②【ドラえもんから学ぶ】 のび太も、スネ夫も、ジャイアンも、出来杉も、しずかも、みんな苦しんでいるかもしれない

 

世の中は人間関係で成り立っています。

学校も、社会も、どこでもそうです。

 

とにかく、現実世界で疲れ切っている人たちは、

  1. スネ夫的に疲弊しているか (YESマン人生が辛い)
  2. のび太的に疲弊しているか (弱者すぎて辛い)
  3. 出来杉的に疲弊しているか (エリートプレッシャー生活が辛い)
  4. しずか的に疲弊しているか (日和見・風見鶏・八方美人が辛い)

のどれかであるケースが多いでしょう。

 

ところで、日本人であれば誰もが1度くらいはドラえもんを観たことがあると思いますが、

ああすれば良いのに、こうすれば良いのに

と思ったことを、意外と、学校生活や社会人生活の中で出来てないことに気付くのではないでしょうか。

 

ドラえもんと並ぶ国民的作品であるクレヨンしんちゃんという作品がありますが、あれを観て子供の頃、野原ひろしを情けないと思っていた人は多いかもしれませんが、

 

  • 春日部に5LDK庭付きマイホームを建てる
  • 車所有(セダン)
  • 野原ひろしは秋田県出身の高卒35歳
  • なのに年収600〜650万円
  • 双葉商事営業第二課係長
  • なのにお小遣いは日本の平均より8000円くらい安い、かなり我慢している(月3万)
  • 野原みさえは熊本県出身、短大卒29歳、二時の母29歳

 

と素晴らしくできる男で、マイナビの2019年の調査によると、女性の62%が結婚したい、27%が結婚しても良い、と答えており、実に89%から好意的な評価を受けています。各種のアニメキャラクターを対象にした「旦那にしても良い男」「パパとして良い男」の類の調査でも1位を総ナメです。数々のかっこいいエピソードもあります。

 

大抵の男性が、35歳になって、この水準に届いていないのではないでしょうか。意外と、客観的に見ていて「答えが明白」に思えるものも、当事者としてやり切るのは難しいものです。

まさに、この感覚で、私たちは「ドラえもん」を観ていて幼き頃に思っていたこと、特にのび太に対して思っていたことを、自分がその立場に置かれて「実行に移せていない」ということが多いのではないでしょうか。

 

一つ一つ見ていきましょう。

 

 

まずはスネ夫から見てみましょう。

スネ夫は、ナルシスト、嘘つき、マザコン、お世辞多用というキャラクターです。そして自慢話が多い。

スネ夫的な辛さというのは、

YESマンの辛さ

というところでしょうか。

のび太のようにいじめられているわけでもないのですが、ジャイアンにガツンとやられることも多々あります。

 

割とがんじがらめな人間なのかもしれません。

 

こういう

  • 2代目
  • 御曹司

タイプというのは、周りからそれを揶揄されたり、将来自分が就く仕事における周りからのプレッシャーというか「周りに認められない」というストレスを陰で抱えているタイプです。実際、こういう人、います。

自慢話が多いのは、認めてもらえない、認めてもらいたい、ストレスが多い、ということの裏返しなのかもしれません。

 

実際、こういう人います。

2代目などにこういう人はいます。

 

こういう人の人生の辛いところは、親だったり、親分によるところが大きい分(そのメリットが大きい分)、もう他の道では生きていけないことです。自分の意志で道を切り拓いていく人生が無理なのです。恵まれすぎているせいで、です。皮肉なことです。

 

YESマン人生が辛いと思い、例えばそこから抜け出したときに多くの場合に感じることは、YESマンのレールから外れると結構辛いということです。スネ夫は何やかんやジャイアンに守られている部分があります。特にスネ夫タイプの場合は、実家の力が大きいのです。実家が無いとダメダメというケースもあるでしょう。まさに後ろ盾が必要というタイプです。

 

スネ夫について、あなたはどう思いますか?

また、スネ夫的な辛さについて、どうしたら良いと思いますか?

 

お母さんやジャイアンに切り離されたスネ夫の人生はどうでしょうか?

日頃、のび太の悲劇を見ているだけに、怖くて足がすくむかもしれません。のび太へのいじめは、ある意味で、自分とそういうものを切り離す好意なのかもしれません。便乗型いじめっ子によくある心理です。

 

一番無難な策は、やはり、そのまま、生来の道や生き様を辿りつつ、極めることでしょう。でも、それが辛いのです。

スネ夫もスネ夫で、もしかすると、

  • 好きなことをやりたい
  • レールを外れてみたい
  • リーダーになってみたい

などと思っているかもしれません。もしかすると人一倍孤独を抱えているかもしれません。スネ夫もスネ夫で大変です。しかし、スネ夫を助けてくれる人も意外にもいません。スネ夫は、のび太だったら泣き言を吐くところを割と我慢して、現実的に振る舞っているタイプかもしれない。

 

こうやってみると、意外とスネ夫がダントツで救いようがない気がしてきます。スネ夫の本質は、本人の何かに根付いていないことです。まるでそれの裏返しのように、スネ夫は買ったものとか、贅沢な体験に固執しています。ある意味で中身が無いのかもしれない。

スネ夫的なタイプが、自己を肯定する、自己の幸せを確認する方法は、恵まれない人を見ることです。スネ夫がのび太へのいじめに執着するのは、のび太をいじめることを通して、逃げ道のない自分の恵まれ度合いを確認しているのかもしれません。ジャイアン・親に生かされ、のび太を通して幸せを確認しているのかもしれません。そうだとすると、意外にも悲しい立場です。

 

学生時代、スネ夫型いじめっ子と仲良くなって心の深淵を覗いたことがありますが、意外とスネ夫型タイプは闇が深いのです。今でもハッキリと、中学時代にいたスネ夫型タイプの人間の顔を思い出せます。名前も思い出せます。

バスケ部のMくん・・・・

 

 

のび太はどうでしょう?

多くの日本人がのび太を見ていて思ったのは、

 

しっかりしろよ・・・・

 

ということだったと思いますが、実際、学校、職場、実社会で力の無い立場に置かれたらああなるのも仕方ないかもしれません。スネ夫にあるような実家の財力もなければ、ジャイアンのような強さ・横暴さもなく、出来杉のような頭のキレも無いのです。そして、生きている間、ずっといじめられてきた。迫害されてきた。マインドはボロボロです。負け癖や後ろ向き、ネガティブが骨の髄まで染み渡っています。ルックスにも、頭にも、能力にも自信が持てないのです。何かをやろうとしても、ジャイアンやスネ夫に邪魔されます。

 

心理学で言うところの、学習性無力感状態にあるかもしれません。

人生で肯定されたことがないのです。

うまくいったことがないのです。

若干鬱に近いかもしれない。

 

もう、負のスパイラルに入っていて、自分ではどうしようもないから、ドラえもんに必死ですがっているのかもしれません。

ドラえもんもそれをわかっていて、渋々助けているのかもしれません。

ドラえもんが辛いところは、のび太の悲惨さを知っていて、援助しつつ、でものび太がそれにすがってなかなか成長しないところです。

 

ただ、のび太の場合、

射撃の腕前だけは一流

みたいな変な特技があります。

のび太的な人間は、割と、そういう「1%キラリと光るもの」を持っていたりします。99%ダメ人間ということは、文脈が合致していないか、1%突出した何かがある可能性がある。味方を変えれば、のび太ほどダメ人間はレアなので、裏を返せば何かあることが多いのです。

全てが圧倒的にダメというのは、意外に珍しいことです。本当にパーフェクトにダメというケースは珍しい。バカと天才は紙一重と言ったりしますが、こういう完璧なダメ人間は、生きる場所を変えると、水を得た魚のようになったりします。

海の帝王であるシャチは、陸に上がると自重で15分ぐらいで死んでしまうダメっぷりです。ダメすぎるという場合、明らかにその環境に適していない身体構造を持っていたりします。逆の文脈・環境を与えるとまさに「水を得た魚のよう」になるケースもあります。あからさまにダメ人間は、環境を変えることで変化が最も期待できるタイプです。

私が今まで人を見てきた中でも、

恋愛も友達関係もスポーツも仕事も何やってもダメ、生きる価値がない

みたいなひどく落ち込んでいて、何やっても劣等生の烙印を押されてきたタイプが、環境の変化で異様に適性を発揮し、モチベーションを発揮して、夢も抱いて、目が輝き出して人間が変わっていくのを見たことが何度かあります。

完璧にダメ、箸にも棒にもかからない、完全に最底辺、というケースは意外にも希望があります。土俵を変えるという希望です。

 

「君はどうしようもなくダメだね、逆にすごいよ」

という、珍しがられるタイプ、気を引いてしまう、驚かれるタイプは、何かが噛み合ってないケースが多いのです。

 

こういう根本的なダメっぷりというのは、教育係にあたるような人・ダメ人間を指導してきた人からも、目を丸くされ、怒られる・叱られるというより、配置換えを命じられたり、切られたり、別の道を進められたりします。

人が人を叱ったり、細かに指示したり、ある程度指導する、口うるさく言う時、できるだろうという期待があるのです。伸びるだろうという期待があるのです。

 

そういった感じで、

手放されることばかりだった人

というのは、本能的に何かを感じ取るのか、叱られることをポジティブに感じたり、新鮮に感じたり、嬉しく思ったりするケースがあります。世の中には、「君はこれに向いてないね」と判断されて、たらい回しというか、相手されずに放置されまくってきた人がいるのです。こういう人たちは、叱られることに飢えています。

逆に、叱られてばっかり、怒られてばっかりというタイプは、そういうものに嫌気がさしています。だから、うるさくしないでくれ、放っておいてくれ、と思っていたりします。何なら、好きなようにやらせてくれ、介入しないでくれ、他の道に行きたい、と思っています。だから、こういう人は他の道を進められると喜びます。手放される寂しさというか悲しみを知らないのです。

 

一番辛いのは、「のび太ほどではないが、のび太みたいなへなちょこぶり路線に寄っている」というパターンです。最底辺ではないが底辺、中の下というケースにおいては、大抵の場合、理由は環境ではなく自分にあります。なぜなら、そんなに適性の問題では無い、マッチングの問題では無いからです。このタイプが環境を変えても、同じことを繰り返します。ここの見極めが難しいのですが、このタイプは環境を変えることが、結果、自分を腐らせ、自分を追い込みます。取り返しのつかない悪化を辿ります。負け癖、逃げ癖がつくだけです。ひたすら環境を変えて、一見すると良くなっているように感じますが、気がつくとどんどん落ちてたりするのです。多くの場合、現実世界において、ダメ人間とされるタイプは「のび太ほどひどくはないが、でものび太っぽい」という感じでしょう。ダメダメではないが、ちょっとへなちょこで、そして射撃の腕のようなものも無い。まさに下の中、中の下。この辺りが辛いところです。

 

あまりにもへっぽこすぎる場合、現実世界なら、youtuberだったり、お笑い芸人として生きていく道もあります。ダメっぷりが、エンターテイメントに昇華されるかもしれないのです。しかし、「そこまでへっぽこではない」という場合、まさに「へっぽこ街道を行くにしても上には上がいる」という状態。ダメ人間にも「上には上がいる」のです。学校社会でも、常軌を逸したおバカや天然ちゃんは愛されていたり、周囲から世話を焼かれていたりするものです。世の中には、いるのです。可愛がられる人たちです。こうやって、人に世話をされる才能がある人たちが。でも、大抵の場合、この域に届かないでしょう。この場合、テレビやネットでネタにすらしてもらえない辛さがあるわけです。周りの人たちが世話を焼いてくれるわけでもありません。

へっぽことしてもスルーされる、埋もれてしまう、これだと生きる道がありません。

 

のび太はギリギリ、ドラえもんに世話を焼かれて生きていると言えます。

漫画の主人公になるぐらい、ドラえもんに助けられるぐらい、のび太には「ダメっぷりの才能」があると言えるでしょう。

 

のび太には、実は、

  • 射撃
  • ドラえもんに世話を焼かれる

という才能があるという見方もできなくない。

 

出来杉はどうでしょうか。

出来杉の辛いところは、とにかくエリートとしての振る舞いを求められていることです。

意外と知られていないことだったりするのですが、世の中のエリートというのは、やはり家系がそういう雰囲気であることが多く、周囲からプレッシャーを与えられる中で窮屈な思いをしながら生きているケースが多々あります。また、出来杉のような人間は、相応のコースを歩みますが、上に行けば同じような人間に限定される母集団と接続して、「上には上がいる」とうなだれることもあります。地方の神童に限って、東大などにいって、財力や地頭で頭抜けた人材に触れて劣等感を感じやすいのです。上の世界ではまた、上の世界なりに序列があります。求められる基準は高く、さらにその中でコースが分かれるのです。

心理学でよく言われるダニングクルーガー効果(無能ほど自己評価が高い)というのは、無能だとそもそも上に触れる機会が無い、ということも関係していることでしょう。

地頭も良いのでしょうが、日々、勉強に精を出すという犠牲も払っている。のび太スネ夫ジャイアンはよく遊んでいますが、一方彼は日々勉強しているでしょう。

 

出来杉的な人生で一番辛いパターンは、

上位エリート集団に接続したは良いものの、そこで挫折し、

かといってエリートとして生きてきたために下位層の世界にもまた適合できず、

ある意味で行き場を失う・半端者になってしまうケースです。これは結構辛い。

 

階層の狭間、隙間に落っこちてしまい、抜けられないパターンです。

テレビに出てくる「高学歴ニート」などはまさにそこにハマっている人たちと言えるかもしれません。そこにハマってしまい、出来杉からのび太になってしまったケースでしょうか。

 

凡人からすると、

そんな高い世界に行って、人生余裕だよなぁ・・・

と見上げるような人に限って、意外とその「狭間」にハマってしまって、苦しんでいたりすることも多いのです。

「芸能界のエリート養成所」と言われるジャニーズ事務所は高倍率で知られていますが、そこに入所し、長年生き残ったはいいものの、デビューできず万年ジュニアでいる・・・みたいなケースだと、他に行き場所を失ったり、「エリート集団」としてカテゴライズされるがそこで片隅にいる辛さというのもあります。スポーツ選手なんかだと、トップクラブで試合に出られないというのは辛いものです。

 

大体、こういう人たちを客観的に見た時、私たちが思うのが、

もっと下を見て気を楽にしたら

とか、

少し下に降りてみたら

とか、

プライドを捨ててみたら

ということでは無いでしょうか。

 

 

 

しずか的な悲哀について考えてみましょう。

八方美人・日和見主義の辛いところは、意外にも孤独だということです。あるいは、そうしないと生きていけないという苦しい立場の反映でもあります。

ドラえもん本作では、しずかちゃんはのび太と結婚します。しずかちゃんの立場に立ってみましょう。出来杉くんの家系と同じになるより、のび太と一緒になることを選んだしずかちゃん。それは、ある意味で、心地良さだったり、自分を大切にしてくれる場所を選ぶということでもあります。

しかしながら、へっぽこなのび太と結びつけば、相応の地獄も待っています。これは想像に難くありません。

八方美人・日和見主義の行き着く先は、胆力が無い以上、最後は永遠にそれで消耗し続けるか、

んで、君はどっちの派閥につくの?どっちについてくるの?

という選択に迫られがちだということです。

 

しずかちゃんは女性ですが、もし、独身でい続けると、孤独で悲惨な老後が待っています。おそらく、そう感じやすいタイプです。開き直って振り切れるでしょうか。ちょっと微妙なところではないでしょうか。

独身を謳歌する女性というのはパワフルで強い、独立する財力がある、社会的に立場や名声を確立しているタイプが多いです。しかし、しずかちゃんには何も無いのです。可愛いけど、超絶グラマラスでもないし、スーパーモデル級でもありません。峰不二子にはなれないのです。

しずかちゃんが仮に、永遠に1人、永遠に風見鶏を続けても、行き着く先は暗いのです。そして、ある意味、しずかちゃんはこれを誰よりもわかっています。まさにこの心の闇が、しずかちゃんのたまの言葉の端々に出てくる毒なのです。腹黒く見えるシーンなのです。

のび太視点で見ると、しずかちゃんは高嶺の花っぽいところがあります。しかし、しずかちゃんの立場に立つと、意外と大変なのです。

 

 

ある意味で、しずかちゃんは、スネ夫に似ています。

一方で、スネ夫の方が恵まれています。スネ夫には財力があるということです。もししずかちゃんが、「女に生まれたことは有利だ」と思っているのならば、相応に楽しめるでしょうし、それを武器化することもできますが、「女に生まれたことは不利だ」と思っているならば、スネ夫と比べた時、性別の面でもハンディがあります。

のび太の場合は、「しずかちゃんみたいな女に生まれたかった」と思っているでしょう。のび太はきっと、「男はつらいよ」と思っているはずです。男に生まれたことを不利だと感じているはずです。

のび太と付き合った場合、結婚した場合、

しずかは良いよな、キャバクラ・風俗で働けば大金が得られるもん

とか

しずかは良いよな、家でご飯作ってるだけだもん

とか

しずかは良いよな、結婚相手が選べて

とか口走ってしまうかもしれませんが、しずかちゃんの立場や性格的に、のび太のこの発言にブチ切れてしまうことでしょう。

しずかには意外と余裕が無いのです。

 

 

八方美人は、

  • 信用できる人がいない
  • 自分がわからない
  • 立場がハッキリしない
  • 八方美人でないと生きられない
  • 突出した才能がない
  • ストレスを溜め込んでいる
  • 助けてもらえない
  • 孤独になる勇気がない

というように、意外にも追い込まれていたりするのです。割と厳しい環境にあることも多いです。

 

我々がしずかちゃんを観るとき、どういう視点で観るでしょうか。

 

個人的には、

何考えてるかわかんねぇな

とか、

うーん、典型的な難しい心の持ち主だな

とか、

当たり障りなく振る舞ってるように見えて時折わかんねぇな

という感じで子供の頃は眺めていましたが、冷静にしずかちゃんの立場に立って考えてみると、この手のタイプの人が求めているのは

「絶対的に味方であり続けるよ」というサポートの声と、信頼できる人間

なのかもしれません。

のび太が、そのような声をかけて、コミットメントを約束すれば、しずかちゃんのような人間は心を入れ替えて、意外と徹底的に尽くしてくれるかもしれません。

まさに、これが出来ているのが「野原ひろし」では無いでしょうか。そして、野原ひろしに支えられて、野原みさえはあのように振る舞えているのでは無いでしょうか。のび太にその器があるのかというと、おそらく無いでしょう。

 

逆に言えば、しずかちゃん的な人間が、男女限らず、求められるのはある意味「覚悟」とか「腹を括ること」だったりします。自分が不利な立場に置かれても、苦境に置かれても、何かを貫き通すことだったりします。いわば信念的なものでしょうか。

そして、これが「強すぎる」が故に、周囲との軋轢が止まないのがジャイアンなのです。ジャイアンに八方美人性はありません。

まさにしずかちゃんとジャイアンは裏返しの関係にあると言えるでしょう。実に良く出来ています。

 

ジャイアン的な悲哀、というのは触れませんでした。世の中には、ジャイアン的な悲哀を抱えている人は少数だからです。しかし、あえて触れておくと、ジャイアン的な悲哀というのは、

トップは孤独

とか言われるようなそれです。

ジャイアンは立場を守らないといけません。ジャイアンはコミュニティを守らないといけません。ジャイアンは大義や信念を守らないといけません。これをやるのはしんどく、そのための摩擦や衝突を避けられない。何より、キャラクター的にその辛さを明らかにすることが出来ないのです。

弱みを見せたら逆に好感を持たれることもあるかもしれませんが、人が離れていくリスクがあります。弱みどころか、実際に弱っているところを見せたら、今までの振る舞いがあるだけに、急転直下、さらに攻撃の対象になるかもしれません。

 

学生時代、意外にもある話ですが、

ある時期までいじめっ子の頂点にいた人間

が、いじめられっ子の最底辺に落ちるということはあります。

男性の場合、この「いじめる・いじめられる」というのが、学生時代は暴力で決まっていることが多いのですが、女子の世界はそうでは無いので、意外とこの入れ替わりが起こっていたりするのです。女子の世界は怖いもので、少し前までコミュニティの中心にいた人間が、一気に見放されていたりします。

 

私の学生時代の例で言うと、

仲良し女子五人組の

  • A
  • B
  • C
  • D
  • E

がいて、いつも仲良く、学年の中心にいるような明るい女子集団がありましたが、この中で陣頭を張っていたというか一番力があったAの年上の彼氏A’がBとチョメチョメしてしまったのです。

Bはこの中で一番可愛く、年上の彼氏B’がいましたが、B’とA’が友達だったのにも関わらず喧嘩して仲が険悪になり、その先の出来事です。BはB’と倦怠期だったのと、A’に押し切られてしまったのです。一方でAは、Cの彼氏、Dの彼氏が別れた後に一緒に遊んでしまっており、これに起こったCとDがBの方について、Eは風見鶏的にBCDについて行き、Aだけが切り離されたというパターンです。

 

まぁ、世の中にはそういうこともあります。

 

会社世界で言うと、

あの人とあの人が繋がっていることを知らずに、無関係と思っていたあの人の前で愚痴を吐いたらそれが筒抜けで厳しい世界に置かれた、

とか、よくある話です。

最近はあまり無いかもしれませんが、「実はあの人があの人の女だった」とか、たまたま誤解が生じた・些細な不手際で物凄く嫌われてしまった相手が自分が所属するコミュニティの権力者だったという「逆釣りバカ日誌的パターン」など、怖い展開というのはあるものです。

 

ジャイアンは、

心の友よ!!!

とすがりつくのが癖ですが、ある意味で、友情に飢えている、友人関係をうまく作れていない、友達が欲しい、寂しがりな可能性があります。

フラットな関係をの作り方がわからず、上下でしか関係を作れない可能性があります。不器用な可能性があるのです。

あるいは、スネ夫的な人間しか寄ってこないかもしれない。スネ夫もスネ夫で辛いのですが、ジャイアンもジャイアンで「スネ夫的な人間しか来ない」のかもしれない。よくのび太に、都合よく、「心の友よ!」とすがりついているのは、普段身近にいるスネ夫に対してその打算性を見抜いているからかもしれない。

 

ジャイアンは、のび太の逆で、

  • 強くあれ
  • 弱みを見せるな
  • 永久の味方はいない

と教え込まれてきたのかもしれないし、あるいはそう悟って生きてきたのかもしれません。のび太的な弱さ・情けなさがなく、自分で道を切り拓いてやるという強さが行き過ぎたせいで、人間関係の構築があのような横暴になってしまうのかもしれない。

また、ジャイアン的な人間は、ジャイアン的な振る舞いを通して、敵を創造しますが、逆にイエスマン的な味方も創造してしまいます。意外とカーストの上に立って人間模様を観察しているからこそ、その手の観察を通して「人間の怖さ」を理解し、故に頂点に意固地になっているのかもしれないのです。ある意味で、国際社会におけるアメリカのような感じでしょうか。

もしかするとジャイアンは、元々はのび太だったかもしれない。のび太がずっと変われない人間だとしたら、ジャイアンは変われたのび太かもしれない。その変化が行き過ぎてジャイアンになったかもしれない。いじめっ子はいじめられっ子だったりするのです。アメリカはイギリスの元植民地です。ヨーロッパの負け組の流浪地です。

 

私たちがジャイアンを見て思うことは何でしょうか。

 

もう少しマイルドで良い、

もう少し弱みを見せても良い、

もう少し人を信じても良い、

ということでしょうか。

 

一方で、ジャイアンはその逆の強迫観念に囚われて自分を追い込んでいる可能性もあります。ジャイアンは母ちゃんの言うことを聞かねばならず、ブサイクでダメダメな妹を守らないといけない。妹はジャイアンがいなければかなり苦しい立場に置かれてしまう、縁が切れない仲間です。ジャイアンはその苦しみの中にいるかもしれない。

ジャイアンの妹は、ジャイアンがいなければいじめられていることでしょう。横暴な兄に対して、控えめで漫画家を目指している妹という設定もこれまた、藤子・F・不二雄先生の見事な発想というか人間観察力を感じさせます。ジャイアン的な人間というのは自分の過去や自分の中に、あるいは自分の周囲に、何かを抱えていて、それがそうさせているのかもしれない。過去のストーリーの中で苦しい思いを乗り越えて、苦難を生き延びてきてそうなっているかもしれない。ジャイアンを作ったのは環境かもしれないのです。

ヒトラーがジャイアンだったとするならば、これを作ったのはイギリスとフランス、アメリカだったとも言えるわけです。

 

 

世の中では、

人間関係に苦しんでいる

という声が多く聞かれます。

 

一方で、人間関係に苦しんでいる人から見れば、世の中にはそんなに苦しんでいるように見えない人がたくさんいます。

悩んでいる人は、自分だけ悩んでいるように感じるのです。

 

でも、人間関係への悩み方というのは、以上からわかるように、多様なのです。

多様な立場から生み出される、多様な悩みがあります。

 

みんな悩んでいないように見えるのは、人間関係への悩み方が違うというのと、その元である置かれている立場が違うというのが関係しています。

 

 

  1. スネ夫的に疲弊している
  2. のび太的に疲弊している
  3. 出来杉的に疲弊している
  4. しずか的に疲弊している
  5. ジャイアン的に疲弊している

 

というように、5つのパターンに分けてみましたが、

見方を変えると、

 

  1. スネ夫的に疲弊している → バックアップ無しに生きていけない(ある派閥から抜けられない)
  2. のび太的に疲弊している → 無能・無気力・不適性の負のループ
  3. 出来杉的に疲弊している → 努力と成果無しに生きていけない
  4. しずか的に疲弊している → ある派閥に付けない、バックアップが約束されない
  5. ジャイアン的に疲弊している → 頂点にいないといけない

 

ということができ、

 

のび太 ← → ジャイアン

スネ夫 ← → しずか

 

という感じで、出来杉が宙ぶらりんな感じでしょうか。

 

 

 

ーーーーーーーのび太ーーーーーーーー
|       |        |
|       |        |
|       |        |
|       |        |

スネ夫ーーーー出来杉ーーーーーしずか

|       |        |
|       |        |
|       |        |
|       |        |
ーーーーーージャイアンーーーーーーー

 

 

 

ここで不思議なのは、

  • 強者ジャイアンと弱者のびた
  • 強力な後ろ盾があるスネ夫と後ろ盾がないしずか

が仲良くすれば良いのに、補い合えば良いのに、なぜそれが発生しないのか、です。

 

現実世界でも、そういう場面は多々あります。

 

これ、答えはシンプルです。

 

実は、のび太はジャイアンが嫌いなのです。嫌っているのです。

しずかは、スネ夫を嫌っているのです。

 

のび太はジャイアンにいじめられていますが、一方で、あからさまにジャイアンが嫌いだという反抗的な意識もどこかに持っています。のび太の目には、憎しみが宿っています。何か機会があればやり返したいと思っているのです。ジャイアンに歩み寄って仲良くしようという意識が以外にも無いのです。そして、ジャイアンはこれを感じ取っている可能性があります。いわば、ジャイアンに取ってスネ夫は媚びて寄ってくる存在ですが、のび太はそうじゃ無いのです。

 

会社などでもそうですが、圧倒的に力を持っている人間は、新卒の就活生などでのび太的な態度を取る人に激昂する傾向があります。ある意味そこには、「恐怖」があります。秩序を乱すという恐怖です。何より、ジャイアンが「心の友よ!」と大泣きするタイプである以上、ジャイアンタイプは潜在的にフラットな関係構築を苦手としており、それゆえに上下関係に走っているので、スネ夫のように媚びてこず、またあからさまに「仲良くする気がない」「嫌い」「反抗」という態度を見せる相手には徹底的に攻撃します。

これはアメリカが反米政権に対して取る態度とも同じです。

上に立つ人間は、上に立つからこそ、下に落ちる恐怖にいつも苛まれています。その危険因子に対しては常に過剰気味に反応します。

 

 

そして、しずかちゃんはというと、スネ夫に対して、

あらスネ夫さん、その話良いわね

と、まるで自分に無いものを埋めるようにスネ夫についていくが、心中穏やかではありません。なぜならば、「ある意味何もない」という意味では自分と似た相手であり、その違いは「生来の何かに恵まれたかどうか」の違いであって、一見すると魅力的な、自分に無いものを備えていて強烈にバックアップしてくれそうな相手とは、やがて衝突を生みます。これは嫉妬なのでしょうか。

しずかちゃんが出来杉くんを好むのも、「与えられているものが多いスネ夫」よりも、自分の能力が溢れている出来杉くんの方が、魅力的に映るからでしょう。ある意味で、しずかちゃんの「器用貧乏」の先にある「パーフェクト人間」が出来杉です。しずかちゃんと出来杉の仲は良いです。結局しずかちゃんはのび太を結婚相手に選ぶわけですが、基本的に結婚以前はのび太より出来杉になびいています。

ただ、しずかちゃんはスネ夫やのび太をそういう対象に見ることはあっても、スネ夫は無いのです。スネ夫には無い。不思議なことに、しずかちゃんは、ジャイアン、のび太、出来杉とエッチする可能性はあっても、スネ夫とは無いのです。これは不思議と言わざるを得ません。もし、2人が顔を知らない関係で、しかもしずかちゃんが金になびいて交わることがあっても、ノーマネーでスネ夫と交わる可能性は皆無に近いのです。しかもしずかちゃんはそもそもそんなにお金に困っていません。スネ夫は知力はしずかちゃんより下で、体力はちょっと勝るくらい、そしてイケメンでも無いのです。

 

何より、スネ夫というのは、いやみったらしく、その全ての源泉がジャイアンと親にあり、特に親が財力の源泉というのは

スネ夫ママと嫁姑の関係性になる

ということです。

 

しかもスネ夫はマザコンです。

 

しずかちゃんがお金に飢えてる度が高ければスネ夫家と結びついたでしょうが、しずかちゃんは本人にパッとした能力がないものの、そこそこ可愛く、貧乏というわけでもありません。

 

これは国際関係で例えるとわかりやすいでしょう。

 

アメリカがジャイアンだとして、

日本がスネ夫だとした時、

しずかちゃんはタイです。

 

 

そもそも、日本人の多くが「しずかちゃんとスネ夫の相性は悪い」と考えているらしく、しずかちゃんは誰と結婚したら幸せになるかというアンケートで、スネ夫はやはり最下位です。

 

1位 出来杉君 47.15%

2位 のび太 40.55%

3位 ジャイアン 6.6%

4位 スネ夫 5.65%

 

 

しずかちゃんは、

  • 出来杉のお母さんと嫁姑関係になる可能性
  • スネ夫のお母さんと嫁姑関係になる可能性
  • のび太のお母さんと嫁姑関係になる可能性

を冷静に考慮したに違いありません。

 

 

(続く・・・)

 


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。