選挙に行きましょう。私も行きます。
消費税を上げるかどうかも、
年金がもらえるかどうかも、
最低賃金を上げるかどうかも、
憲法改正をするかどうかも、
選択的夫婦別姓を認めるかどうかも、みんな私たちが決められるのですから。
友達を誘って選挙に行きましょう。https://t.co/5jzEEYvCdt— 似鳥鶏 ポプラ文庫版『夏休みの空欄探し』発売中! (@nitadorikei) July 15, 2019
参院選、投開票日まであと6日!
今回の選挙で争点となる主なテーマについて、各党のスタンスや政策をzero選挙チームでまとめてみました。
本日のテーマは 「 #年金 」 「 #消費税 」 「 #賃上げ 」 です。#zero選挙 #zero選挙カウントダウン #zero選挙まとめ pic.twitter.com/bibRSbpgwI— news zero (@ntvnewszero) July 15, 2019
選挙前にもう一度確認。下記のように消費税増税分は法人税と所得税の減税によって消えている。消費税増税は社会保障には回っていない。
1990年 2018予算
法人税18.4兆円 法人税12.2兆円
所得税26.0兆円 所得税19.0兆円
消費税 4.6兆円 消費税17.6兆円 pic.twitter.com/FultObmUIQ— 大内裕和 (@ouchi_h) July 15, 2019
https://twitter.com/rinon_nn/status/1151015926839427073?s=21
うーん。
日本のややこしいのは、
- 国民生活を犠牲にするが外交に強い国(官僚、大企業などは、ウハウハ)
- 国民生活を守るが外交に弱く、アメリカや官僚に足元救われる政権与党、複雑な東アジア情勢をクリアできない国
のどれかという選択肢のどちらも終わってるってこと。
世界で特殊である、
- 憲法9条
- 軍隊の不保持
- 専守防衛型軍備
- 日米同盟に基づくオペレーションレベルでの日米の深くて濃くて長い癒着
- 日米関係に基づく官僚レベルでの日米の深くて濃くて長い癒着(日米合同委員会等
という複雑な事情を抱えて、中韓からは反日感情や過去の日本の行いを政争の具にされてるところもあり、そもそも歴史的経緯から見て、ロシアの東欧への野心が落ち着くと東南アジア南下に向いてくるという問題もある。
震災、津波リスクもあって、南海トラフ、首都直下型地震の危険もあり、これがあれば経済的ダメージは必至。こういった危機的状況への対応も求められるが、どう考えても行政機構の統治や、それぞれに対する利益分配ができてないといざという時に鈍いのも事実。
どうせ復興税とかかかる。
自民党から民主党に代わり、その政権下で何が起こったのかも忘れてはいけない。民主党政権下では、米軍基地や日米関係に関するゴタゴタ、中国漁船の衝突と日中関係問題、東日本大震災とかいろいろあったよね。
そのとき、どういう政治プロセスがあって、求心力を失ったのかということも、有権者の中には覚えてない人は多い、知らない人も増えたんじゃないか。
日本史を参照してもらったらわかる通り、幕末以来、日本の外交、内政、経済、軍事そのほかは大国に振り回されてきたわけで、過去に大きな失敗をしてますよね。
なんで明治維新したか?
なんで帝国主義にしたか?
なんで満州に進出したか?
なんで日清日露戦争したか?
なんで英米と険悪になったか?
戦後の吉田茂モデルはどうだったか?
田中角栄、小沢一郎、鳩山由紀夫ら、対米従属構造とその下で形成された事務方の特権構造にメスを入れようとしたら外交関係構造をゼロベースで考えよう、変化させようとした人らはどうなったか?
角福戦争の系譜は?
日米貿易摩擦は?プラザ合意は?
森、小泉、安倍、麻生、福田、の系譜は?構造改革に着手した小泉政権は何をし、日米関係はどうだった?
そーゆーのを総合的に考えると、もう、難しいね。
wikiより
1 | 1 | 伊藤博文 いとう ひろぶみ |
第1次伊藤内閣 | 1885年12月22日 – 1888年4月30日 (861日) |
周防国 (現山口県) |
松下村塾[1] | 従三位勲一等伯爵 のち従二位 |
長州閥 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2 | 2 | 黒田清隆 くろだ きよたか |
黒田内閣 | 1888年4月30日 – 1889年10月25日 (544日) |
薩摩国 (現鹿児島県) |
従二位 勲一等 伯爵 |
薩摩閥 陸軍中将 単独で辞任 |
|||
– | (三条実美) (さんじょう さねとみ) |
(三條暫定内閣) | (1889年10月25日 – 1889年12月24日) |
山城国 (現京都府) |
内大臣 従一位 大勲位 公爵 |
旧公家 内大臣のまま内閣総理大臣を兼任しているが[2]、現在の政府解釈では三条実美は代数に含まれない。 |
||||
3 | 3 | 山縣有朋 やまがた ありとも |
第1次山縣内閣 | 1889年12月24日 – 1891年5月6日 (499日) |
長門国 (現山口県) |
松下村塾 | 従二位勲一等伯爵 内務大臣 |
長州閥 陸軍中将 のち陸軍大将 |
||
大日本帝国憲法下 | ||||||||||
4 | 4 | 松方正義 まつかた まさよし |
第1次松方内閣 | 1891年5月6日 – 1892年8月8日 (461日) |
薩摩国 (現鹿児島県) |
造士館[3] | 従二位勲一等伯爵 貴族院議員(伯爵) 大蔵大臣 |
薩摩閥 | ||
5 | 伊藤博文 いとう ひろぶみ |
第2次伊藤内閣 | 1892年8月8日 – 1896年8月31日 (1,485日) |
(略) | (略) | 従二位勲一等伯爵 のち正二位大勲位侯爵 貴族院議員(侯爵) |
長州閥 単独で辞任 |
|||
– | (黒田清隆) (くろだ きよたか) |
(第2次伊藤内閣) | (1896年8月31日 – 1896年9月18日) |
(内閣総理大臣臨時兼任) 従二位勲一等伯爵 陸軍中将 枢密院議長 |
||||||
6 | 松方正義 まつかた まさよし |
第2次松方内閣 | 1896年9月18日 – 1898年1月12日 (482日) (通算943日) |
(略) | (略) | 正二位勲一等伯爵 大蔵大臣 |
薩摩閥 | |||
7 | 伊藤博文 いとう ひろぶみ |
第3次伊藤内閣 | 1898年1月12日 – 1898年6月30日 (170日) |
(略) | (略) | 正二位大勲位侯爵 貴族院議員(侯爵) |
長州閥 | |||
8 | 5 | 大隈重信 おおくま しげのぶ |
第1次大隈内閣 | 1898年6月30日 – 1898年11月8日 (132日) |
肥前国 (現佐賀県) |
弘道館 [3] | 正二位勲一等伯爵 外務大臣 |
憲政党総裁 政党人から初の任命 |
||
9 | 山縣有朋 やまがた ありとも |
第2次山縣内閣 | 1898年11月8日 – 1900年10月19日 (711日) (通算1,210日) |
(略) | (略) | 正二位勲一等功二級侯爵 貴族院議員(侯爵) |
長州閥 元帥陸軍大将 |
|||
10 | 伊藤博文 いとう ひろぶみ |
第4次伊藤内閣 | 1900年10月19日 – 1901年5月10日 (204日) (通算2,720日) |
(略) | (略) | 正二位大勲位侯爵 貴族院議員(侯爵) |
長州閥 立憲政友会総裁 単独で辞任 |
|||
– | (西園寺公望) (さいおんじ きんもち) |
(第4次伊藤内閣) | (1901年5月10日 – 1901年6月2日) |
(内閣総理大臣臨時兼任) 正二位勲一等侯爵 枢密院議長 |
||||||
11 | 6 | 桂太郎 かつら たろう |
第1次桂内閣 | 1901年6月2日 – 1906年1月7日 (1,681日) |
長門国 (現山口県) |
正三位勲一等功三級子爵のち伯爵 内務大臣 |
長州閥 陸軍大将 |
|||
12 | 7 | 西園寺公望 さいおんじ きんもち |
第1次西園寺内閣 | 1906年1月7日 – 1908年7月14日 (920日) |
山城国 (現京都府) |
ソルボンヌ大学卒業 | 正二位勲一等侯爵 貴族院議員(侯爵) |
立憲政友会総裁 | ||
13 | 桂太郎 かつら たろう |
第2次桂内閣 | 1908年7月14日 – 1911年8月30日 (1,143日) |
(略) | (略) | 従二位大勲位功三級侯爵 のち正二位公爵 貴族院議員(侯爵のち公爵) 大蔵大臣 |
長州閥 陸軍大将 |
|||
14 | 西園寺公望 さいおんじ きんもち |
第2次西園寺内閣 | 1911年8月30日 – 1912年12月21日 (480日) (通算1,400日) |
(略) | (略) | 正二位勲一等侯爵 貴族院議員(侯爵) |
立憲政友会総裁 | |||
大正 | ||||||||||
15 | 桂太郎 かつら たろう |
第3次桂内閣 | 1912年12月21日 – 1913年2月20日 (62日) (通算2,886日) |
(略) | (略) | 正二位大勲位功三級公爵 貴族院議員(公爵) |
長州閥 陸軍大将 |
|||
16 | 8 | 山本権兵衛 やまもと ごんのひょうえ |
第1次山本内閣 | 1913年2月20日 – 1914年4月16日 (421日) |
薩摩国 (現鹿児島県) |
海軍兵学寮卒業 | 正二位勲一等功一級伯爵 | 薩摩閥 海軍大将 |
||
17 | 大隈重信 おおくま しげのぶ |
第2次大隈内閣 | 1914年4月16日 – 1916年10月9日 (908日) (通算1,040日) |
(略) | (略) | 正二位勲一等伯爵 のち大勲位侯爵 貴族院議員(侯爵) 内務大臣 |
肥前閥 立憲同志会総裁 |
|||
18 | 9 | 寺内正毅 てらうち まさたけ |
寺内内閣 | 1916年10月9日 – 1918年9月29日 (721日) |
周防国 (現山口県) |
陸軍戸山学校卒業 | 従二位勲一等功一級伯爵 | 長州閥 元帥陸軍大将 |
||
19 | 10 | 原敬 はら たかし |
原内閣 | 1918年9月29日 – 1921年11月4日 (1,133日) |
陸奥国 (現岩手県) |
司法省法学校中退 | 正三位勲一等 衆議院議員(第7期・岩手県盛岡選挙区) |
立憲政友会総裁 在任中に暗殺 |
||
– | (内田康哉) (うちだ こうさい) |
(原内閣) | (1921年11月4日 – 1921年11月13日) |
(内閣総理大臣臨時兼任) 従二位勲一等伯爵 外務大臣 |
||||||
20 | 11 | 高橋是清 たかはし これきよ |
高橋内閣 | 1921年11月13日 – 1922年6月12日 (212日) |
武蔵国 (現東京都) |
ヘボン塾[1] | 従三位勲一等子爵 貴族院議員(勅撰) 大蔵大臣 |
立憲政友会総裁 | ||
21 | 12 | 加藤友三郎 かとう ともさぶろう |
加藤友三郎内閣 | 1922年6月12日 – 1923年8月24日 (439日) |
安芸国 (現広島県) |
海軍兵学校卒業 海軍大学校卒業 |
従二位勲一等功二級男爵 海軍大臣 |
海軍大将 在任中に病死 |
||
– | (内田康哉) (うちだ こうさい) |
(加藤友三郎内閣) | (1923年8月24日 – 1923年9月2日) |
(内閣総理大臣臨時兼任) 従二位勲一等伯爵 外務大臣 |
||||||
22 | 山本権兵衛 やまもと ごんのひょうえ |
第2次山本内閣 | 1923年9月2日 – 1924年1月7日 (128日) (通算549日) |
(略) | (略) | 正二位勲一等功一級伯爵 | 薩摩閥 退役海軍大将 |
|||
23 | 13 | 清浦奎吾 きようら けいご |
清浦内閣 | 1924年1月7日 – 1924年6月11日 (157日) |
肥後国 (現熊本県) |
咸宜園[1] | 正二位勲一等子爵 | |||
24 | 14 | 加藤高明 かとう たかあき |
加藤高明内閣 | 1924年6月11日 – 1926年1月28日 (597日) |
尾張国 (現愛知県) |
東京大学[4]法学部卒業 | 従二位勲一等子爵 貴族院議員(勅撰) |
憲政会総裁 在任中に病死 |
||
– | (若槻禮次郎) (わかつき れいじろう) |
(加藤高明内閣) | (1926年1月28日 – 1926年1月30日) |
(内閣総理大臣臨時兼任) 従三位勲一等 貴族院議員(勅撰) 内務大臣 |
||||||
25 | 15 | 若槻禮次郎 わかつき れいじろう |
第1次若槻内閣 | 1926年1月30日 – 1927年4月20日 (446日) |
出雲国 (現島根県) |
帝国大学[4]法科大学卒[注釈 1] | 従三位勲一等 貴族院議員(勅撰) |
憲政会総裁 | ||
昭和 | ||||||||||
26 | 16 | 田中義一 たなか ぎいち |
田中義一内閣 | 1927年4月20日 – 1929年7月2日 (805日) |
長門国 (現山口県) |
陸軍士官学校卒業 陸軍大学校卒業 |
従二位勲一等功三級男爵 貴族院議員(勅撰) |
退役陸軍大将 立憲政友会総裁 |
||
27 | 17 | 濱口雄幸 はまぐち おさち |
濱口内閣 | 1929年7月2日 – 1931年4月14日 (652日) |
土佐国 (現高知県) |
第三高等中学校[5]卒業 帝国大学法科大学卒業 |
正三位勲一等 衆議院議員(第5期、高知県第2区選出) |
立憲民政党総裁 在任中に遭難 外務大臣幣原喜重郎が臨時代理 |
||
28 | 若槻禮次郎 わかつき れいじろう |
第2次若槻内閣 | 1931年4月14日 – 1931年12月13日 (244日) (通算690日) |
(略) | (略) | 従三位勲一等男爵 貴族院議員(勅撰) |
立憲民政党総裁 | |||
29 | 18 | 犬養毅 いぬかい つよし |
犬養内閣 | 1931年12月13日 – 1932年5月16日[注釈 2] (156日) |
備中国 (現岡山県) |
慶應義塾[1]中退 | 正三位勲一等 衆議院議員(第17期、岡山県第2区選出) |
立憲政友会総裁 在任中に暗殺 |
||
– | (高橋是清) (たかはし これきよ) |
(犬養内閣) | (1932年5月16日 – 1932年5月26日) |
(内閣総理大臣臨時兼任) 正三位勲一等 大蔵大臣 |
||||||
30 | 19 | 斎藤実 さいとう まこと |
齋藤内閣 | 1932年5月26日 – 1934年7月8日 (774日) |
陸奥国 (現岩手県) |
海軍兵学校卒業 | 正二位勲一等功二級子爵 | 退役海軍大将 挙国一致内閣 |
||
31 | 20 | 岡田啓介 おかだ けいすけ |
岡田内閣 | 1934年7月8日 – 1936年3月9日 (611日) |
越前国 (現福井県) |
海軍兵学校卒業 | 従二位勲一等功三級 | 退役海軍大将 挙国一致内閣 在任中に遭難 内務大臣後藤文夫が臨時代理 |
||
32 | 21 | 広田弘毅 ひろた こうき |
廣田内閣 | 1936年3月9日 – 1937年2月2日 (331日) |
福岡県 | 第一高等学校[4]卒業 東京帝国大学[4]法科大学卒業 |
正三位勲一等 | 挙国一致内閣 | ||
33 | 22 | 林銑十郎 はやし せんじゅうろう |
林内閣 | 1937年2月2日 – 1937年6月4日 (123日) |
石川県 | 陸軍士官学校卒業 陸軍大学校卒業 |
正三位勲一等功四級 文部大臣 |
予備役陸軍大将 | ||
34 | 23 | 近衛文麿 このえ ふみまろ |
第1次近衛内閣 | 1937年6月4日 – 1939年1月5日 (581日) |
東京府 (現東京都) |
第一高等学校卒業 東京帝国大学文科大学中退 京都帝国大学[5]法科大学卒業 |
正三位勲一等公爵 貴族院議員(公爵) |
挙国一致内閣 | ||
35 | 24 | 平沼騏一郎 ひらぬま きいちろう |
平沼内閣 | 1939年1月5日 – 1939年8月30日 (238日) |
美作国 (現岡山県) |
帝国大学法科大学卒業 法学博士[6] |
正二位勲一等男爵 | 挙国一致内閣 | ||
36 | 25 | 阿部信行 あべ のぶゆき |
阿部内閣 | 1939年8月30日 – 1940年1月16日 (140日) |
石川県 | 第四高等学校[7]中退 陸軍士官学校卒業 陸軍大学校卒業 |
正三位勲一等 | 予備役陸軍大将 挙国一致内閣 |
||
37 | 26 | 米内光政 よない みつまさ |
米内内閣 | 1940年1月16日 – 1940年7月22日 (189日) |
岩手県 | 海軍士官学校卒業 海軍大学校卒業 |
正三位勲一等功四級 | 予備役海軍大将 挙国一致内閣 |
||
38 | 近衛文麿 このえ ふみまろ |
第2次近衛内閣 | 1940年7月22日 – 1941年7月18日 (362日) |
(略) | (略) | 従二位勲一等公爵 貴族院議員(公爵) |
大政翼賛会総裁 挙国一致内閣 |
|||
39 | 第3次近衛内閣 | 1941年7月18日 – 1941年10月18日 (93日) (通算1,035日) |
従二位勲一等公爵 貴族院議員(公爵) |
|||||||
40 | 27 | 東條英機 とうじょう ひでき |
東條内閣 | 1941年10月18日 – 1944年7月22日 (1,009日) |
東京府 (現東京都) |
陸軍士官学校卒業 陸軍大学校卒業 |
従三位勲一等功二級 のち正三位 陸軍大臣 陸軍参謀総長 |
陸軍中将 のち陸軍大将 大政翼賛会総裁 挙国一致内閣 |
||
41 | 28 | 小磯國昭 こいそ くにあき |
小磯内閣 | 1944年7月22日 – 1945年4月7日 (260日) |
栃木県 | 陸軍士官学校卒業 陸軍大学校卒業 |
正三位勲一等功二級 | 予備役陸軍大将 のち現役復帰 大政翼賛会総裁 挙国一致内閣 |
||
42 | 29 | 鈴木貫太郎 すずき かんたろう |
鈴木貫太郎内閣 | 1945年4月7日 – 1945年8月17日 (133日) |
和泉国 (現大阪府) |
海軍兵学校卒業 海軍大学校卒業 |
正二位勲一等功三級男爵 | 退役海軍大将 大政翼賛会総裁 挙国一致内閣 |
||
43 | 30 | 東久邇宮稔彦王 ひがしくにのみや なるひこおう |
東久邇宮内閣 | 1945年8月17日 – 1945年10月9日 (54日) |
京都府 | 陸軍士官学校卒業 陸軍大学校卒業 |
大勲位功一級 貴族院議員(皇族) 陸軍大臣 |
陸軍大将 1945年9月6日に主権放棄 |
||
44 | 31 | 幣原喜重郎 しではら きじゅうろう |
幣原内閣 | 1945年10月9日 – 1946年5月22日 (226日) |
大阪府 | 第三高等中学校[5]卒業 帝国大学法科大学卒業 |
従二位勲一等男爵 貴族院議員(勅撰) 第一復員大臣 第二復員大臣 |
日本進歩党総裁 主権喪失下 |
||
45 | 32 | 吉田茂 よしだ しげる |
第1次吉田内閣 | 1946年5月22日 – 1947年5月24日 (368日) |
東京府 (現東京都) |
学習院高等学科[8]卒業 東京帝国大学法科大学卒業[注釈 3] |
正三位勲一等 貴族院議員(勅撰) 外務大臣 |
日本自由党総裁 主権喪失下 |
||
日本国憲法下 | ||||||||||
46 | 33 | 片山哲 かたやま てつ |
片山内閣 | 1947年5月24日 – 1948年3月10日 (292日) |
和歌山県 | 第三高等学校卒業 東京帝国大学法科大学卒業 |
衆議院議員(第6期・神奈川県第3区選出) | 日本社会党委員長 日本社会党・民主党・国民協同党連立 主権喪失下 |
||
47 | 34 | 芦田均 あしだ ひとし |
芦田内閣 | 1948年3月10日 – 1948年10月15日 (220日) |
京都府 | 第一高等学校卒業 東京帝国大学法科大学卒業 東京帝国大学法学博士[6] |
衆議院議員(第6期・京都府第2区選出) 外務大臣 |
民主党総裁 民主党・日本社会党・国民協同党連立 主権喪失下 |
||
48 | 吉田茂 よしだ しげる |
第2次吉田内閣 | 1948年10月15日 – 1949年2月16日 (125日) |
(略) | (略) | 正三位勲一等 衆議院議員(第1期・高知県全県区選出) 外務大臣 |
民主自由党総裁 主権喪失下 |
|||
49 | 第3次吉田内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 第3次改造内閣 |
1949年2月16日 – 1952年10月30日 (1,353日) |
正三位勲一等 衆議院議員(第2期・高知県全県区選出) 外務大臣 |
民主自由党総裁→自由党総裁 民主自由党・民主党連立派連立→自由党単独 1952年4月28日に主権回復 |
||||||
50 | 第4次吉田内閣 | 1952年10月30日 – 1953年5月21日 (204日) |
正三位勲一等 衆議院議員(第3期・高知県全県区選出) |
自由党総裁 | ||||||
51 | 第5次吉田内閣 | 1953年5月21日 – 1954年12月10日 (569日) (通算2,616日) |
正三位勲一等 衆議院議員(第4期・高知県全県区選出) |
|||||||
52 | 35 | 鳩山一郎 はとやま いちろう |
第1次鳩山一郎内閣 | 1954年12月10日 – 1955年3月19日 (100日) |
東京府 (現東京都) |
第一高等学校卒業 東京帝国大学法科大学卒業 |
正三位勲一等 衆議院議員(第13期・東京都第1区選出) |
日本民主党総裁 | ||
53 | 第2次鳩山一郎内閣 | 1955年3月19日 – 1955年11月22日 (249日) |
正三位勲一等 衆議院議員(第14期・東京都第1区選出) |
日本民主党総裁→自由民主党総裁代行委員 | ||||||
54 | 第3次鳩山一郎内閣 | 1955年11月22日 – 1956年12月23日 (398日) (通算745日) |
正三位勲一等 衆議院議員(第14期・東京都第1区選出) |
自由民主党総裁代行委員→自由民主党総裁 | ||||||
55 | 36 | 石橋湛山 いしばし たんざん |
石橋内閣 | 1956年12月23日 – 1957年2月25日 (65日) |
東京府 (現東京都) |
早稲田大学文学科卒業 早稲田大学宗教研究科修了 |
衆議院議員(第4期・静岡県第2区選出) | 自由民主党総裁 | ||
56 | 37 | 岸信介 きし のぶすけ |
第1次岸内閣 改造内閣 |
1957年2月25日 – 1958年6月12日 (473日) |
山口県 | 第一高等学校卒業 東京帝国大学法学部卒業 |
正三位 衆議院議員(第3期・山口県第2区選出) |
自由民主党総裁 | ||
57 | 第2次岸内閣 改造内閣 |
1958年6月12日 – 1960年7月19日 (769日) (通算1,241日) |
正三位 衆議院議員(第4期・山口県第2区選出) |
|||||||
58 | 38 | 池田勇人 いけだ はやと |
第1次池田内閣 | 1960年7月19日 – 1960年12月8日 (143日) |
広島県 | 第五高等学校[9]卒業 京都帝国大学法学部卒業 |
正五位 衆議院議員(第5期・広島県第2区選出) |
自由民主党総裁 | ||
59 | 第2次池田内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 第3次改造内閣 |
1960年12月8日 – 1963年12月9日 (1,097日) |
正五位 衆議院議員(第6期・広島県第2区選出) |
|||||||
60 | 第3次池田内閣 改造内閣 |
1963年12月9日 – 1964年11月9日 (337日) (通算1,575日) |
正五位 衆議院議員(第7期・広島県第2区選出) |
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61 | 39 | 佐藤栄作 さとう えいさく |
第1次佐藤内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 第3次改造内閣 |
1964年11月9日 – 1967年2月17日 (831日) |
山口県 | 第五高等学校卒業 東京帝国大学法学部卒業 |
従四位 衆議院議員(第7期・山口県第2区選出) |
自由民主党総裁 | ||
62 | 第2次佐藤内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 |
1967年2月17日 – 1970年1月14日 (1,063日) |
従四位 衆議院議員(第8期・山口県第2区選出) |
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63 | 第3次佐藤内閣 改造内閣 |
1970年1月14日 – 1972年7月7日 (906日) (通算2,798日) |
従四位 衆議院議員(第9期・山口県第2区選出) |
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64 | 40 | 田中角栄 たなか かくえい |
第1次田中角栄内閣 | 1972年7月7日 – 1972年12月22日 (169日) |
新潟県 | 中央工学校卒業 | 衆議院議員(第8期・新潟県第3区選出) | 自由民主党総裁 | ||
65 | 第2次田中角栄内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 |
1972年12月22日 – 1974年12月9日 (718日) (通算886日) |
衆議院議員(第9期・新潟県第3区選出) | |||||||
66 | 41 | 三木武夫 みき たけお |
三木内閣 改造内閣 |
1974年12月9日 – 1976年12月24日 (747日) |
徳島県 | 明治大学専門部商科卒業 明治大学法学部卒業 |
正五位 衆議院議員(第14期・徳島県全県区選出) |
自由民主党総裁 | ||
67 | 42 | 福田赳夫 ふくだ たけお |
福田赳夫内閣 改造内閣 |
1976年12月24日 – 1978年12月7日 (714日) |
群馬県 | 第一高等学校卒業 東京帝国大学法学部卒業 |
正五位 衆議院議員(第10期・群馬県第3区選出) |
自由民主党総裁 | ||
68 | 43 | 大平正芳 おおひら まさよし |
第1次大平内閣 | 1978年12月7日 – 1979年11月9日 (338日) |
香川県 | 高松高等商業学校[10]卒業 東京商科大学[11]卒業 |
従五位 衆議院議員(第10期・香川県第2区出) |
自由民主党総裁 在任中に病死 |
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69 | 第2次大平内閣 | 1979年11月9日 – 1980年6月12日 (217日) (通算554日) |
従五位 のち正二位大勲位 衆議院議員(第11期・香川県第2区選出) |
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– | (伊東正義) (いとう まさよし) |
(第2次大平内閣) | (1980年6月12日 – 1980年7月17日) |
福島県 | (内閣総理大臣臨時代理) 衆議院議員(第5期・福島県第2区選出) 自由民主党所属 内閣官房長官 |
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70 | 44 | 鈴木善幸 すずき ぜんこう |
鈴木善幸内閣 改造内閣 |
1980年7月17日 – 1982年11月27日 (864日) |
岩手県 | 水産講習所[12]卒業 | 衆議院議員(第14期・岩手県第1区選出) | 自由民主党総裁 | ||
71 | 45 | 中曽根康弘 なかそね やすひろ |
第1次中曽根内閣 | 1982年11月27日 – 1983年12月27日 (396日) |
群馬県 | 静岡高等学校[13]卒業 東京帝国大学法学部卒業 |
従六位 衆議院議員(第14期・群馬県第3区選出) |
自由民主党総裁 | ||
72 | 第2次中曽根内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 |
1983年12月27日 – 1986年7月22日 (939日) |
従六位 衆議院議員(第15期・群馬県第3区選出) |
自由民主党総裁 自由民主党・新自由クラブ連立 |
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73 | 第3次中曽根内閣 | 1986年7月22日 – 1987年11月6日 (473日) (通算1,806日) |
従六位 衆議院議員(第16期・群馬県第3区選出) |
自由民主党総裁 | ||||||
74 | 46 | 竹下登 たけした のぼる |
竹下内閣 改造内閣 |
1987年11月6日 – 1989年6月3日 (576日) |
島根県 | 第一早稲田高等学院[14]卒業 早稲田大学第一商学部卒業 |
正八位 衆議院議員(第11期・島根県全県区選出) |
自由民主党総裁 | ||
平成 | ||||||||||
75 | 47 | 宇野宗佑 うの そうすけ |
宇野内閣 | 1989年6月3日 – 1989年8月10日 (69日) |
滋賀県 | 彦根高等商業学校[15]卒業 神戸商業大学[16]中退 |
衆議院議員(第10期・滋賀県全県区選出) | 自由民主党総裁 | ||
76 | 48 | 海部俊樹 かいふ としき |
第1次海部内閣 | 1989年8月10日 – 1990年2月28日 (203日) |
愛知県 | 中央大学専門部法科卒業 中央大学法学部中退 早稲田大学第二法学部卒業 早稲田大学大学院法学研究科修士課程中退 |
衆議院議員(第10期・愛知県第3区選出) | 自由民主党総裁 | ||
77 | 第2次海部内閣 改造内閣 |
1990年2月28日 – 1991年11月5日 (616日) (通算818日) |
衆議院議員(第11期・愛知県第3区選出) | |||||||
78 | 49 | 宮澤喜一 みやざわ きいち |
宮澤内閣 改造内閣 |
1991年11月5日 – 1993年8月9日 (644日) |
東京府 (現東京都) |
武蔵高等学校[17]卒業 東京帝国大学法学部卒業 |
衆議院議員(第8期・広島県第3区選出) | 自由民主党総裁 | ||
79 | 50 | 細川護熙 ほそかわ もりひろ |
細川内閣 | 1993年8月9日 – 1994年4月28日 (263日) |
東京府 (現東京都) |
上智大学法学部卒業 | 衆議院議員(第1期・熊本県第1区選出) | 日本新党代表 日本新党・日本社会党・新生党・公明党・民社党・新党さきがけ・社会民主連合・民主改革連合連立 |
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80 | 51 | 羽田孜 はた つとむ |
羽田内閣 | 1994年4月28日 – 1994年6月30日 (64日) |
東京府 (現東京都) |
成城大学経済学部卒業 | 衆議院議員(第9期・長野県第2区選出) | 新生党党首 新生党・公明党・日本新党、民社党・自由党・改革の会・民主改革連合連立 |
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81 | 52 | 村山富市 むらやま とみいち |
村山内閣 改造内閣 |
1994年6月30日 – 1996年1月11日 (561日) |
大分県 | 明治大学専門部政治経済科卒業 | 衆議院議員(第7期・大分県第1区選出) | 日本社会党委員長 日本社会党・自由民主党・新党さきがけ連立 |
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82 | 53 | 橋本龍太郎 はしもと りゅうたろう |
第1次橋本内閣 | 1996年1月11日 – 1996年11月7日 (302日) |
東京府 (現東京都) |
慶應義塾大学法学部卒業 | 衆議院議員(第11期・岡山県第2区選出) | 自由民主党総裁 自由民主党・日本社会党(→社会民主党)・新党さきがけ連立 |
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83 | 第2次橋本内閣 改造内閣 |
1996年11月7日 – 1998年7月30日 (631日) (通算932日) |
衆議院議員(第12期・岡山県第4区選出) | 自由民主党総裁 | ||||||
84 | 54 | 小渕恵三 おぶち けいぞう |
小渕内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 |
1998年7月30日 – 2000年4月5日 (616日) |
群馬県 | 早稲田大学第一文学部卒業 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了 |
衆議院議員(第12期・群馬県第5区選出) | 自由民主党総裁 自由民主党単独 →自由民主党・自由党連立 →自由民主党・自由党・公明党連立 →自由民主党・公明党・保守党連立 |
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85 | 55 | 森喜朗 もり よしろう |
第1次森内閣 | 2000年4月5日 – 2000年7月4日 (91日) |
石川県 | 早稲田大学第二商学部卒業 | 衆議院議員(第11期・石川県第2区選出) | 自由民主党総裁 自由民主党・公明党・保守党連立 |
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86 | 第2次森内閣 改造内閣(再編前) 改造内閣(再編後) |
2000年7月4日 – 2001年4月26日 (297日) (通算387日) |
衆議院議員(第12期・石川県第2区選出) | |||||||
87 | 56 | 小泉純一郎 こいずみ じゅんいちろう |
第1次小泉内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 |
2001年4月26日 – 2003年11月19日 (938日) |
神奈川県 | 慶應義塾大学経済学部卒業 | 衆議院議員(第10期・神奈川県第11区選出) | 自由民主党総裁 自由民主党・公明党・保守党連立 →自由民主党・公明党・保守新党連立 |
||
88 | 第2次小泉内閣 改造内閣 |
2003年11月19日 – 2005年9月21日 (673日) |
衆議院議員(第11期・神奈川県第11区選出) | 自由民主党総裁 自由民主党・公明党・保守新党連立 →自由民主党・公明党連立 |
||||||
89 | 第3次小泉内閣 改造内閣 |
2005年9月21日 – 2006年9月26日 (371日) (通算1,980日) |
衆議院議員(第12期・神奈川県第11区選出) | 自由民主党総裁 自由民主党・公明党連立 |
||||||
90 | 57 | 安倍晋三 あべ しんぞう |
第1次安倍内閣 改造内閣 |
2006年9月26日 – 2007年9月26日 (366日) |
東京都 | 成蹊大学法学部卒業 | 衆議院議員(第5期・山口県第4区選出) | 自由民主党総裁 自由民主党・公明党連立 |
||
91 | 58 | 福田康夫 ふくだ やすお |
福田康夫内閣 改造内閣 |
2007年9月26日 – 2008年9月24日 (365日) |
東京府 (現東京都) |
早稲田大学第一政治経済学部卒業 | 衆議院議員(第6期・群馬県第4区選出) | 自由民主党総裁 自由民主党・公明党連立 |
||
92 | 59 | 麻生太郎 あそう たろう |
麻生内閣 | 2008年9月24日 – 2009年9月16日 (358日) |
福岡県 | 学習院大学政治経済学部卒業 | 衆議院議員(第9期・福岡県第8区選出) | 自由民主党総裁 自由民主党・公明党連立 |
||
93 | 60 | 鳩山由紀夫 はとやま ゆきお |
鳩山由紀夫内閣 | 2009年9月16日 – 2010年6月8日 (266日) |
東京都 | 東京大学工学部卒業 スタンフォード大学大学院工学部博士課程修了 |
衆議院議員(第8期・北海道第9区選出) | 民主党代表 民主党・社会民主党・国民新党連立 →民主党・国民新党連立 |
||
94 | 61 | 菅直人 かん なおと |
菅内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 |
2010年6月8日 – 2011年9月2日 (452日) |
山口県 | 東京工業大学理学部卒業 | 衆議院議員(第10期・東京都第18区選出) | 民主党代表 民主党・国民新党連立 |
||
95 | 62 | 野田佳彦 のだ よしひこ |
野田内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 第3次改造内閣 |
2011年9月2日 – 2012年12月26日 (482日) |
千葉県 | 早稲田大学政治経済学部卒業 | 衆議院議員(第5期・千葉県第4区選出) | 民主党代表 民主党・国民新党連立 |
||
96 | 安倍晋三 あべ しんぞう |
第2次安倍内閣 改造内閣 |
2012年12月26日 – 2014年12月24日 (729日) |
(略) | (略) | 衆議院議員(第7期・山口県第4区選出) | 自由民主党総裁 自由民主党・公明党連立 |
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。