂れ流している、コンプレックスを拗らせた「THE・負け組」の面倒臭いおっさんになっていることでしょう。
何やるにしてもそうですが、自分の「器」「値段」と、市場でつけられた「値付け」とかのあたりで感覚狂っている人はスベりますよ。
恋愛市場でも。
人事全般に言えることですが、どの分野・領域にも成功者はいますし、どんなバカ大学にも賢い人はいるし(どんな有名大学にもバカはいるし)、どんな業界にも成功者はいるし、どんな職業カテゴリーでも幸せにうまくやっている人はいます。
儲かるビジネス、儲かる仕事なんてのは本当はないんです。
儲かる「人」がいるだけです。
結局、その人がその人の主観・フィルターで世界を捉えて、その人のやり方でチャンスを掴んでいくわけですからね。
ダメな人は外部を責めますが、その人がダメなだけです。
同じようなチャンス、情報、機会を前にしても、平気で明暗分かれますからね。
人間ってそういうもん。
ま、そういう感じ。
未来を待つ、
外部環境に流される、
外部を責める、
後追いばかりする・・・・・
のではなくて、
「未来を創る」
「自分でレールをひく」
「先じてみる」
みたいなことができると、良いかもしれません。
見えない未来に向かって進むのはみんな同じです。
そこでこう、「予測」とか「受け身」とか「待ち」の姿勢、マインドセットばかりでいるのではなく、自分で未来を創ってみる。
そういう姿勢があると良いかもしれません。
もちろん、知識や理論はある程度、先を照らしてくれますけど、最後の最後は、「清水の舞台から飛び込む」勇気とか度胸って感じがします。
▶︎第3部 : 人生について
自己顕示の人生と、他者貢献の人生、という話をしたいと思います。
実は、私も「お金を稼ぐということは、イコール、すごい人が稼ぐということなんだ」と思っていた時期があります。
これって、権威主義的な発想というか、権力主義的な発想です。
難しい試験をクリアしたから稼げる、とか難しいタイトルを取ったから稼げる、とかね。
ところが、現実に直面して真面目に売上とか利益とかに直面すると、どう考えても他者に何かを与えない限り報酬は発生しないということに気付きます。
あらゆる知識、ノウハウ、スキルは、他者に何か貢献をして意味がある。
当たり前っちゃ当たり前ですけど、こんなことに気づくまでに結構、時間がかかりました。
というか、ビジネスという文脈から離れても、これは言えることだと思います。
生きていると、「気持ちが良い人」と「気持ちが悪い人」に出会います。気持ちが悪い人というのは、卑屈で、自己顕示的で、クレクレ君で・・・・というように、あまり他者にエネルギーを与えている感がありません。逆に、気持ちが良い人というのは明るく、貢献的で、Giverタイプです。
さて、今の私は「気持ちが良い人」になれているのでしょうか。
それはわかりません。
ただ、少なくとも、自分が「いい人」とは思えないし、「全方位的」にウケるタイプは無いと思います。クリーンなタイプでも、万人ウケするタイプでも無いのは重々承知の上です。
自分の性格の悪さや口の悪さに、自己嫌悪するぐらいです。
今の私は、「1人でも、『あなたと出会えて良かった』って言ってくれる人がいたらそれで良いよね」という発想で生きています。
もちろん、ビジネスをするのであれば、それがある程度の規模にならなければ成立はしません。
幸いなことに、この世界は、というかこの日本という国は、思った以上に広いらしく、WEBという市場に繰り出せば、私のような歪な人間でもある程度寛大な態度で接してくれる人たちがいるみたいです。
あぁ、感謝ですね。
DRMモデルの素晴らしいところは、深度の深いコミュニティを形成していけることです。全方位的に良い顔をしなければならないのが「ビジネス」だったなら、私はビジネスの世界でやっていけることは無かったでしょう。
ありのままの自分が、どうやっても全方位的にウケる人間ではないのを自分がよくわかっています。しかし、その自分を抑えて迎合しに行こうとすると、どうもキツくなったり、苦しくなっていくのです。
ある程度の年代から、肩の力を抜いて自分らしく生きることを覚えました。
そもそも、サラリーマン世界のような場所で「うっ」って感じることが多い私ですが、その「うっ」とした感じは学生時代にもあったし、ビジネス世界でもあります。
ビジネスの世界では、ビジネスをやっている人たちがコミュニティを形成して群れていたり、「メンターだ、メンティーだ」とか言ってあれこれ群れている界隈があります。
ビジネスの世界や自己啓発の世界にハマりはじめた人が口々に言い出すような単語、おきまりのフレーズが飛び交うような場所に居合わせるのは、ぶっちゃけ、嫌です。ちょっと、気持ちが悪いと感じてしまう。
キモい。
なので、基本的に私はボッチ人間です。
まー、ボッチっていうか普通に(?)、生きてる。
今日は外国人のお友達とご飯に行きます。
でも、今思えば、昔から、ボッチであったということは、自分があるってことだったんじゃないか、と好意的に受け止められるようになってきています。
ガチでボッチだったわけではないですか、どーも孤独感というか疎外感を胸の中に感じながら生きてきたタイプなんですね、私。
人間、成長していけばいくほど、学生時代のように誰かと群れてられることは少なくなります。人の進路選択や日常はバラけます。
そして、大人になればなるほど、「自分」があるタイプは、その人が相当なコミュ障でない限り、評価してくれる人とも出会えるものですし、割と寂しさにも耐性があったりして、力強い大人になれているものです。
10代と20代を比較すると、それはしみじみ感じます。まぁ、単純に行動範囲や見ている世界が広がっただけかもしれないけれど。
昔から、自分の居場所は無いのではないか、と思ってきたフシがあります。
「リア充ウェーイ」みたいなコミュニティも無理だし、「DQNウェーイ」みたいなところも、「ガリ勉ウェーイ」みたいなところも、「オタクウェーイ」みたいなところも、「ヤンキーウェーイ」みたいなところも、ぜーんぶ無理でした。
自分が「社会不適合なのでは・・・・」と悟るまでに時間はかかりませんでしたし、ある人は私のことを「地球不適合者だよ!」と言ってくれました。
地球不適合・・・・・。
火星移住か・・・・・・。
幸い、火星移住をせずとも生きてられるのは、プライベートにせよビジネスにせよ、「自分らしく生きる」という軸を持ちつつも、上手に人と付き合うコミュニケーションスキルが上がったからだと思います。
つまり、自分と相性が良い人を見極め、合わない人とは付き合わないということ。
相性が良い人とは、相手のメリットを考えて付き合うということ。
そして、自分自身、魅力的な人であろうとすること。
若ければ若いほど、大仰な革命的事業を志向したり、権威ある資格を身につけようとしたり、人前で一生懸命マウンティングしようとしたり、威圧感と勢いで偽の尊敬を集めようとしがちだと思います。
しかし、結局は、接した人に対してどういった態度であるか、どういうことを言うか、何をしてあげられるかがすべて。その人の人生や生活に、どれだけインパクトあることを与えられるかがすべて。
歳を取るにつれて、そういうことを思うようになっていきました。
さて。
もしかしたら、あなたも現代社会の中で生きづらさであったり、自分の居場所について苦悩しているタイプでしょうか。
「世界」とか「世間」というのはある意味、主観的なもので、見方や捉え方が変われば人生はガラッと変わってしまいます。そして、その見方や捉え方を変えてくれる、確実な「現実の変化」は自分の力によって生み出していくことができます。
私の人生史は、まさにそういうものを追い続けてきたストーリーです。
自分について思うのは、
「カネ!カネ!カネ!」
「大成功!」
「仕事!仕事!仕事!」
とかしていない時点で、そもそも自分はビジネスなんて向いていないのではないか、という点です。
ギラギラ系は、ちょっと、無理。
もともと、自己啓発書とかビジネス本とか、思いっきりスルーしていたくせに、「金持ち父さん」を入り口にガッツリ洗脳された経緯を紐解くと、やはり、ライフスタイルを充実させたい人間なんだと改めて感じる次第です。
ビジネスは、私に対して、「生きる」ということと真摯に向き合わせてくれました。
そして、いろんなことを考えさせ、いろんな課題を私に与え、そして私を遠いところへと連れて行ってくれたような気がします。なので、ビジネスを通して人生を学んだような感触が自分の中にはあるわけです。
今、思うのです。
本当に欲しかったのは金だったのか?成功だったのか?何だったのか?って。
・・・・・・・・本当に欲しかったのは、生きるヒントとか、生きる強さ、生きる希望だったのかもね。
なんちゃって。
===
"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。