20代前半
バンドに勢いが有るときは
先輩の話は
『そういう考え方もあるのか…』程度で充分だと思う
もし自分達のヤりたいようにやって
ミスっても
まだ25歳位ならやり直しがきくから
大切なのは
止まらないコトと
同じ失敗をしないこと— SHINGO@ConSenT+pluG (@no_shingo) October 1, 2018
25歳から人生をやり直したい人のための戦略を語ろうと思う。
昔、尊敬する経営者にこんなことを言われたことがある。
25歳くらいになると、自分が何者なのか、どの程度なのか嫌でもわかってくる
逆に言えば、24歳ぐらい、23歳ぐらいまでは自分がわからない人が多いということだ。そして、そのくらい自分が見えていないからこそ、でかいことを考えることができるし、大胆な行動を起こすことができる。
先輩や先人を見て、
「ああはなりたくねぇー!」
とか、
「言ってること無視するぜ!」
とか、
「俺のセンスを信じる!才能を信じる!」
みたいなことが通用するのが24歳ぐらいまでだと思う。
逆に言えば、25歳ぐらいからは、自分を過信することには最大限の注意を払った方が良い。
22歳というのは、多くの人が大学を出てくる歳だ(正確には23歳の年かもしれない)。留年をしただとか、大学院に行っただとか、そういう人たちもいるから24歳ぐらいまではルーキーというか、モラトリアムであっても「まぁ、そういう人たちは沢山いる」という目で見られる(もちろん、何をやってきたかが重要で、18から6年間ニートしてきました、みたいなのはちょっと話が別だが)。
その意味で、25歳はターニングポイントになる。
25歳は、20代を折り返してしまっている。20代という10年を半分渡りきった計算になる。そして、カウントの仕方次第では、四捨五入のような考え方で20代後半とカウントすることもできるのである。
「つい最近まで10代だったのに」
「つい最近までハタチになったと騒いでいたのに」
「つい最近まで学生だったのに」
「20代に入ったら時の流れが早いとは聞いていたけれど、このことか」
と思う人たちもいるかもしれない。
古今東西、なぜかミュージシャンをやっていたような人間たちが、諦めるデッドラインとして設定する年齢は25歳が多い。
25歳まで音楽活動をやって、芽が出なければ辞める、というスタンスの人たちはこの国には沢山いる。なぜ25歳なのかはわからないが、売れているミュージシャンたちは25歳前後までに何らかの手応えを掴んでいる、という先人のデータに基づくのだろう。
多分、日本中に、「25歳までに芽が出なかったらやめようと思って、そして辞めた」と語っている元ミュージシャンがいると思う。
確かに、GLAYなんかは26歳ぐらいにはベストアルバムを出し当時のアルバム売上日本記録を更新しオリコン年間チャート1位を獲得しているし、B’zも稲葉さんが26歳の時に3rdアルバムがオリコン初登場3位、桑田佳祐は26歳の時には結婚して披露宴にはファンが3000人が駆けつけ、また、タモリら著名人も呼んでいる上、その年に紅白に2度目の出場を果たしている。ミスチルがinnocentWorldでオリコン1位を獲得した時桜井さんは24歳。福山雅治がオリコンアルバムチャートで1位を獲得したのも24歳。浜崎あゆみが「A Song for ××」で150万枚のセールスを達成して女子高生のカリスマともてはやされ始めたのは21歳の時である。
安室奈美恵、嵐、宇多田ヒカルが10代の頃からスーパースターだったのは言及するまでもない。宇多田ヒカルに至っては16歳ぐらいからスター扱いだったような気がする。
あいみょんは23歳で紅白初出場、King gnuの「白日」のヒットは26歳、ヒゲダンもポニーキャニオンからのメジャーデビューが26歳でノーダウトが月9ドラマの主題歌に抜擢されている。
だから、ミュージシャンのような夢のある道を目指している人は25歳を目安に考えている人は多い。奇しくもJリーガーの平均引退年齢は25歳である。これは意外と知られていないけれど、サッカーの平均的な引退年齢は物凄く早い。
まあ三井物産なら大したもんだし、25歳ならやり直しもきくからな/ロッテの京大田中が引退、三井物産へ就職 : なんじぇいスタジアム@なんJまとめ https://t.co/n85BR5r7Du
— 第3バイオリン (@3rd_Violin) November 22, 2017
25歳とは一体どんな年齢なのだろう。
結論から言うと、25歳の人生やり直しは容易だ。
なぜなら、まだ、「若さ」を売っていける。
グラビアアイドル、スポーツ選手、ミュージシャン、キャバ嬢、風俗嬢としては若くないかもしれない。もしかすると引退を考えなければならないような「引き際」の年齢かもしれない。・・・・・けれども、まだギリギリ若さを売って歩ける場所がある、そんな年齢が25歳だ。
25歳以上の年齢になると、「やり直しが効くかどうか」について意見が賛否両論分かれてくることが多いけれども、25歳であれば、たいていの人が「やり直しが効く」ということで意見が合致すると思う。
https://twitter.com/grandecoffee/status/238594142438043649?s=20
@evil07 ただ本当に「こらあかん」となったら出直すのも手ではありますな。25歳だったら大抵やり直しが効きます。ウチが業種も職種も変えて今の会社に入ったのが25でした。失業率次第ですが、それでもウチの時は4%台でしたし。若いというのはそれだけで強みでもあるんですよ
— ゆめか (@yumeka) May 31, 2009
ただし、やり直しが効くというのは、道を変えられるということであって、「成功する」という意味ではない。全く未経験から新しいことを始められるよ、というのを意味しているに過ぎない。
例えば、公務員なんかは、30歳くらいまでは「受験できる」ところがほとんどだ。でもそれは、受験資格があるだけ。受験して合格することを保障しない。エントリーして行った先でフィットするかどうかも、出世するかどうかも保障しない。何より、25歳から公務員を志した場合、勉強の期間が必要になってきて、なんやかんや受かるのが26歳とか、27歳とかになるかもしれない。
公務員への転職できる年齢制限は?転職前に知っておきたいこと https://t.co/GuhQrHO8K0
— ぼっち@転職情報メディアのひと (@ikikatadatabase) December 21, 2019
「25歳、いくらでもやり直せる」というのはそういう意味で言われているかもしれない・・・・と覚悟することは必要だと思う。この、「いくらでもやり直せる」という言葉は、はっきり言って厄介だと思う。誤解を招く。なんとなく、「大丈夫だよ」というニュアンスがある。でも正確には、「無理ではないよ」と言っているに過ぎないと思う。哀れな人というか低位にある人に対して、ある種の上から目線でかけられている慈悲の言葉、優しさの場合もあるから注意が必要だ。文字通り、やり直せるのかもしれないけれど、「まだ望みはありますよ」程度で言っている人だってたくさんいる。それはすなわち、相応に頑張らないといけないということだ。
例えば、私がキャバクラに行ったとして、25歳のめちゃめちゃ性格の良い女に、「人生やり直せますかね?」みたいなことを聞かれて、私がその人に対してすごく好感を持っていたら、何をどうやり直したいのかも聞かずに、「まだ若いし、いくらでもやり直せるよ!」みたいなことを言うかもしれない。その言葉にはある程度の無責任性と励まし要素が大きいのは否めない。なぜなら、やり直してどこのラインを目指すのかはわからないけれど、やり直す本人がやり直す気力を燃やせるほどの成功が得られるやり直しにはやっぱり相応の頑張りが必要だからだ。その頑張りをその本人が発揮できるか否かで言えば、できない確率の方が高いに決まっているのに、それに対して「頑張ろう」と焚き付けているからだ。
やり直す行為自体、マイナススタートなのだから、マイナスをカバーする分に加えて相応のプラスが必要になるから、かなり頑張らないといけない。でも、マイナスではなくゼロスタートでも、頑張れる人は少数なのだから。
他の道に行って底辺に甘んじるかもしれないし、ダメダメな感じになるかもしれないけれども、それでも選び直せるという意味合いで言われていることが多い。
逆に言えば、25歳からもうそういった厳しい感覚になってくるのである。世の中には、26歳以上ではもう「選ぶことすら厳しい」という意見を持っている人たちだっている。それ以上の世界では、「新しいことを始めることすら許されない」状態にある人たちもたくさんいるのだ。
僕なんて27歳で上京してクリエーター目指すとかいうアホで夢見がちで現実を直視できないこと抜かしてるんだぞ。みろこの絶望。みよこの愚かしさ。それに比べたら20代の真ん中なぞ3年頑張ってダメでも余裕でやり直しがきく。僕なんてダメだったらホームレスだかんな!ちくしょう!!
— 暖房器具 (@danbooki) February 13, 2017
https://twitter.com/yo_yo_nagatuki/status/389726885300539393?s=20
余談であるが、人生を諦め始めた女性が、「投げ売り的」に性風俗店で働き始めるのも25歳が多いと思う。ガチなタイプは18歳、20歳前後から働き始めているけれども、ずーっと普通に生きてきた人たちが、
- 焦り
- 諦め
- 金策手詰まり
などの状況に陥り、「若さ・女」を売れる時期にギリギリで売り抜いてできる限りお金に変えようと思い、殺到するのが25歳という年齢だと思う。2年ぐらい働きまくって、貯金を作り、その後に昼職に戻るとかそういう感じである。
25歳は、男性の未婚率が85%ぐらいである。
未婚男性のうち、実家暮らしをしている層が7割ぐらいいるから、単純計算で、25歳という年齢はだいたい世の中の半分ぐらいが実家暮らしという計算になる。だから、25歳で実家暮らしをしていても、
あ、まだ実家なんだ?
という見方をされると思う。
これが30とかになると確実に非難の対象というか、まずい評価になってくるから、その意味でも25歳には余裕がある。
つまり25歳実家暮らしは、同じ年齢の人の50%ぐらいは自立、50%ぐらいは実家暮らしだから「アァ、そっちサイドね」と捉えられるだけで終わる。ただし、サラリーマンだったら家賃補助も出るだろうから「なぜ?」という目で見られることもあるかもしれない。まぁ、おかしくはない、ということだ。
25歳までは人生のやり直しがきくか…はー…
— なのこ@月曜東E20a (@c_nasa) March 28, 2012
つまり、25歳とは、仕事を辞めて無職状態になり、ポーンと実家に帰っても大丈夫な年齢なのである。そして、「普通の仕事」「一般的な仕事」を得るために、若さをまだアピールできる年齢だ。
確かに、新卒のピカピカの22歳・23歳と比べたら歳は重ねてしまっている。ただ、「初期の1年〜2年ちょっとつまづいちゃいました」、みたいな感じの人たちは沢山いるし、そういうことは若さとして許容される。世の中には18歳から働いている人も、20歳から働いている人もいるから、25歳ゼロスタートと言うと確かに遅れている感はあるが、それでも若い。何より、社会人経験が1年、2年ぐらいあって、学生気分がある程度抜けた「若い人材」というのはあちこち欲しがる傾向にある。
ただし、25歳は「気を抜くには」微妙な年齢とも言える。
新しいことを始めても、22歳、20歳からじっと耐えてやり抜いている人たちがいるし、25歳から新しいことを始めてもモノになる頃には27歳・28歳になっているかもしれない。
だから、ディスアドバンテージはあるけれども、いろいろやり直したり新しいことができる、という絶妙な位置だ。日本人でワーホリに行く年齢で最も平均的なのは26歳と言われているけれど、これは20歳から5年働いた人、22歳から3年働いたような人たちが、「自分探し」「羽休め」のようなことをするタイミングがその時期なのだと思う。
つまり、25歳は、余裕は持てないけれどギリギリ自分探しをして彷徨うことも許される年齢かもしれない。
25歳のやり直し戦略として考えられるのは、
視野を広げる
ということがまだできることだと思う。つまり、視野や知見を広げて、今まで想定していなかった新しいオプションを見つけ出して、そこに鞍替えをするということができる。そのための試行錯誤ができるのが25歳。
つまり、選択肢の中から新しいものを選ぶだけではなく、その選択肢自体を拡大するための行動に出ることがギリギリできるのが25歳だと思う。
一体何があるのか、見つかるのかわからないけれど、青い鳥のようなものを探し回ってフラフラして自分の視野を拡大させていくことができるのがギリギリ25歳なのかもしれない。
だから、とにかく猛烈に情報収集しまくって良いと思う。加齢して、「新しいチャンス、これぞというチャンスを見つけたけれども、年齢の問題でエントリーできない」というパターンが悲しすぎるから、若さを活かすためにも、新しい選択肢を浮かび上がらせるための「機会費用(オポチュニティーコスト)」をガンガン支払って良いと思う。なんなら、そのために借金をしても良いと思う。とにかく視野を広げられる・視野を広げることに高い意味や効果が見出せるうちに、金を借りてでも情報を集める、知見を広げていく。例えば、海外なんかに行きたいという場合には、バイトなんかして貯めるよりもさっさと金を借りて行った方が良い。帰ってきてから、返すために働いた方が良い。
多分、26歳以上の人たちは、
「うまくやる」
ための情報をかき集めていることが多いと思う。
でも、25歳までの人たちは、
「そもそも、世の中に何があるだろう?自分は何を選べば良いだろう?」
ということの情報を集めている人が多いと思う。
25歳までであれば、海外に行くことの効果がかなり高いと思う。
吸収力がある。体力がある。若年期の人たちと容易に交流ができる。ある程度、恥をかいたり粗相があっても若さで振り切れる。
まだ若いし、おまけに日本で積み上げているものや守るものが無く、さらに実家に暮らしているとかだとなおさら海外に行った方が良い。一人暮らしをしているような大人は、海外に行っている間、「賃貸の家賃はどうしよう?」とか色々考えないといけないことが多いのである。
30歳からでもいくらでもやり直しは効く、
35歳からでもいくらでもやり直しは効く、
40歳からでもいくらでもやり直しは効く・・・・・
という意見もあるけれど、冷静に考えてみて、世の中では「若さ」が重要視されている。そして、若さが重要視されているのは、
- 素直
- 体力、元気がある
- 学習力、吸収力がある
- 柔軟な感性がある
ということが評価されるからである。
そして、歳を重ねるとそういった「ポテンシャル評価」が下がって行く。そのポテンシャル評価が下がった分を埋めて有り余るほどの「何か」みたいなものを要求されることが多い。
それが無い場合、全くゼロからやって行くことを、若者世代と肩を並べてやって行かないといけなくなる。もちろん、そのチャンスすら与えられないこともあるから、チャンスがある領域で、である。
つまり、しんどいと言えばしんどいのである。
「何歳からでもやり直せる論」というのは、何歳からでもゼロスタートできるという意味では無く、何歳からでもマイナススタートできるということ。そして、難易度は年々上がっていきますよ、ということだ。あの類の励ましは、優しいニュアンスが感じられるかもしれないが、実際のところは「相応に頑張れば」という条件付きである。「何歳からでも・・・」というのは酷な話をしている。
何歳からでもその道で人並みになるために人一倍、10倍頑張れますよね?
というような話である。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。