街でたまに、一人でブツブツ喋ったり大きな声を出している人を見かける。
昔は単に怪訝な目で見るだけだった。
実際、ヤバい人が多い。
今ならわかる。
あれはイマジナリーフレンドと話しているのだ。
そして、背後には防衛心理という悲しい性がある。
友達が欲しいのに作れないとか、異性を欲するのに結びつかないみたいな人は、現実逃避するしかない。心理が防衛反応を示して、自分の趣味趣向を変えて『好きじゃない』と強がったり、一人遊びを生み出そうとする。こうして、どんどん認知を歪めることで生き残ろうとする。だからますます俗世から乖離していく。
中高年や老人が、一人でブツブツ話ながら歩いてるのを見たことがないだろうか?
あれは寂しいのだ。助けて欲しいのだ。誰かに話している内容を拾って欲しいのだ。
自分から話しかけることは遠慮しているが、誰からも話しかけてもらえることはない、そんな人間がなんとか寂しさを埋めようと思えば、ビジネスで接してくれる人間、例えば接客の人間にやたら話しかけたり、一人でぶつくさつぶやきながら歩き回る人間になる。
おじいちゃんおばあちゃんが、親族一同集まる機会をあれほど楽しみにして喜んでいるのにはワケがある。
社会的な成功者には、死とか、老いとか、孤独を恐れる人が多い気がする。とんねるずの石橋貴明、ホリエモン、avex松浦なんかは典型的な寂しがり屋、人との繋がり希求者な気がする。
ああやって、なんとか人と繋がろうという根底の思いがある人は強い、何かしら社会の中心で、祭りに参加していよう、それを主催しようとするから。中高年以降のフェーズは特に強い。知名度も大きい。
たいていの人間にはそれができないから、家族というクローズドな空間を作ることでそれを穴埋めしようとする。若い頃のように友達とずっと群れていられることはできないのだから。
とことん何もない中高年は、アイドルのライブでやたらと踊るよくいる人になる。
あれはある種のイマジナリーラバーズ、イマジナリーファミリーだ。
みんなで踊ることで一体感がある。そこには綺麗な若い異性がいる。応援することで繋がれる。自分の存在意義を見出せる。そこには傷つくこともなければ、否定されることもない。成就することもないんだけれど。イマジナリーがゆえにサステナブルな、ドリーミーなものが続く。そこに没頭すれば、なんとか生きられる。いや、没頭するしかない。
本当に持たざる者はファンタジーやイマジナリーに逃げるしかない。
学校の勉強頑張れよ。
友達たくさん作れよ。
良い大学行けよ。サークル活動に励んで友達作れよ。ガクチカ作れよ。良い会社入れよ。
元気よく挨拶して、上の人たちに尻尾振って、気に入られて、同期と仲良くやって。
結婚式に顔出して、結婚式に人呼んで。
配偶者大事にしろ、家庭を大事にしろ、PTAがんばれ、ボランティア参加しろ、ご近所付き合いしろ、子供の面倒を見ろ。愛情を注げ。
出世して、人望がある人間になって。
定年退職する時には拍手して送ってもらって。
そーゆーのやれよ。頑張れよ。
それって結局、『人との繋がり』をなんとか保って、人生の中で切ない時間を減らす努力だなって。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。