楽に生きられる方法に辿り着いた

例えば、「若い頃からコツコツと計画を立て、一生懸命に勉強をし、良いコースを歩みましょう、働き始めたら節約しましょう」みたいな教えがあったとする。それに乗っかったとしても、人生はマラソンみたいなものだから、あとあと苦しくなる人とか沢山いる。苦手なこと、続けられないことをやるのなら、出口をちゃんと考えておかないといけない。負のループにハマることになる。若い頃は当時、花形とされていた某証券会社とか某銀行で働いていたのに、その後体を壊して・・・・みたいな感じになったおじさん、おばさんと若い時喋ったことがある。結構なコースを歩んでいたはずなのに、30代、40代になるとそんな貧乏なるんだ、ってびっくりしたな。

逆に、若い頃、本当めちゃくちゃやっていて、酒、女、遊びに明け暮れていたんだけど、その時に身につけたコミュニケーション術とか処世術を活かしてボンボン出世して、おっさんになる頃にはいい感じに仕上がった人とかも見たことある。最近はyoutuberとかで、一般人がサクセスしていく様子をマジマジと見せつけられる。あんなデカイ規模じゃなくても、世の中にはいろんなサクセスの事例がある。メディアを介して聞く話、知人を介して聞く話、実際の周りの話・・・・・。成功には、様々なパターンがある。そして、どれもが一つの凝り固まったものではない。登山ルートはいくらでもある。

大人になってだんだん感じるようになったのは、楽に構えた方が良いな、ってこと。

人は、多分、どこかで必ず一定の努力が必要なんだけれど、その努力というのは方向性を間違えると見事に砕け散る。でも、最初からパーフェクトに努力が報われる人生を歩める人は少なくて、誰だって挫折するんだよね。失敗する。一番怖いのは、この努力とか頑張りを全くしない人間になり、自分にとって向いている方向性を探し当てることすらしなくなること。こうなると確実に成功しない。

コレが怖い。

あんまり気張りすぎると、(向いていないのに)何かに執着してしまって、そこで粉々に砕け散ったら「もう無理だ・・・」みたいな感じで全部に悲観的になったり、自分の苦い経験で荒んでしまった性格を人にぶつけてしまったり、そもそもその人が人生面白く無くなったり・・・と良いことがない。

 

楽に構える → 人事を尽くして天命を待つマインドになる → 結果を受け入れる → 失敗したらしたで「何かを学習した」と思う → 切り替えて別のことやる → どうにでも食べていける → また別のことにチャレンジする。ただし、過去学習した経験を活かして

こういうことを繰り返していると、絶対、何か当たりを引く。私はそう信じている。

失敗を過度に恐れてしまうのは、おそらく、そのコースの中で結果以外に価値がないと思ってしまっていて、プロセスの価値を視界から捨ててしまっているからだ。そして、金銭的な対価とか待遇ばかりに目を当ててしまう。

そんなに肩肘張らず、面白いことをやっていたら、プロセスからそれなりに報酬が得られる。何かある。経験値が得られる。だから、あんまり、成否にこだわらなくなる。それは成否をおろそかにするということではない。成否というのは気持ち一つでどうにかなるほど甘いものでもないので、プロセスを丁寧に、大事にしていけばいくほど「成功のためのファクター」を見つけたり、「自分の向き不向き」がわかったりするってこと。

 

一般論として、「貯金した方が良いですよ」とか「安定した職業についた方が良いですよ」とか言われるけれど、それは一般論であって、自分に当てはまることなのかはわからない。流行りのスイーツショップですよ、と言われても、そのスイーツショップが自分にとって美味しいのかどうかはわからない。友達が「あの子かわいい」って言ったからって言って、自分もその子を好きになるなんてのはおかしい。

だからまぁ、世の中のことなんてシカトだ。

人生、どうにでもなるさ、という勇気を持ち、今の安定が続く保証なんてどこにもない、という気持ちを持てば良い。インスタとかフェイスブックばかりやってたり、テレビばかり観てたり、無駄に同窓会に出てたり、友達と会いすぎてたり、結婚式に参加しすぎてるから、洗脳されてしまう。自分にとって、何が本当に大事なのか、自分にとって価値がないのは何か、自分は何がしたいのか・・・・ということを自分の中でしっかりと考えておく。

人は大人になる過程で、中途半端に社会性とか、人目を気にすることとか、他人に迎合することを覚える。その結果、どうなるのかというと、自分の中にある固有の資質を殺しかけてしまう。でも、完全に殺すのは無理だから、わずかながら残った自分らしさと、社会人向けにカスタマイズされてしまった自分の中で、常に葛藤を起こす。モヤモヤしながら生きる。そしてどこかで爆発したり、心身不良になったりする。

 

楽に生きるためには、失敗とか挫折とか、NOを受け入れるということだね。世の中って面白いもので、生きているうちにいろんなところから

「あなたはいりません」とか

「あなたは失敗しました」とか

「あなたは負けました」とか

「慎重なる選考を重ねましたところ、残念ながら、今回はご期待に添えない結果となりました。多数の企業の中から弊社を選び、ご応募頂きましたことを深謝するとともに、○○ 様の今後一層のご活躍をお祈り致します。株式会社××採用担当」とか

「ごめん、別れよう」とか

「あ、ごめんなさい、急いでいるんでそこどいてもらっていいですか?」とか

という風にNOを突きつけられまくる。

 

そうやってくると、消去法的に自分の道が見えてくる。これは、個人的に

負けトーナメントの哲学

と呼んでいる。あ、西園寺さんの商標登録です、これ(嘘)。エジソン的なノリだね。失敗すればするほど、学習する、経験していくってやつ。世の中的には、失敗したらそこから学んで、改善しましょう、みたいに教えられる。でも、まずは、いろんな失敗をすることで自己理解を深めることから始めた方が良いのかもしれないと思う。

まずは、失敗というフィードバックを繰り返すことで、自分という人間を知る。

 

例えば、ナンパして女性に「うざい」って言われたからって、

「くそー!!整形してやる!!YES!!高●クリニック!!」

というノリで整形しに行くのは気が早い。なぜなら、A子ちゃんに「キモい」と言われたその顔は、B子ちゃんには「イケメン」と言われるかもしれないからだ。

エリート街道を歩みまくっている人、それなりに順当に生きてきた人、挫折していない人たちは、失敗や挫折をビビりすぎる。でも、いろんなことに手を出して失敗しまくればしまくるほど、あることに気付くようになる。

そう、「自分の輪郭」が見えるようになる。

修正とか改善みたいなものは、その輪郭が見えてからやった方が良いのかもしれない。

 

こうやって考えると、人生、失敗するのが楽しくなってくる。

挫折するのが楽しくなってくる。

 

なぜなら、それは貴重なデータなのだから。貴重な情報収集の機会なのだから。だから、肩肘を貼りすぎず、かと言って怠けすぎず(というのは、あまりにも怠けすぎると、その対象と向き合わなかったことに等しくなるので、適性が見えてこない)、川の流れのように生きていたらウマイとこハマるところを見つけられる。少なくとも、「ここは自分には向いていないだろう」って所が見つけられるようになる。

ただ、一つポイントがある。

それは、

変な見栄張りとかよりもサービス精神

を持って生きるということ。

人は誰もが「自分本位」で生きているけれど、なぜかこの領域は、自分本位のエゴを少し抑えて活動できてしまう、とか、なぜかこの領域は自然と他人のために頑張っちゃうとか、なぜかこの領域は他人のことばかり考えてしまう・・・・っていうのが必ずあるはず。

あるいは、自分のためにやっているんだけど人からやたら感謝されてしまう領域とか、そこまで自分は力を入れていないのに相手にすごい価値を感じられることとか。

 

つまり、結局のところは、生きる・仕事というのは他者に対する貢献行為であって、その貢献活動について、「自然とやってしまう」「自然と面白いと感じてしまう」「割と楽にできる」「もっとこうしたら良いというアイデアが出る」「他人よりも早く終わらせることができる」・・・・という領域を探すんだ・・・ぐらいの意識を持っていると良いと思う。

貢献の形は色々ある。

喜ばせる、驚かせる、黒子役に徹する、すごい人をサポートする、感動させる、才能を引き出す、育てる、面白いものを作る、人を束ねる、技術で貢献する、・・・・・・。いろいろある。

 

なぜか知らないけれど、ウマイこと貢献できる形が見つかれば、

  • どうやって収益化する?
  • どうやって同じことを従業員にさせる?
  • どうやってシステム化する?

という風に思考を展開させていけば、自ずと楽できる機会がやってくる。だからまずは、自分自身の身を使って色々探っていくことだ。

 

これは向いていない、これは大嫌いだ、ってのがわかっているだけでも強い。

そして、多くの人がそんなことについてわかり始めるのは25歳くらいからである。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。