ジェイエイブラハムとかダンケネディをそろそろ卒業したい人が「意識すべき3つのポイント」がある。
1つは、二人とも高卒である、ということだ。
高卒と大卒は、人間としてモノが違う。教養のベースや、論文構築経験などが全くもって異なる。そのため、ここに課題意識を持つと良い。
ジェイエイブラハムは、辞書を買って、丁寧に言葉を覚えたという人だけに、言葉の運用には精緻な部分があるが、「ロジック」がめちゃくちゃな部分がある。だからこそ天才的な発想みたいなところがあるが、正直、イチローみたいに、簡単なことを、さぞかし深淵な哲学がありそう、みたいな雰囲気を漂わせながら自分の言葉で語りすぎてしまうところがある。はっきりいうと、体系性や再現性に関する意識が弱い。
要は、会社とかで上司になり得ないみたいなところがある。
おそらくこの二人には、数学的センスはない。特にダンケネディには一切ない。ジェイは「exponential」という言葉を使うところからも多少はセンスがありそうな気がするが、ダンは全くない。
ダンは「THE高卒」ということで、愚直・端的・具体的なことしか話さない。だからこそ良い部分もあるが、それが限界をもたらしていると思う。
名探偵西園寺 理転の思惑(ストラテジー) 〜数学オール1からの軌跡と神学論争〜
2つ目は、その天皇性である。
二人とも、(キックバック報酬構造もあろうが)取り巻きに持ち上げられている立場の人でもある。これはジェイエイブラハムも同じである。二人とも、周りの人間の利益のために祭り上げられて利用されている天皇みたいなところがある。つまり、過剰に持ち上げられ過ぎているところはどうしても否めない。
こういう構図は世の中で散見されていて、「神輿として担がれている人」というのがいることには注意したい。
すごいすごいと言われているからすごいのだ
という発想でいると、やっぱり、ずっと「宗教教徒」みたいな状態を抜け出せないと思う。それは情弱と紙一重である。
もっと、目の前の仕事や課題にアタックして、それに対して意識を持つべきだ。今自分が何をやっていて、何で行き詰まっているかを考えるべきである。
実際のところ、「安心感」みたいなものに縋っている現実を直視したほうが良い。
3つ目は、きちんとデータで考えられるようになることである。
データの直視から逃げていては、やはり大人になれない。きちんと、データを前にして、データに向かって考えられるようにならないといけない。この世界に進めるかどうかが、「情弱属性」から抜けられるかどうかの分水嶺である。
そこから逃げて、
- 好きなことをやる
- 我流でやる
- 自分の天才性を発揮する
みたいなことに向かえば向かうほど、ドツボである。なぜなら、それこそが情弱の証である。
世の中にはそういった情弱属性を囲い込むような罠が張り巡らされている。
もちろん、おおむね、このデータの扱いというのは、「大卒」じゃないと苦しい部分はあると思う。実際、世の中の仕事で、データを扱う仕事において高卒を受け入れているところは少ない。だが、それこそがまさに、社会階級を分けている部分であることに気づいたほうが良い。そして、英語なんかよりももっと大事な部分であると言える。
youtubeチャンネルなり、GA(google analytics)なりを導入すれば、データをいくらでも見ることができる。それらのデータを見て、自分なりに試行錯誤をする、ということは別に高卒でもできるはずである。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。