結城浩の学歴を読書家の俺が予想する

 

数学の本をいろいろ読んできたけど、

東大卒が書く数学の本には2つの傾向があって、

  1. あからさまに定規杓子的に難しいことを書く
  2. 超エクセレントに難しいことをエレガントに説明する

感じがある。

東大卒ってのは、そもそも小さい頃から特殊な環境で育ってきてて、それこそ理三の河野玄斗みたいに小さい頃からガチで出来るみたいなタイプ、つまりIQ的な部分でも生育的な部分でも(彼は親は東大、教育環境も良し)普通とは違う、だからエリート・秀才すぎるため、「できない人の気持ち」がわからないタイプ。

自分の中での自明と他者の自明の乖離がありすぎる。

そういうのは1っぽい書き方。

 

稀に、「この人、本当に頭が良いというか数学を本当に理解してるんだな」という人が2のエクセレントな書き方をするけど、これは本当に稀。後、数学教育が長い人。でも大体、理3ではない。理1とか理2とか。

こういうタイプは、数学の見方・体系を自分で分解してリバースエンジニアリングしてる感がある。あー、自分で解法作ってるわ、この人、すげーわ、的な感じの人。

(歴史上の数学の発展に貢献したタイプの系統寄り)

 

京大卒の場合はどうかというと、以上の1タイプも多いけど、2タイプ系統は京大版はなんていうか、シンプルさがない。ちょっと複雑。なんか、捻った見方するんだなーみたいな感じ。

 

結城浩はどちらも当てはまらない感じがする。

東大京大ではないと思う。っていうか、東大・京大で学歴を公開しない人ほとんどいない。損が大きいと思う。

 

あと、東大京大でプログラマになる人あんまりいない。

ホリエモンが語ってた通り、彼が学生時代、IT系とかに行くのは落ちこぼれだったんだよね。外資とかIT行くのは昔は変だった、って結構よくいうでしょう。あれ。東大生とかはその時代の保守的な上流しか行かないから。就職で博打するのはあんまりいない。んで、ホリエモンと同じくらいの年代か、それより上でしょう。ということは、東大京大系は考えにくい。

 

結城浩の筆致は、数学ガールとかで物語風にわかりやすく教えてる風に見せて、パッケージをユーザーフレンドリーにしたUIなだけで、教え方がなんていうか、ある程度教科書トレース的というか、そこにオリジナルのリバースエンジニアリングは見受けられない。ただ説明を丁寧にしているだけという印象。

だから、上記の東大系の1、2タイプではないと感じる。

早慶って言われても納得するし、GMARCHって言われても納得するし、大学出てないって言われても納得するし、海外大学って言われても納得する。

でも、日本の東大・京大っぽくない。

逆にいうと、日本の東大・京大の人材の質というのはやっぱり、かなり偏ってると思う。

 

東大京大というプールだと多様性はあんまりなくて、社会的活躍っていう点で早慶とかが強いのはあのプールに多様性があるから。

あんまり勉強ばかりさせすぎるのも、やはり能力が偏ってしまうのだと思う。あまりにもハイレベルで甘くない大学は、人材の質に偏りの歪みが出る。

 

 

 

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

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(Saionji General Trading & Business Development)

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Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。