戦争・軍事利権がある外国には絶対に勝てない。

オリラジの中田さんが言う通り、

幕末からはひたすら諸外国に翻弄されています。

結局、

  • 外部の論理
  • 外部の論理に基づく内部の論理

でごちゃごちゃとしていて、内部の論理に関して具体的に「藩閥政治」「政党政治」「軍部政治」が挙げられているという話。

ヒトラーの時もそうだったけれども、経済が停滞すると軍部が強くなってくるというのは自然な流れで、諸外国には国家元首に「なんとか大佐」とかがいたりする。それはクーデターの果てにそうなったかもしれないし、ナポレオンみたいなタイプかもしれないし、いろんなパターンがある。

 

ぼくも直接戦争を知っている世代ではないのだが、ぼくらの幼少期にはまだまだ戦争の悲惨さみたいなことを感じさせるものが多かった。ぼくが住んでいた駅前商店街は、もともと空襲で焼かれて全部無くなった後に徐々に闇市が立ち並び、それが発展してできた。日本全国どこの商店街もほぼ似たようなものだったろう。とくに山口県宇部市の炭鉱の町にある駅前商店街だったので、荒っぽさが残っていた。ぼくが生まれた昭和24年は終戦後とは言っても、まだまだ戦争の影を引きずっていて、それは30年代ぐらいまでは続いていたのではないか。傷痍軍人が首から募金箱を下げてアコーディオンを弾いていたり、身寄りがなく家を失った人たちが町のあちこちにいる。宇部は朝鮮半島に近いので、戦後、母国に帰っていく同級生もいた。炭鉱のブームもあり、荒っぽい炭鉱労働者が町を跋扈し喧嘩も絶えず、時には暴力団同士の権力闘争もあった。商店街では、万引きは日常茶飯事で、子供の頃用事もないのに店にいると、一週間に何度か店番の人が万引きした人を追っかけるのを見かけた。戦後はそんな時代だった。ぼくの父親は、戦時中かなり長い間満州に行っていた。戦争中、日本軍がいかに悪いことをやってきたか、現地の人たちをいかに暴力で支配してきたかについて、ことあるたびに語っていた。自分がやりたくなくても、上官の命令には絶対服従なのだ。今の政治家は世襲制に近い人たちが結構いて、それも戦争を知らない二世三世ばかりで、タカ派的、国粋主義的な考えの人も多い。P89〜90

1949年生まれか。若く見える。

戦後日本の荒廃ぶりというのは、意外と若い世代には知られていない。

アシックスの創業者も、戦後荒廃について詳しく語っていた。

累々と続く倒壊した家やビル、焼け跡・・・時々、殺人や強盗などの物騒な事件も発生し、子供たちは栄養失調で干からび、立っているのがやっとの有様、日常的に餓死者も発生していた。「希望」と言う文字をどこかに置き忘れ、川に身を投げ、あるいは首をくくって自殺する人間が後を絶たなかった。ーp35

次々と三宮の闇市場に集まってきていた。進駐軍相手に売春行為を繰り返す少女たち、俗に言うパンパン。麻薬、覚せい剤に溺れる者。洋モクを売る者。靴磨きをしてその日の食い扶持にありつく者。ーP38〜39

戦後の荒廃した日本の中では、

  • 自殺
  • 薬物
  • 窃盗・強盗
  • 強姦
  • 売春
  • 暴力団の争い

というものが絶えない時代だった。

この時代に、R&B(リズム&ブルース)ならぬ、B&B(ビジネス&暴力)で台頭してきたのが今の社会にも根付いているアングラな世界。

起き出した父が外に出てみても、そこにあるのはただの焼け跡だけです。夕方暇になると、よく一緒に散歩しました。麻布のその辺りから国会議事堂まで、みごとなくらいなにもありません。ずっとなにもないはるか向こうに、議事堂だけがぽつんと建っているのが、見えるだけ。あとは壊れかけたビルや焼き焦げた材木ばかりの見渡す限りの瓦礫の中の道を、父はステッキをつきながらサッサと足早に歩いていきます。

そんな散歩の折に、父は繰り返し言いました。

「見てごらん、いまに立ち直るよ。必ず日本人は立ち直る」

(麻生太郎の母親の述懐)

アメリカやヨーロッパの強い国、それから中国にロシアなどは、軍事力を背景にして自国の権益を守っている。それに根付いた自国のビジネスを育てているのだから、究極的には大国のビジネスが強いのは当たり前。日本は戦後、吉田茂の構想によってアメリカの傘の下で経済発展をしてきた。

政治家にしても、政治家に投票する国民にしても、世代間で意識が違うのは当たり前。

そして、年寄りは比較軸に「過去の悲惨な時代」を持っているから、物事をそれで捉える傾向がある。今は良い時代だ、と。でもね、残念ながらそれは若い世代に通じない。戦後焼け野原から復興して・・・・とか、ぶっちゃけ、どーでもいい。いきなり70年前・80年前の話を出されると、話がちゃぶ台返しにあったような気がしてしまう。

しかしながら、現実問題、今の日本の政治に向かい合っている人や、それを動かしている人(政治家・投票者含め)は、比較軸に戦時中・戦前の歴史が頭にある。なぜなら、この国の成り立ちと経済の基盤を捉える上で欠かせない視点だから。

 

世界の現実として、強い国が自国の権益・国益を拡大している。アメリカがあれだけ戦争ドンパチやっていても、それだけのことを続けてこれたのは、彼らは「アメリカの利益」ということで共通しているからだ。なんやかんや、国益主義を綺麗に通している。

ところが日本は世代間で断絶している。日本全体のパイを大きくすることではなく、限られたパイを奪い合うことや、縮小するパイを奪い合う事になっていて、そして年寄りは若者を騙し、脅している。残念な事に、年寄りがいくらマインドコントロールをかけようと、若い世代はその血沸き踊る野望や欲望のために、あらゆるリスクを背負ってでもチャレンジしようとする。まぁ、今の所は若者はうまく言いくるめられているようだ。でも、それがあちこち、世代間対立の不満として出てきている部分はある。

「国を守る」

「平和」

「諸外国からの危機」

「豊かな世の中」

という言葉が踊っているけれども、日本の世代間の意識ギャップは凄まじいし、戦争世代は大体死んでいて、実際に戦争に行ってない世代が戦後の道徳を支配して、戦争をあたかも知ったかのようにして振りかざしている事も知っている。バレている。じゃあ、だからと言ってどうなのか・・・ではあるけれども、「儒教思想」と、「世代別の国家意識の違い」「世代別の経済観念や生活観念の違い」がうまく噛み合わずにバラバラになっている。しかし、レガシーなキャリア・界隈では、うまーく昔ながらのやり方が上から下まで浸透していて、この界隈はそれなりに充実した暮らしをしている。だから大人しくなる。そしてだからこそ、新しいものが生まれなくなる。変化しなくなる。優秀な人材がそこに吸い取られてしまう。外資系に持って行かれてしまう。それは悪い事では無いけれど、そうやってヒエラルキーが示されることによって、日本の末端・下々にまで、「これが優秀のベクトル」「これが賢さのベクトル」「これが勝ち組のベクトル」というのが浸透して、到底そこにリーチできないような人たちが一生懸命に大前研一の本を読んで羨ましがるという謎の社会資源の浪費が起こっている。

 

幕末と同じだけれど、

  • 内紛でごちゃごちゃして死ぬか?
  • 外来の脅威で死ぬか?

というテーマは再度突きつけられる事になる。

福沢諭吉は、日本の開国や近代化について、こう語っている。

西洋文明はまだまだ完全ではないが、今日の人類が到達し得た「頂上の地位」にあるのだから、文明半開の段階にある日本は「西洋文明を目的」とするしかないと説くのです。ここに、西洋文明の不完全さの問題と西洋文明を目的とすることとの、矛盾を内包した緊張関係が予想されますが、さしあたって福沢は、この問題を西洋文明の段階を経過しないとその先には進めないという発展段階説で切り抜けています。ーp159

そう、つまり、明治の近代化は一時的な対策

なんなら、戦後の吉田茂が取ったのも一時的な対策。

共通するのは、

とりあえず今は仕方なく欧米・西洋のやり方に寄せとけ

というもの。

これをずーっと続けてきた。

 

そもそも、先人はなぜ必死に戦ったか。国益である。日本人の歴史を振り返る上で、絶対的に間違っていたことというのは多分無い。根底にあるのは国益の追求である。その形がどう出るか、でしかない。結局、昔から弱小ゆえに苦しんできた。何をやっても苦しい。倫理的な是非ではなく、シンプルに、「日本人は弱い、日本は弱い」ということを認めなければならない。

格差の固定化、階級社会、地理格差が「問題をより複雑化」させている。人によって、日本に対する見える景色が違う。

 

どれだけ内々の議論で進めても、内部で分裂し、格差が生じれば下層がしぼんでいくのは自明の理。古今東西の事例を見ても、格差が広がりすぎた社会統治は持続していない。日本は結局、自分の首を絞める展開を続けている。外を見ずに内々にやっていても沈んでいく。そして、外ではうまく勝てない。

だったら、「成熟国・弱小国」として国民のQOLに根ざした運営をしてみたらどうか。それすらできないから、不満も高い。弱い、勝てない、不幸、それが日本。いっそ、大日本的主義発想をやめたらどうか。この点については鳩山氏が言及している。これも間違ってないと思う。

結局は安倍さんがやろうとしていることは、大企業、いわゆる輸出企業にとって、最もやりやすい国家をつくるということで、それは長期的に見れば、必ずしも国民一人一人の幸せとは結びつく話じゃないということに、もっと国民が気がつかなければならないのだと思います。「脱大日本主義」という本を私は書きましたが、結局は自民党政治とともにずっと続いてきた大日本主義的な発想、つまり、誰もやらないことをやりたいとか、強い国にして、戦争ができる国にしたいとか、経済は強くなったが、経済以上に政治的にも世界の中心で輝く国にしたいといったことを安倍さんはおっしゃっていますが、そう言ったことを安倍さんはおっしゃっていますが、そういった国民のためにどうするかではなく、大国主義的な発想がまず、彼の頭の中にはあるように思えてなりません。

でも、現実はどうかといえば、国にはもう将来、一億人を間違いなく切る時期が来るし、そのときには4割近い方が高齢者なのです。もう成長を競うような時代ではなく、いかにして成熟国家として、一人一人の幸せというものをつくりあげていくかということが求められているときに、一人一人の幸せではなくて、自分の幸せという意味では、憲法改正でしょうし、大企業の幸せというのは考えているかもしれませんが、どう考えても、今の成熟社会の一人一人の幸せを優先して政策をつくりあげる人ではないのでしょう。

確かに。

鳩山由紀夫はめちゃめちゃ叩かれているけれども、外交に下手こいたこととアメリカに嫌われた事も大きいことは見逃せない。そもそも小沢一郎も鳩山にしても田中派の系統である。つまり、対米自立。

歴史上、対米自立を打ち出した総理大臣は皆、短期で失脚させられている。

結局のところ、「対米従属スタイル&日本のエスタブリッシュメントウハウハ・格差拡大」が強調されすぎて不満が高まると、一時的に逆サイドの政治が政権与党になり、これが外交そのほか行政執行を下手こいて反感をもらって、「やっぱり自民党だよね」という感じでプロレスをされていてもおかしくは無い。なぜなら、日本の行政機能にはだいぶアメリカが食い込んでいるし、日本経済は諸外国との関係なくしては成り立たず、おまけに「立場が弱い元敗戦国」なのだから、日本のトップがすり替わっても、それ以下のレベルで妨害をすることは簡単である。

民主党時代は「国民の生活」という視点では、経済は良かった。歴代の内閣総理大臣の中でも最も高学歴の部類であって、お勉強ができなかったわけでは無い。ただし高学歴=頭が良いの仮定は疑問である。

鳩山家の伝統に漏れず東大に進学したが、「これからはエンジニアリングの時代」と法学部でなく工学部を選んだ。当初から政治家志望で法学部を選んだ弟・邦夫のほうが成績は良く、自身は1年前の模試で「合格率5%」と言われ、腹を立てて2度と受けなかった[6]。しかし猛勉強により巻き返しを図り、東大合格を果たした。なお息子の紀一郎も東大工学部出身である。1969年東京大学工学部計数工学科を卒業後、スタンフォード大学博士課程オペレーションズ・リサーチを専攻しPh.D.を取得(1976年 博士論文はシステムの信頼性解析に関するもの[注 1])。-wiki

「東アジア共同体」についても、思想や方向性としては間違ってない。

あの時代にそれをパブリックな場で言えたのはさすがだったとは思う。

あの時代には散々売国奴と叩かれたが、結局、日本は中国にぶち抜かれて置いていかれているし、(そうなる率は低いけど)朝鮮半島が統一すればまず勝てない。そして、インドにもとっくに抜かされている。っていうか、この辺りは売国云々の前にジムロジャーズとかも同じことを言っているからね。

 

わかっておきたいのは、経済的な弱さは「軍事的な弱さ」「命の危機」にも繋がるということ。

第一次世界大戦後の荒廃したドイツから、ナチスドイツ・ヒトラーが生まれてきた経緯も忘れてはいけない。そして、ヒトラーに関しては戦争に突っ込む前は、「ドイツの歴代史上、最も優れたリーダーだったのでは」というぐらいの経済政策に対する評価はある。戦後の日本においては、荒廃する日本の中で、『日本人の国民生活を』『飢えで苦しむ日本国民をまず第一に』と考えた吉田茂路線によって、ひとまず対米追従しつつ、日本の経済発展を最優先した。その頃から、日本は軍事を「安くアウトソーシングする(世界最強のアメリカに任せる)」という路線で、利益も不利益もあった。

内政上、アメリカとの関係に関することでは、密約も、隠蔽した事も多いだろう。

 

そこで出てくるのが「ブロック経済」だ。ブロック経済とは、共通通貨を使う「自国と植民地の間だけ」で行われる排他的な貿易体制のことだ。確かにこれならば「同じ通貨を使うエリアでのやりとり」だから、為替リスクは避けられる。

しかしブロック経済は、戦争へのカウントダウンに等しい。なぜなら絶対、植民地の少ない国が不平不満を言い始めるからだ。ちなみに、植民地を多く持っている「持てるブロック」の代表格は、イギリスのスターリング・ブロックやフランスのフラン・ブロック、アメリカのドル・ブロックなど。

逆に「持たざるブロック」は日本の円ブロック、さらには第一次世界大戦で敗戦国となったドイツなどは、ヴェルサイユ条約のせいで植民地すら持っていない。こりゃ、ドイツがヴェルサイユ条約を破棄して軍備増強を始めるのもわかるよ。

この後、当然日本やドイツなどの「持たざるブロック」は、植民地の再分割を求めて暴れ出し、それを止めようとするイギリス、アメリカ、フランスらとぶつかることになる。https://diamond.jp/articles/-/60474?page=7

ブロック経済はなぜ戦争のカウントダウンか?戦争と経済はどのように結びついているか?についての記事。

 

「日本の原子力政策は対米協調を基軸としており、先の日米首脳会談でも濃縮ウランの『第4工場』を日米合弁で建設することになっている」

しかし、メスメルは食い下がってきた。「では、フランスが加工する濃縮ウランを日本が買い取るのはどうだ」。これに対する角栄の言葉に周囲は息をのんだ。

「どの程度か量は言えないが、将来濃縮ウランの加工をフランスに委託する用意がある」

「この言葉が米国の虎の尾を踏んだのでは……」。小長は今、そう思う。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28206730W8A310C1905S00/?df=2

 

アメリカの虎の尾を踏んだ?

田中角栄に関する記事。

 

日本では政治や国家を語る上で、

  • この路線はイメージが悪い
  • この路線はとりあえず大丈夫

というものがあるけれども、まずそこから刷新しないといけない。結局、日本がどういう構造に成り立っているかを考えれば、抵抗勢力によって国民に対して「この路線は危ないですよ」「この路線が戦後日本を作ったのですよ」と刷り込む事は可能。

自民党なんて、「投票率が下がれば相対的に組織票が強くなって勝てる」事はわかっているし、歴史・伝統的に「短期的に対米追従、長期的に対米自立」というスタンスの元で長年政権与党を担当して現在の枠組みを作ってしまったこととアメリカとの関係があるのだから、仮に野党が新しい政権与党になったとしても、システマティックショックを起こされたり、不祥事を拡散されたり、日本人がアレルギーを持っている「戦前・戦時中の苦い記憶」を利用されて外交危機だったり国防危機をイメージ戦略に利用されたりすれば、コロッといく。

 

日本人の政治観や国家観を刷新するためには、すでに日本より豊かになっているシンガポール初代首相の李光耀の

  • 人間は平等であるべきではない
  • 民主主義は欠陥

という話にも耳を傾けておくと良いだろう。


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。