経営者は孤独です。
何かの本で読んだのですが、
経営者は逃げられない仕事、逃げ道が無い仕事
という一節があり、いまだに頭に焼き付いています。
究極は、
- 寝れない
- 死にたい
という境地に達する人もいるようです。
大人と子供は何が違うのか?
ということを最近16歳女性とデートしながら考えていたのですが、割ともう人は10代の頃から大人で、決定的に違うのは
「経済的に自立・自己完結しているかどうか」
だと私は思います(その意味で子供おじさん・子供おばさんたくさんいます)。
そして、根本的に、大人というのは
誰かが助けてくれるわけじゃない、面倒見てくれるわけじゃない
というような状況の中で精神的に大きく鍛え上げられていく存在だと思いますが、その中でもトップレベルにいるのが経営者です。
経営者は誰かに助けてもらえる存在ではありません。
経営者の孤独っぷりは尋常ではありません。
労働者とは、「自分のケツを拭かないといけない意識」のレベルがまるで違います。
きっと、貴方も孤独なのかもしれませんね。
経営者疲れた、しんどい、うつ、プレッシャー、辞めたい。
日本で1番稼げる職種なだけあって、心労も半端なものではありません。
気持ちはわかります。私がどうやって乗り切ってきたか伝授します。
結論から言うと、
科学すること
です。
science liberates your worries.
私は、もし、宇宙船に乗せられて、死ぬまで宇宙を放浪させられるという場合や、
無期懲役のように限られた空間で死ぬまで拘束させられるという場合、
暇つぶしに何か本を持っていって良い
と言われたら、数学の本を持っていきます。
数学は科学の基本です。
数学は人生潰せます。
歴史とか英語とか地理とかは早々に飽きてしまう、味わい尽くしてしまうはずですが、多分数学は一生潰せます。
科学者というのは、研究しているうちに「人生終わってた」くらいの感覚の人が結構いたりするものですが、逆に言えば、何かを研究することは没頭できるということです。
さて。
経営者がかなりメンタルにくる仕事なのは間違い無いですが、そのせいか、占いだったり、なんらかの宗教的な祈りだったり、願掛け、そういうものが好きな人は多いです。また、半分はカウンセリング目的でコンサルタントを抱えている社長だっています。
酒に逃げる人もいます。
女に逃げる人もいます。
ギャンブルに逃げる人もいます。
そのほか、各種の趣味に走る人もいることでしょう。
メンタルケアは大事です。そういうのは大いにやって良いと思います。
しかし結局のところ、問題の根本に正面から向き合っていないと悩みは解決しない、というのが私の結論です。
会社に雇われて働いている労働者、そのほか非正規やアルバイト、フリーターなどは、経営者、社長という立場に憧れる人が多くいます。あるいは、働いていて、
俺がトップならもっと上手くやれるのに・・・
と歯痒い思いをしながら会社を下から見上げてる人もいるでしょう。
しかし、いざ、実際に経営者という立場に立つと、多くの人はその精神的なプレッシャーで病んでしまうことが多いでしょう。立場が確立した大企業ならまだしも、中小零細の社長であったり、起業家が精神的に追い込まれる度合いというのは半端なものではありません。売上が立たなくなれば一瞬でニート、ホームレスです。
早い話が、
- 結果
- 成果
が思うように出ないから悩むか、あるいは、結果・成果は出ているのだけれど、
- 日々の経営管理上の問題
- オペレーションの悩み
- 将来の不安
などに押し潰されそうになるのが経営の辛さです。
そもそも、起業した場合、ほとんどのプレーヤーが数年で消え去り残らないので、ある程度稼ぎを維持しながら、「今や将来のことを悩めている場合はまだ恵まれている部類」であり、世の中には金が回らなくなったり、自己破産したり、職を失って転々としている元経営者だっているのです。
大阪にはあいりんという有名な貧しい地域がありますが、あそこには元経営者が結構いるという話もあります。
テレビの貧困ドキュメンタリに出てくる貧困老人も、元経営者だったりするのです。
誰だって逃げたくなります。気持ちはわかります。
経営者を辞めたい、と思った時、何で辞めたいと思っているのか。
これ、よく考えてみましょう。
成果が出ない、思うようにいかない、数字が上がらない、だからしんどい。
会社員とか公務員みたいに既存の構造にぶら下がってるだけでとりあえず普通の生活が安定的に確保される立場に逃げ込みたい・・・・・
そう思ってるなら、危険です。
将来の生活が不安だ、というのはわかります。
よくわかります。
しかし、そうなってしまう理由として、
成果が出ないから逃げたい、
うまくいかないから逃げたい、
これで自分の緊急避難スイッチを押してしまっては、「一皮剥ける」のは無理です。大抵、一皮剥ける時というのは、「逃げたい時」です。逃げてしまいたい時こそ、成長・躍進のチャンスです。
また、ここで万が一逃げた場合、逃げた先でも同じような悩みに直面します。おまけに、逃げ癖がつきます。同じような言い訳をして、また逃げるでしょう。何より同様の問題に対しての解決能力が身につかない。
人間は勝負できる土俵で勝負すりゃいいんじゃ
みたいな話もありますが、そもそもそれがあるのが才能があるということであって、無いのにそういう発想ばかりしてると生きる世界・生きられる世界が針の穴ほど小さくなります。
何より、仮に勝負できる土俵で勝負するとしても歯を食いしばるような努力をしない理由にはなりません。結局、大抵の人にとって、相対的にマシなフィールドを選ぶのが「勝負できる土俵」の現実であって、楽して勝てるフィールドが凡人にあるわけがありません。
仕事内容がしんどい、
合わないから辞めたい、
別の仕事をしたい、
これならまだわかります。
しかし、今の世の中は、旅行代理店に就職したつもりが蕎麦屋に異動になったり(HIS)、保険屋に就職したつもりが介護に配置換えになったりする(損保ジャパン)世の中です。
そもそも就職しても希望の部署につけるかどうかなんてわかりません。飛ばされる可能性だって十分ある。いつだってキャリアビルディングには運がつきまといます。そもそも会社に就職しても、思ってたのと実際のギャップは蓋を開けるまでわかりません。
さて、御多分に洩れず、私にも
安定した仕事がいいや
仕事なんてなんでもいいや
別にしたい仕事なんてないし
と思っていた時期がありました。一瞬だけですが公務員も良いかもしれない、資格業も良いかもしれない、なんて思ったこともあります。ほんの一瞬ですが。
そんな私が、まさか(その当時の基準で)こんなにも博打打ちみたいな人生を歩むことになるとは思いもしませんでした。
ただ、私は無計画で突っ込んだのではありません。
それなりの勝算みたいなものを握ってこの世界にエントリーしてきたのです。
その一つの武器が、営業能力であることはあちこちで述べてきた通りです。しかしながら、営業能力だけでは、「人を口説く」という瞬間的なプロセス、現場の技法がわかるだけで(まぁそれが1番大きいのですが)、ビジネス全体を動かしていくことはさらに知識が、高いレベルの知識が必要です。必要です、というか、私には必要でした。
私はギャンブルをしている感覚はありません。
どちらかというと、知識、知恵、ノウハウ、スキルを手に入れて、それを実際に使ってみたい、という感覚でビジネスの世界を歩んできました。私の本質は、経営者とか事業家では無いのです。
ノウハウコレクター
なのです。
実際のところ、ただそれだけです。
これが冒頭の「科学すること」という話につながってくるのですが、人というのは面白い情報や知識を手に入れると、
使ってみたい
という衝動に駆られます。
新しい車を手に入れた、新しいバイクを手に入れたら使ってみたいと思うでしょう。新しい服を手に入れたら着てみたい、と思うでしょう。
まさに同じノリで、良い情報や知識を得たらそれを実践に使ってみたくなります。良い情報や知識は人生に大きな影響を与えます。
また、日頃から実験的にいろいろなことにチャレンジしていると、否が応でも知識がついてくるのです。これは俗に言う経験値というものです。人生というのはこの経験値で渡っていく世界です。
失敗しても授業料と思え
というのは決して気休め論ではありません。何もかもが学習の機会です。授業料です。
18歳、20歳の頃と比べて、30歳、40歳になってくると若さや体力が落ちていてその分不安は増すものの、あらゆることに対する知見が拡大しています。ですから、若さや体力の低減を埋め合わせてあまりある経験を積んでる人は、本当は年数を重ねるごとに生きやすくなってるはずなのです。これは、長時間プレイしたゲームが上手にできるようになることと同じです。
(貯金ばっかりして経験値を積むのを忘れた人は歳を重ねるごとにただ落ちてるだけなので生きるのが怖くなります)
経営者、疲れた、しんどい、うつ、プレッシャー、辞めたい。
気持ちはわかります。
多分行き着く先は、
逃げる
です。
逃げて楽になる、です。
しかし、どうでしょうか。結局それは、歴を積み増すにつれて、知識や知恵が拡大していない、経験値がアップしていない、成長していないのでは無いでしょうか。
もし、これらが上向きで、数字も上向きなら、辛いことがたくさん合っても、できることもたくさんになってるはずで、何より報酬もついてきているから楽しいこともいっぱいあるはずです。少なくとも、
辛い、きつい、しかし辞めたくない、辞めたいとは思わない
という風になってるはずです。
そうなっていない、ということは、「何かがおかしいはず」です。
科学というのは、常識を洗練させたものに過ぎません。
また、ビジネスの世界には、大学の博士レベルの連中じゃあ到底及ぼないほどの人材、及ぼないほどの産業的知識・実践的知識を持っている人材がゴロゴロいます。
大学の教授なんか、産業界のプロと比べたらノウハウ的には弱い部類です。そもそもトップビジネスパーソンは大学教授なんかより稼ぐし、モノを知っているのです。手前味噌ですが私もその部類です。
人類の歴史に照らし合わせた時、科学というのは宗教的蒙昧の時代の次に来ました。ヨーロッパの飛躍は科学が支えています。宗教に入り浸っていた時代はそんなにヨーロッパは強くありませんでした。
ビジネスパーソンも同じです。
宗教的なものに縋っているうちは弱いのです。オンラインサロンは「現代の宗教」と呼ばれたりしますが、あのようなものに浸っているうちはまだ
中世の民
と言えるでしょう。自己啓発に浸り過ぎるのも同じことです。
あなたの悩みのほとんどは、
- こうなればこうなる
- これは上手くいかない
- 将来はこう予測できる
- こういう形であれば生き残れる
- 万が一うまくいかなくなったらこうすれば良い
というようなことが科学的な知識として備わっていれば解決できるのです。
ここで、緩やかに科学を定義しておくなら、
- 「ああなったらこうなる」
- 「これはこうこうこういう理由でこうなる」
- 「これとこれは繋がっている」
- 「これはこういう基準でこうなる」
というように、私たちの視界を明るくしてくれるものです。
もう少し具体的に言うと、
基準性の伴う知識
です。
- 頑張れば夢は叶う
- 続ければ報われる
- 努力すれば成長できる
この手の言葉というのは、初期のエントリー段階であったり、ライトな層であったり、直面している問題が軽度であればあるほどすんなり入ってきます。言葉がすんなり頭に入ってきます。
世の中に浅い啓発が溢れているのは、それで満足するレベルの課題レベルの人がほとんどだということです。日本人の平均年収は400万円台ですから。
しかし、失敗経験がある人、今直面している問題が深刻な人、そういう人ほど信じられないはずですし、そもそも基準や目安が見えてこないので不安になる、信じられないのです。
この世にフリーランチはありません、自己啓発メッセージは商用メッセージ、コマーシャルメッセージですから、それが最も社会のボリュームゾーンに響く、ビジネス的に成果になるから出回っているのであって(求められているのであって)、それが実際に体に良いかはわかりません。
余談ですが、
「ビジネスを真剣に教える先生」
「自己啓発する先生」
だとどっちが儲かるかというと、圧倒的に後者です。世の中には気休めを求めているライトユーザーが多いからです。ビジネスコーチより、モチベーショナルスピーカーの方が儲かります。前者は基本的にあまり儲かりません。というか割りが合いません。少なくともボリュームゾーン向け、大衆向けでは無いのです。
YouTubeで無料で流れている啓発動画に、経営者レベルの人は満足できないのでは無いでしょうか。
真剣にビジネスを学べる場所、機会というのは実際そう多くは無いのです。というよりは、例えば企業が年収600、800、1000、1500、2000と支払って招聘するような人材はまさに、何らかのビジネスノウハウを求めていると思いますが、それだけpayしてナレッジ、データ、ノウハウを導入する世界です。
ここで貴方に胸に手を当てて考えて頂きたいのです。
有能な人材を招聘する努力をしたか?と。
自社に、自分にナレッジやノウハウを導入する努力をしたか?と。
自分の脳みその限界に囚われていないか?と。
基準性の伴う知識は、私たちの人生やビジネスをどう変えるでしょうか。
少し例を出します。
例えば、有名な1万時間の法則というものがあります。
これは、どの分野でもプロフェッショナルとされている人は、1万時間を何かに費やした人だ、というのをベストセラー作家のマルコム・グラッドウェルが研究の成果の末に見つけ出したものです。
手垢のついたネタなので、インパクトが弱く感じるかも知れませんが、発表された時のインパクトは大きいものがありました。こういうのは人生を変える知識の1つです。
この法則は概ね合っていると思います。
10代、20代の頃は進路や将来をひどく悩む人も多いはずですが、
そもそも人間など1万時間投じるぐらいでキャリアを考えないと何者かになることはできないのだ
くらいのスタンスと基準が持てるのは、人生に戦略性をもたらします。こういう知識が無いまま、場当たり的に2年で職を変えて、気がつけば30歳になっている人には一体何があるでしょうか。何もありません。何も無いから行き詰まるのです。そして行き詰まるから焦る。下手な手を打つ。
もちろん、何も無い人間でも、新しいオポチュニティに飛び込めば成功する場合もあります。
最近の例でいえばyoutubeです。
しかし、招待性アプリ、クラブハウスのように「一瞬で終わる」ムーブメントもあります。
新しいチャンスに飛び込むのはスイッチングコストがかかり、学習コストがかかり、場合によってはこのようにすぐに萎むブームもあります。
仮想通貨もそうですが、美味しい思いをした人もいっぱいいるでしょうが、1番盛り上がった時に乗っかるだけ損したというタイプもそれ以上に多かったはずです。
いわば、泳力がない代わりに、波が来たら乗ってやろうというサーファー精神ですが、私はサーファー精神も逆にすごい、面倒くさそうだな、と思うのです。
コントロール性が低いし、面倒だし、やることを変えるのは大変です。
何より1番嫌いなのは、流行りに飛び込んだだけで終わると、蓄積性が無いことです。時間を使ってきた割に「何をしてきた?何ができる?」に答えられない人材になるリスクがあるのです。
(もちろんどこで何をやるにしてもメガトレンドを捉えるのは大事ですが)
もし仮に、現在の日本で年収600万円以上をとりあえず「プロ人材」と呼ぶとすると、このプロ人材は、バブル性・一過性・特権性のものでない限り、人生の中で概ね1万時間を何かに費やしてその「知識資本・能力資本」みたいなもので自らの時給を引き上げているケースが多いというのは事実だと思います。
年収4〜500程度であれば、テキトーに大学に行ったりテキトーに専門学校を出たり、何かしらの試験や資格の選定・採用プロセスをくぐり抜けて、手順を踏んで、若さを有効活用してなんらかの構造にしがみつけば得られる数字だと思いますが、相応のレベルになってくると
1万時間の努力をした、あるいは社会人としてエントリーした後に何らかの分野で1万時間を投じることになった
というパターンの人が多いでしょう。
知識が無いと仕事にならない、そもそも受からない、司法試験なども1万時間の学習が必要と言われていたりします。2万時間という意見もあります。
いわば、一定のエキスパートとしての基準として参考になる指標です。
(ちなみに現代の弁護士の平均年収は600万円台です、600すら無いのではという声もありますhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11219011581)
医者の平均年収は1169万円です。
医学部合格までに必要な勉強時間は授業を除いて5000時間と言われています。高校卒業後、医者になるまでにおよそ9年かかります。しかも平均年収は平均年齢と一緒に見た方が良いでしょう。医師の平均年齢は49歳程度です。30歳時点の年収は900万前後です。
もちろん、1万時間を投じて何かしらのエキスパートになる必要は必ずしもありません。エキスパートのみが稼ぐ道ではありません。
見方を変えれば、エキスパートは雇えるのです。買えるのです。正社員雇用として丸抱えするのはしんどいですが、レンタルすることは可能です。力を借りることは可能です。セミナーに参加して知見を少し分けてもらうことも、研修講師として招聘することも可能です。
また、「自分は何かに1万時間に投じることはしないから、その代わり、エキスパート性ではない違うところで勝負しよう」という発想に至ったり、「エキスパートの人たちを集めて何かすることを考えよう」という発想に至ることもできます。
確立した分野には、先行したプロ、エキスパートがひしめいています。故に、キャリアコースも見通しが立てやすいのですが、一方でしんどい。だからこそ、率先して新しい分野に飛び込む。そうすればその分野で先駆者になれる。もちろんリスクはありますが、うまくいけばパイオニアです。この原理で成功しているのがユーチューバーたちでしょう。
こういう基準性がある知識は、人生を変えます。
余談ですが、私は、Fラン卒の分際でこういうのも何ですが、
- 医師
- 弁護士
より頭が良く、もっと勉強しているという自負があります。
その証拠に、私の知人の看護師(日頃から医師と接している)が、ずっと悩まされている体調不良があって、医療人である本人もわからず、医師にかかっても原因がわからないものを、私が解決したことがあります。
医療や人体の知識は遠く彼ら・彼女らに及びませんが、基礎的な人体の構造系は理解しているので、問題は医療の知識ではなく、
症状という現象
(すなわちデータ)
をいくつかヒアリングして、そこから推定し、
何が原因か
を推定する推理能力です。
これはハッキリ言うと名探偵コナン、工藤新一的能力です。シャーロックホームズ的能力です。
段階的にソリューションを提示しながら解決に導いたことがあります。
ここで重要なのは、
所詮弁護士や医師などは、
教科書を読んでたくさん暗記してテストを受けてたまに学会などに出るものの大半は研究医ではない
という現実、すなわち、その界隈におけるフロンティアや上層から降りてきたものを学んできた学徒であるということです。また、社会のシステムや認定試験制度のもとで量産されているので一定の答えがある世界で生きている人たちです。
私は、ビジネスの世界で、未知なものと向き合ってきたという意味で、「ドクター」と呼ぶにふさわしい人間ですが、そういう世界にいると答えのない課題と毎日向き合っていますので、そのための頭の運用が磨かれます。
すなわち、
医療的知識
があることと、
それを運用して目の前にある問題に適合すること、解決のアタリをつけること
は別物の能力であり、後者はコンサルティング能力に近いのです。
私はその後者の方の能力を用いて解決しました。
また、医師はハイソサエティの住人、実家金持ちであり、同族同士で結婚しがちですが、看護師も美人であればちょっかい出したり、結婚したりすることはあります。美人な女性は弁護士からアプローチを受けることもあるでしょう。
私はこれまで、
- 医師
- 弁護士
から求婚を受けてきたという女性、現在アプローチを受けているという女性からその競争に勝ち、こちらを選ばれ、逆に求婚じみたことされ(そして結婚せず逃げてきたwwwwwwww)という実績が何度かあるのですが、まぁ何が言いたいのかというと、いわゆるこういった高給・ハイスペック職種に求められる学習量はベンチマークとして常に観察してきた、ということです。
(メスの結婚をめぐるがめつさや嗅覚の鋭さは一級品なのでreason to believeとして提示しただけです)
ハッキリ言って、医師・弁護士は資格による資格領域、独占特権がその稼ぎの秘訣で、特に医師は公的保険という事実上の税金で成り立っているある種の第二次公務員みたいなところがあるので、医師・弁護士と同等かそれ以上の勉強量で、さらに医師や弁護士の年齢別給与と同等かそれ以上を稼いでいる民間人は軽く見積もって彼らより二倍は有能だと言えるでしょう。
逆に言えば、
23歳で(馬鹿なのに)年収1500万円稼いだ
21歳で(勉強してないのに)年収3000万円稼いだ
みたいなのは、「一過性のバブルではないか?自分の実力か?」と自分を控えめに考えて、準備だったり努力する必要性のシグナルを鳴らしてくれるのも、基準性がある知識の効用です。いつの時代も、定期的に、瞬間的な時代ニーズによってポッと高給を稼いでは消えていく人たちというのはいます。
年齢不相応、実力不相応に稼ぐ、見栄を張る、頑張って高級車乗ってみる、高い世界覗いてみることは良いことです。ただ、それが自分のためになる、自分を引き上げるのならであって、自分の身を滅ぼすのであれば意味がありません。
稼いでいない時に不必要に焦らず、稼いでいる時に不必要に調子に乗らない効果があるのは基準性のある知識の賜物でしょう。
大事なのは、この「基準」がわかることなのです。
私は25歳でそこそこモテてきた。まだ独身だけど、まだこれから良い出会いあるよね?
みたいな女は、一方からは「まだ若いじゃん!まだ出会いあるよ!」と励まされ、一方からは「もうババアじゃん!女は25までだぞ!お前そもそも二十歳の頃25までに結婚するって言ってたやろ!」と言われて、目の前にやってくる男たちを見送るか、バッドを振るかを考えながら、もっと良い出会いはあるのか、私はどうするべきなのか、自分はお姉さんなのかババアなのか、などと悩むことでしょう。しかしながら、統計的な女性の年齢別の人気データとしてベンチマークになるものを引っ張り出し、自分が同級生女性社会の中でどれくらいのランクだったかをある程度定量的に割り出し、さらに過去の恋愛データも引っ張ってくれば、
血の気が冷めるほど将来どうなるかは読めてしまう
ものです。少なくとも、自分の立ち位置くらいはわかります。というより日々のデータがあるのですから、その変化率(微分)でわかるのです。なんなら日々のライフスタイル(時間の使い方)と出会いのチャンスに関するデータも加算すればさらに精度は高まります。すなわち、結婚をめぐるいろいろなアドバイスだったり、教訓みたいなものが自分の人生に応用し、現実を変える結果になるのは「基準」まですり合わせて、落とし込めてこそ、なのです。
なんとなく入ってくる情報や知識、それを現実のものにするのはそこから基準を導き出して、自分という基準とすり合わせて落とし込む必要があるのです。
雑な言い方をすればFカップ25歳とAカップ25歳は別の生き物なのです。東京の女と地方の女は別の生き物なのです。
不安や心配事には基準を持ち込むことで目前の景色が晴れることはよくあります。
さて、あなたの経営課題は何でしょうか。
経営者は、常に、コミュニケーションを取っている存在です。
1つ決定的なことを言えば、
「コミュニケーション」
に関係する分野、例えば、
- マーケティング
- セールス
- 広告コピー
- 人材マネジメント
- 教育
などに関して、あらゆる問題の根っことしてあるのは「伝わっていない」というものです。そして、伝わっていないのは、「言葉にされていない」というケースが結構多いです。言葉にされない想いは伝わりません。阿吽の呼吸は伝わりません。
もしかしたら恋愛もそうかもしれない。
また、全てを言葉にするということは、システム化・マニュアル化という概念にも接続してきます。
私たちは自分の想いを言葉にできているでしょうか。圧倒的に言葉足らずでは無いでしょうか。言葉にされなかったものは、全て自分の内心に留まっている限り、なのです。自分の想いを全て言葉にしてみませんか。寡黙は美徳ではありません。黙っていて伝わることはありません。お喋りになってみましょう。書きまくってみましょう。
では、言葉に出来ていた場合、次に問題としてくるのは、
「覚えられていない」「忘れられている」
というような問題です。これはもう、繰り返すしかありません。繰り返し繰り返し伝えていくしか無いのです。
そしてもう1個、重大なものがあります。それが、理解されていない、というもの。そして、これには「基準」というテーマが関わってきます。実際、私たちは誰かとコミュニケーションする上で基準が伝わっていません。また、自分が外部から何かを仕入れる際にも基準を理解できていません。基準がよくわかっていません。そしてこれが、冒頭から繰り返し述べてきている話でもあるのです。
基準というのは主に
- 数値
- 関係性
で語られることが多いでしょう。
あらゆる悩みには物差しが必要なのです。物事は「測る」必要があるのです。
測る(量る)から計るし図るのです。
少なくとも、
この施策はこの施策より効果が大きい
この施策はこの施策の何倍の効果をもたらす
ぐらいの感覚を自分の中に持っておくこと、そのレパートリーが豊富であることは求められると思います。
私が一番初めに持った秤は、CVRでした。CVRが施策次第で実際に変わることも実験で検証できました。
貴方には一体何個の秤が、計器がありますか。暗中模索のビジネスの世界で、どんな繋がりまで見えていますか。
===
"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。