西園寺貴文の痺れる哲学

本当に愛せる人と出逢うのは悲劇でしかない

人にとって、本当に渇望するものは気が狂うほどそれを求めてしまう。しかし、気が狂うほど、渇望するものは手に入らない。逃げていく。そして人はそれを学習する。欲せば、欲すほど上手くいかないと知る。ここで人は、計算することを学ぶ。計算して、欲すものが手に入ることを学習した人間は、欲しいものが自在に得られるようになった頃の自分になってはじめて、あることにようやく気づく。そう、その頃の自分はもう、それを欲していないのだ。渇望し、喉から手が出るほど求めていたもの。気が狂いそうになる程欲していたもの。その気持ちを自制し、それが手に入るように頭を使って計算して動けるようになった頃の自分は、すでにその燃えたぎるような情熱はないのだ。 本当に愛せる人と出逢うのは悲劇でしかない。 なぜなら、渇望するほど上手くいかず、それを計算して上手く手に入れたところでその冷静な自分に自分で嫌気が指すだろう。また、計算して手に入 (さらに…)

やる気で悩んでいる人間って羨ましいね。私の場合、他に選択肢がなかったんだけどな。

やる気で悩んでいる奴って本当に贅沢だと思うわ。羨ましいね。よほど選択肢があるんだろうね。私の場合、選択肢がなかった。ひくにひけなかった。それしかないと思った。妥協すれば自分を殺して生きることになる、生きていて死んでいるような状態になりそうだった。 最近思うわ。 世の中では選択肢があることを過大評価しすぎ。若い人に対して『いいね、若いうちは選択肢がたくさんあって』とかよく言うけど、あれ絶対嘘だわ。選択肢はそれだけでは何の意味もないどころか、不要に迷わせ、リソースを分散させ、後悔の念を強くさせる。一生、『ああ、やっぱり他の道を選べばよかった』って思わせるからね。 松本人志が言ってたわ。お笑いがないと生きていけないって。ブラックジャックによろしく、の作者も言ってたわ。自分がいなくても漫画界は生き続けるけど、私は漫画がないと生きていけないって。 これが卓越した人間たちの姿。卓越した連中はもう、すべ (さらに…)

最近、すごく思うこと。大切なのは、憧れと信用。

最近すごく思うことがある。たぶん、これさえ知っていれば巷の自己啓発の類は全部無視してもいいんじゃない、ってぐらい。 copywritingを学べば、人が「興味→信用→行動」の心理プロセスをたどることがわかると思う。行動するためには、信じないといけないし、信じる前には興味を持たないといけない。 成功したい・成果出したいと思ったら、まず、自分が興味を持てる分野を選ぶのが鉄則。興味を持てないのに金のためだけに、とか考えるともう最悪な未来が待っているよ。 次は、信用。 この、信用が一番大事。行動の重要性を説く前に、信用が大切。なぜなら、信じる力がないと人は行動ができないから。で、信じるためにはやっぱり憧れの人を見つけるってことが一番じゃないかなぁ、って思う。 うわぁ・・・この人すげー・・・・俺もこの人みたいになりてぇ・・・・近づきてぇ・・・・・ こういう憧れを向けられる対象を見つけたら、ほぼ勝ちだ (さらに…)

何かをやって生じるリスクより、何かをやらないまま生じるリスクの方がこわかった。

昔思ってたこと。 何かをやって生じるリスクより、何かをやらないまま生じるリスクの方がこわかった。 世の中の人は、友達に影響される。友達とつるむ。友達と同じ感覚で仕事を決めたりする。それから、親に頼る。親に依存する。親に影響される。それから、学校の先生にもろに影響を受けたり、自分よりだいぶ歳上のおっさんたちの言うことを聞いてみたり・・・・・。   若いある時、病院に行った。総合病院に行った。 そして、総合病院にワラワラと集まっている年寄りたちを見て、一瞬、「こわい」と思った。   いずれ、自分もこうなるのか。 自分も、いつかは年寄りになるのか。   年寄りになると、まず友達と遊ぶってことがそれほどないだろう。友達たちはもうみんなぽっくり死んでいるかもしれない。親は当然いない。親戚連中もぼちぼち死んでいるだろうし、兄弟に関しては同じだ。子供も自立しているかもしれな (さらに…)

社畜をバカにしてるけど、私も社畜にバカにされている

そらそうでしょ。社畜をバカにしているけど、社畜にバカにされてるからね。友人・知人にもバカにされているでしょ。多分、このブログ読んでいる人も「何こいつ・・・・痛い・・・・」と思っているでしょ。 いや、まぁ、推測で喋ってるけどね。 明石家さんまが、お笑い芸人や自分について、「お笑いなんて底辺」「ネガティブになったりする人は自分に期待しすぎ」とか言っていて、マジで強く共感してしまった。いや、憧れたとかじゃなくて、普通に共感してた。そうそう、って。 西園寺さんが社畜をバカにしているのは、芸風ですよ。あ、言っちゃった。うそうそ。一応、本当に思っている。自分がやっていけない世界だからそれを否定して自己肯定しているのだ。爆笑。 自分がやっていることなんて、底辺ですよ。底辺。てーへん。 その辺の心のうちはここにも書いたけどね。 言ってみれば、芸人みたいな自分自身を笑い飛ばして、「あー、自分なんて底辺だなー (さらに…)

(1)興味(2)信用(3)行動を自分に当てはめて考えているか?

copywriting学んで、人の興味・信用・行動の3NOTを越えることばかり考えている人がいるけど、これは自分自身にも当てはめて考えないとダメよ。 人生は行動しないと変わらない、ってのはわかりきったことだよね? じゃあ、行動のためには何が必要か。それは、信じる気持ち。信じる気持ちの強さと長い期間がなければ行動し続けることはできない。そして、信じる気持ちを持つ前には興味と関心を持っていなければならない。 自分が対象について興味・関心が持てるかどうか。 そして対象を強く信じられるかどうか。 これをよく考えた方がいい。多分、ノウハウコレクターと呼ばれる人種で10年・20年経ってもパッとしない奴は、信じる力が弱すぎる。信じないなら、情報頭に叩き込んでも無意味だからね。 西園寺がDan Kennedyを評価している一番の理由は、私が彼をとことん信じられたからだね。そして、行動できた。だから人生変わ (さらに…)

西園寺が人を見極める上で見ているポイント

人は見かけとは違うものだ。本質は見かけとは違う。また、人はいくらでも嘘をつくし、自分を飾り立て、演出し、自分を隠す。 人間の本質がいつ表れるのか。 それは、プレッシャーがかかった時だ。大きなリスクがある状況の中での選択・行動。ここにしか、人間の本質は表れない。   だから、西園寺が人を見極める上で見ているポイントは、これだ。 大きなリスク、大きな危険、プレッシャーがある中での選択・行動。   金銭的リスク、身体的リスク、精神的リスク、社会的リスク、時間的リスク、各種プレッシャーがある中での選択・行動。   それしか見てない。   口先だけの人間なんて、腐るほど見てきた。オフラインでも、オンラインでも腐るほど見てきた。実際とは違った見せかけの虚勢、誇大自己宣伝、そういうことをするやつをいくらでも見てきた。 だから、西園寺が人を見るときに気にしているポイ (さらに…)

西園寺以外は儲かってるフリをする。西園寺は儲かってないフリをする。

儲かっているフリする人って、バカでしょ。ねぇ。儲かってますよ〜〜っていうマーケットシグナル出してどうするんですか。ライバルをおびき寄せるだけですよ。大御所に目をつけられるだけですよ。大資本が入ってくるだけですよ。 儲かってないフリをするのが基本でしょ。 オフラインで人と会ったとしても、私は儲かってないフリしかしません。嘘つきます。お金ないです的なフリをする。ましてや、知らん人間と交流するときに見栄とか張ってどうするんですか。西園寺さんなんて、よほど仲の良い人じゃない限りニートのフリですよ。親から遺産相続して働いてないとか、親が金持ちで親の会社で働いているとか嘘つきまくりですからね。 無職、ニート、資格試験浪人、休職中、起業準備中・・・・今までいろんな肩書きを使い分けて初対面の人間からの「何しているの?」質問を煙に巻いてきました。 オンラインにおける事業においてもそうですよ。札束とか見せびら (さらに…)

結果の平等はどうあれ、機会の平等は担保されていて欲しい・されていると信じる私

なんだかんだ言って、いわゆる「弱者」ともたまに交流してしまう自分がいる。 ネットで知り合ったニート・引きこもりの人生相談に乗ったことがある。ビジネス云々とかじゃなくて、個人的な活動として。うつ病の人とか、精神的な問題を抱えている人とかね。それから、キャバクラ嬢・フーゾク嬢の人生相談なんて結構昔からやってきたな。 なんだろな。 結果の平等はどうだっていい。本当どうだっていい。弱者・敗者は切り捨てて良い、厳しく扱って良いと心底思っている。 ただし、それは「機会の平等」が担保されているのが前提。   機会の平等は、必ず整備されるべきであると信じている。実際、今の日本社会は機会の平等は「整備されている」と言ってもいい国だと思う。諸外国と比べれば、この国はヨユーで平等だよ。   きっと、機会の平等が担保されていない国だとしたならば自分の成功が機会の平等の上に成り立つものではないこ (さらに…)

西園寺の老後への考え方(老後が不安な20代・30代は必見)

20代から、「老後が不安だ」といって守りに入っている人がいる。 バカかと思う。 ずっとそう思ってきた。 まず、根本的なところから切り込んでいきたいのだが、「老後のために若い期間を犠牲にすることほど愚かなことはない」ということ。 一体、何のための人生だろう。何のために生きているのだろう。   老後を見据えて守りに入る行為は、やり過ぎると生きる意味を奪う。 そんなことするぐらいなら死んだほうがいいじゃないか。   20代の3年を潰して80代の3年を生むような思考の必要性が私には理解できない。   人生は楽しむためにある。人生は幸福度を向上させるためにある。人生は満足を得るためにある。いずれ、私たちは死ぬ。いずれ、私たちは老いる。忘れがちなこの現実を忘れてはいけない。   いつか死ぬ。いつか老いる。 だからこそ、人生を謳歌することを忘れてはいけない。特に2 (さらに…)