女を顔で選ばない・面食いじゃない男、若さ・年齢で選ばない男の見つけ方・攻略法について

こんにちは。

今回は、

  • 女を顔で選ばない男
  • 面食いじゃない男
  • ルックスで選ばない男
  • 若さ・年齢で選ばない男

の見つけ方、攻略法について語りたいと思います。

 

 

いつまでも若くいたい、モテたいという男女共通の心理

 

いつまでも若くいたい、モテたいというのは男女共通の心理だと思います。

では、何故、そんなことを思うのでしょうか。

 

ここを明確にしていかないと、人によって意味が全く違います。

いつまでも学生気分でいたいのかもしれない。

素敵な人と出会いたいのかもしれない。

単純に色んな人にモテたいのかもしれない。

承認欲求を満たしたいだけかもしれない。

 

もし、いつまでも若くいたいという心理の理由が、

  • 良い出会いが欲しい
  • 素敵な人と知り合いたい
  • 素敵な人に惚れられたい、惚れたい
  • 良い恋愛がしたい、結婚がしたい
  • 素敵なご縁が欲しい

というようなものであれば、

別に若くてルックスが良くてチヤホヤされていても、縁に恵まれていない人はたくさんいる、メンヘラっぽくなっている人はたくさんいますから、直接的に「ルックス」「若さ」とは関係がありません。

 

いつの時代も、

10代・20代の女性たちの心を掴んで離さない

カリスマラブソングシンガーみたいな人たちがいますけれど、

彼女たちの書く歌詞にはその年代特有の悩みが描かれています。

 

これらは、上の年代からしたら羨ましい悩みかもしれない。

でも、渦中の人は精一杯かもしれない。

 

今度、高校生の恋愛の悩みとか聞いてみてくださいよ、くだらない悩みにものすごく一生懸命悩んでいたりする。

 

人は、その時々で、その時々の悩みに手一杯なのです。

 

・・・・・。

若くて綺麗でも悩んでる人は悩んでいる

訳で、それはツイッターなどを見ていてもわかるでしょう。

 

「もう男はこりごりだ」

「もう恋愛は疲れた」

「どうして私はセフレなのか」

などと、いろいろ言っている人たちがいるのです。

 

あるいは、ただ単純に、

学生気分でいつまでもノーテンキに暮らしていたい・生きていたい

という場合には、これはまた話が変わってくるでしょう。

「永遠の18歳」「永遠の20歳」への憧れとも言える。

 

 

もし、本質的な願望が、良い恋愛がしたい・良い出会いが欲しいのであるならば・・・・

 

私が言いたいのは、つまりこれです。

もし、本質的な願望が、良い恋愛がしたい・良い出会いが欲しいのであれば、それは何歳だろうと、どれだけスペックが備わっていようと、難しいのは難しいということです。

 

何歳だろうと、誰だろうと難しい。

 

イケメン俳優だろうが、美女女優だろうが、めちゃくちゃな家庭を築いたりすることは往々にしてあるでしょう。

世間を騒がせるでしょう。

 

若さへの羨望というのは、過去への羨望であり、自分も通ってきた道です。ですから、ちゃんと思い返すことができる。

実際に、自分の手元にあったものです。

つい、私たちは過去を美化してしまいがちですけれども、よーく昔を思い出してみてください。そんなに、若い頃は良かったですか。なんやかんや、その当時も大変だったのでは無いでしょうか?

 

人は可能性と選択肢を回復させるために若い頃に戻りたいなどと思ったりしますが、当の若い人は自分の裁量で将来が大きく動くからこそ、そのプレッシャーで押し潰されそうになって吐きそうになってるのです。就活で失敗して自殺する人もいますからね。

 

若返りたい、と願う人たちは、若返ってどうなのでしょう?それは結局のところ、自分の願望や理想を、「若返ればどうにかなる」と思って発言していませんか?

キャリアに関しても何にしてもそうですが、人生やり直したいとか考える人はやり直して本当にどうにかなりますか?どうせやり直しても同じことするでしょ?

私は今でもはっきり覚えていますが、小学校の頃もそれはそれで大変だったと記憶があります。

 

そして、もし、

  • もっとこんな風に綺麗になりたい
  • もっとあんな風にかっこよくなりたい

と他所の他人を羨むのであれば、よく考えるべきでしょう。

韓国のK-POPアイドルが若くして自殺したりしますけれども(f(x)の人とか、KARAの人とか)、アイドルになって一世を風靡するレベルの人たちでも相応に悩み苦しみがある訳です。

綺麗に生まれた、かっこよく生まれた、が当たり前の所与・前提条件として生まれてきた人たちは、それが当たり前なので意に介することはなく、それぞれの人生を歩みますがそれぞれの人生でも大変なことがあります。

それを外部から勝手に眺めて、羨望しているだけでは無いでしょうか?

 

 

面食いじゃ無い男の心理、女を若さ・ルックスで選ばない男の心理

 

面食いじゃ無い男の心理、女を若さ・ルックスで選ばない男の心理というのはどういうものでしょうか。

これは、根っからそうだったということでは無いパターンがほとんどだと思います。

 

面食い・顔で選んで、痛い目にあった。

ルックスで選んで、痛い目にあった。

若い人と付き合ったけれど、痛い目にあった。

 

そういう過去の経験から、アンチテーゼ的に逆行している場合がほとんどでしょう。失敗から学習して、好みが変わってしまっているわけです。

こうなってくると、必然的に、

性格・内面で選ぶ

という話になってきます。

ということは、面食いじゃ無い・ルックスで選ばない・若さで選ばない男というものを射止めるためには、「性格・内面」で選ばれるようにならなければならないということです。

実は、これは一周回って難しいのです。

性格が良い、人柄が良い、内面が良いというのは本当に難しいことです。

ルックスが良い、若い、そういうものより遥かに難しいことです。

 

 

外見でのマッチングと、内面でのマッチング、どっちが難しいのか

 

外見面で自分の好み・条件を満たすマッチングと、

内面での自分の好み・条件を満たすマッチング、

どっちが難しいでしょうか。

 

これは、外見の方が難しいように感じるでしょう。

ところが、

「相手サイドからも選ばれる」

という双方向性を考慮した場合に、実は「内面」の方が極めて難しいのです。

 

私は、

  • キャバクラ
  • ガールズバー
  • 風俗

というように、女性の「性」が何らかの形でパッケージングされて切り売りされている産業にこれまで、たくさんお金を落としてきました。

こういったところでのやり取りというのは、端的に言えば、浅い部分を買っています。そして、相手も相手でビジネスですから、「男性に広くウケるように最適化されたビジネスの仮面」をつけて接客をしています。そして、ある程度、距離感を取っている・素の自分とは違ったものを出している人たちがたくさんいます。

こういうところに行って、

いちゃついたり、

キスしたり、

おっぱい揉んだり、

ちんこ舐めてもらったり、

セックスしたりするのは、極めて簡単です。

自分の願望を満たす・自分の条件をある程度満たすような相手を見つけ出すことは簡単です。そして、相手サイドも、こちらの表面的な部分しか見ていない段階でお互いに良い感じになるのは簡単です。

しかし、どんどん距離を縮めて行って、関係が深くなっていったとき、内面の部分でしっかりと噛み合うということになると、非常に困難になります。

 

 

子供の単純さ、大人の複雑さ

 

もし子供が単純で、大人が複雑だとするならば、外見面で複雑さが増しているわけでは無いのです。内面です。

大人になればなるほど、内面の複雑さが増しているのです。

もし、学歴だとか、仕事だとか、才能だとか、そういうものも内面にカウントするのであれば、そっちの方が難しい。ちょっくら可愛いタレント、カッコ良いタレントはいくらでもいて、常に消費されて流動していきます。しかし、ずっと根を張るような能力・才能がある人は少数派でしょう。

 

 

「若いうちに結婚しろ」、「顔で相手を選ぶ」というのは、実は簡素化戦略

 

実は、若いうちに結婚しろ、顔で相手を選ぶ、というのはかなり簡素化戦略です。

こっちの方がイージーなのです。

 

25歳までに結婚しよう、というような、自分の若さをウリにした結婚市場での戦い方は、マッチング確率を高めるイージー戦略です。1点張りです。

よく、「分別がつかないうちに結婚しろ」「勢いだ」「若さと勢いがないと結婚は無理だ」などと言われていますが、これもイージー戦略。

 

内面×内面というのは、累乗的にマッチング困難性を高めます。

 

女性は、25歳・30歳ぐらいになると15歳・18歳の男性に対して、性的な対象として見られない、恋愛対象として見られないという人が多いと思いますが、男性は逆です。だからこそ、男性はわかります。

まぁ、まともな25歳・30歳は20歳とか18歳とか17歳とかには触手を伸ばさないでしょうが、触手を伸ばしている人たちもいます。彼らはわかっています。

若い女性と交流すればわかりますが、極めてシンプルなのです。難しく無いのです。

 

これが俗に言う、「経験が無い強み」です。

真っ白であること。まっさらであること。シンプルであることの強み。

 

 

陰キャは知らない、「自分を理解してくれる人」という低望みに見えた高望み

 

学生時代、

陰キャだった、

友達と過ごした時間・濃度が低かった、

恋愛できなかった、

そういう人たちが大人になって恋愛パートナーや結婚パートナーを探すときに、「自分という人間を理解して支えてくれる人を見つける」という考えに陥りがちです。そして、高望みをしているつもりは当人には全くない。

 

しかし、私の学生時代の経験から照らしても、同性同士でもお互いを理解し合うというのは極めて困難な話です。

10年、20年一緒にいても無理ですよ。

友達関係というのは、往々にして、

表面的に一緒にいて楽しいから、盛り上がるから

みたいなパターンが一番多く、そしてこれが一番、いろんな人とマッチングできる方法です。

 

友達関係と言っても、内実はいろいろありますが、男性に限って言えば、男性が男性社会で友達関係を構築していろいろやっていくパターンは相談できる関係性とか弱みを見せ合うとかそういうものよりも、

一緒にワイワイガヤガヤやって楽しむ

というのが多いはずです。

 

そして、陽キャは一番これをわかっています。

だから陽キャというのは楽しくやっているのです。

うるさいのです。

物事を浅はかに捉えているように見えるのです。

 

陽キャは、マッチング範囲が広い。なぜか。それは、広くいろんな人とマッチングできるパターンとしての、

「一緒にワイワイガヤガヤやる」

ということに最適化されているからです。

 

これが、内面×内面で最もうまくマッチングできる方法だと知っている。

陽キャラ、陽な部分がある人たちは、

「広く万人と合致できる何か」

をわかってる人、やれる人です。

 

そして、大抵の陽キャにも、陰キャレベルで「ドヨーン」としたドロドロした陰気な感情や気持ち、考えはあるのですが、それを心の奥にグッと閉じ込めて鍵を閉めているのです。ですから、その意味で、それを誰かに痛み分けしようとしないという意味で強いのです。

パリピはアホじゃありません。

パリピと話せばわかりますが、

陰なオーラを他人とシェアしても意味がない

と悟っている人がほとんどです。

 

陽キャラの哲学というのは、「楽しみはシェア、悲しみはシェアしても意味がない」です。悩み苦しみ辛さを人に理解してもらおうという発想が無いのです。

楽しんだモン勝ち、というよくある発言はそういうこと。

 

おそらくですが、日本で離婚が増えたのは、「サラリーマン+主婦」「サラリーマン+サラリーマン」みたいな家庭が増えたからです。昔みたいに、夫婦で一緒に商店街で商店を営んでいるような夫婦は離婚しにくかったはずです。

私が学生時代を振り返っても、

ずっと一緒にいる時間がほとんど

という場合においてはその友達とうまくいくのですが、離れる時間が増えるとすれ違いが増えます。なぜなら、お互いの都合が噛み合わなくなる上に、お互いがお互いで他所から、

  • 不幸の輸入
  • 楽しみの輸入
  • 苦しみの輸入
  • 考えの輸入

などをするからです。そして、一緒に何かに取り組むことがなくなる、時間がなくなる、共通のものが無くなっていくと瓦解します。そもそも、お互いが違うベクトルを向き始めるのです。

よく、「子は鎹(かすがい)」と言ったりしますが、それもそういうこと。

 

 

人間関係の原則 : 『痛み分けは無理、絶対無理』

 

人間関係には原則があります。

痛み分けは無理、絶対無理だということです。

 

人は、隣に誰かがいて、自分が痛みや苦しみを背負っているとき、これを痛み分けできないことに腹を立てたりします。そして、その相手に当たったりします。しかし、これは人間関係の原則ですが、「痛み分けは無理、絶対無理」なのです。

一人で生きていても必ず降ってくる不幸や苦しみ、痛み、苦しみ、これを自分で処理できる人間が、誰かと一緒になってさらに増えていく不幸や苦しみ、痛み、苦しみもさらに自分で処理できるという場合は成立します。

ところが、一人で処理できない人間が、これを誰かに痛み分けを求めて誰かと結びついたら短期的には良くても当人は必ず後から不満を言い始めます。

 

人生にはプラスの側面とマイナスの側面があり、誰にでも波があったりしますが、マイナスの部分を自己処理できないなら無理です。

自分のウンコは自分で流せということです。

そしてこれが、「自立」ということです。

自分で排泄できなくなった年寄りなどは、「自分で排泄できることがどれだけ幸せなことだったのか」と思うそうですよ。

 

ぶっちゃけ、どれだけ仲の良い夫婦でも、どっちかがアウトになって介護地獄とかになれば地獄でしょう。そして、どっちかが足を引っ張るようなペアだと、これもダメでしょう。自分の範囲というのは、自分の人生に単体でも降ってくる「負の部分」です。「マイナスの部分」です。

そして、これは誰かと結合すれば拡大します。ですから、最初の独立体・単体の段階で強くないとダメでしょう。

 

強くない人間が誰かと結びついたところで意味なし。

よく言う「優しさ」「思いやり」などは間違っています。完璧に間違っています。

これは都合の良い詭弁です。

大事なのは強さです。

 

 

陽の部分をシェアすれば良い話!

 

同じ趣味があるような男女は、関係性がうまくいきやすいというか、続きやすいらしいですね。これも、ここまでの話を踏まえるとなんとなく理解できるでしょう。

陽のシェアがあるとか、そこに相乗効果があるという場合には、良いのではないでしょうか。往々にして、男女のパートナーシップや相性というのは、そういうもので決まっているでしょう。そもそも、「楽しい」「嬉しい」から男女は結びついてそのままゴールインしたりするはずです。そして、すれ違いが大きくなったり、各々が負の部分を自前で処理できなくなった・拡大する負に耐えられなくなった時に瓦解していきます。

 

恋愛や結婚は、助け合う、支え合う、ハッピー、ラッキー、ドリーミー、ファンタスティックというより、単純に、テレビゲームで難易度を上げていく・ステージを上げていくような感覚で、

「これまでの人生につまんなくなった」

人たちが難易度を上げていって、「ああ、いいお湯加減だな」と楽しむものであって、最初から自前で負を処理できていない人たちが、自前の不幸を結婚できないせい・恋愛できないせいにしていたりするのは間違っているでしょう。

最初からお前の人生は終わってる

という話です。

 

 

顔で選ぶな!年齢で選ぶな!・・・と言っても、内面はかなり難しい

 

顔で選ぶな!

年齢で選ぶな!

・・・・・と言っても、実は内面はかなり難しい。

 

むしろ、若いうちに、年齢で選んでもらった方が良い。

若さの勢いでゴールインしてしまった方が良い。

 

そういうパターンも多々あるということです。

 

当然ですが、

「同程度の性格の良さ・悪さ」

「同程度の中身」

であれば、外見や若さの部分でアドバンテージがある人たちが恋愛市場、結婚市場で無双していくことは当然のことだと言える。

 

しかも、中身だけ見られるというのはかなりプレッシャーです。

外見で拒絶されるのと、中身で拒絶されるのは、後者の方がダメージが大きいでしょう。これは、思春期あたりだと外見の方がショックが大きいかもしれませんが、20代以降になると後者の方がダメージが大きくなるはずです。

 

 

中身で選んでいる人は本当によく見ているからコワイわよ

 

中身を見て欲しい、などとよく言いますが、中身で選んでいる人たちは、言ってみれば、「作法とかにうるさい」タイプが多かったりします。

 

おっぱいとマンコと元気があれば良いよー♪

とかじゃなくて、

上司と一緒にいる時に気が遣えない奴はナンチャラカンチャラ・・・

とか、

言葉遣いがナンチャラカンチャラ・・・

とかそういうパターンも少なく無いのです。

 

 

優しさや思いやりがある男性は大体「諦めている」「他人に無関心」

 

優しさや思いやりがある男性というのは、大体の場合、諦めています。

コミュニケーションにおいて他人に無関心、期待していないから優しいのです。

人当たりの良さというのは、距離が遠いということでもありましょう。

 

赤ちゃんと一緒です。

赤ちゃんと真面目に喧嘩するバカはいないでしょう。幼稚園児もそうです。

言っても無駄、話しても無駄、通じ合うのにも限界がある、そういう感じだから一見優しく見える場合もあるのです。

 

また、優しい人の元には依存症の人が寄ってきたりしますが、依存症の人がつけあがった先に、優しい人がばさっと関係を切ることもあります。

また、あまり人の文句や悪口を言わない人たちも、他人を見て一定のラインを超えると、「どうても良い人」という感じで頭の中で仕分けて、存在を無視しているからこそ、無関心でいる場合も多い。

 

温厚の人だと思って結婚したらDVされた

みたいな依存症専業主婦とかよくいますけれど、「性格が合う」とか「性格が良い」とか極めて難しい問題です。

 

 

往々にして人は、恋愛する自分に酔っている

 

そもそも、人は恋愛している状態に酔っていることも多いでしょう。「遊びなの?本気なの?」などと考えたり、彼氏彼女というタイトル、結婚というタイトルに固執したりしていることからもわかります。

結婚というタイトルに対して、安心感や、安堵感、出遅れ・売れ残りを回避できた感、社会的承認、世間体、同性社会での既婚マウンティングからの逃避など、いろんな理由で飛びついている人たちもいるのです。

まさに、状態に酔っているということ。

 

理想の人生、思い通りの人生、楽しい人生というものが人が描いた時に、恋愛などに精を出して充実しながらも、仕事もうまくいっているみたいなものを夢想する人たちはいますが、それは幸福の具に恋愛を使っている。

もちろん、それも良いことです。

ただし、その状態興奮と、誰か明確な対象がいることは別であることの見分けがつかない場合もあるし、前者は好きでも後者は特に無い、という場合もあるでしょう。

 

 

相性は何で決まるか。まず基本は、「食欲・性欲・睡眠欲」のスタイル。

 

私たちは、人間ですから、まず原始的な欲求があります。

  • 食欲
  • 性欲
  • 睡眠欲

は男女の相性を決める最も基本にして、最初の要素です。

身体の相性、エロの相性が合わないのであれば関係維持は非常に困難だと言えるでしょう。

相性が良いというのは、要するに、一緒なのか、補完的なのか、相乗的なのかという話です。「一緒」というのは、相手の方に惹かれて寄せていってしまうとか、逆に相手を引っ張ってしまうという場合もこれに当てはまるでしょう。

 

 

次、安全・安定欲求、危険回避欲求

 

食欲、性欲、睡眠欲の相性が合うのであれば、次は、「安定・安全」に対してどのようなスタンスを取るのか、です。人は、三大欲求が満たされて最低限の不足が無くなると、今度はそれを

  • 守りたい
  • 維持したい
  • 将来の危険を回避したい
  • 安定させたい

と思うようになります。

ここに関して、男女のスタンスの違いは亀裂に通じます。

ギャンブラーの男、保守的な女、というペアにおいて、お互いがオフェンス・ディフェンスを担当するならわかりますけれども、単純に「もう、どうしてそんな危ない橋を渡るの!心臓が落ち着かない!」という感じで嫌気が指してしまえば、亀裂に繋がるでしょう。

ありがちなパターンは、保守的なタイプ・保守的な人生を送ってきた人間が、「刺激」を求めて恋愛パートナーを選んだは良いものの、いざ結婚のような流れになると、打って変わってその「魅力」が仇になるパターンです。だんだん嫌気がさしてくる感じですね。

リスク許容度、危険耐性、安定への姿勢というのは人によりけり。

雨風しのげてご飯が食べれて眠れたら幸せだよ、それだけでありがたい

と言う人もいるかと思えば、そうじゃない人もいる。強烈に「危険」「リスク」「不安」に耐性が無いタイプもいれば、ハードなメンタルな人もいる。

 

 

次、一人タイプか、密着タイプか

 

一人でご飯を食べられない、一人で旅行に行けない、一人でトイレに行けない、一人だとご飯を作る気がしない、一人だと楽しく無い・・・・というように、一人の時間を楽しめないタイプというのがいます。常に誰かと一緒にいたいタイプ。シェアしていたいタイプ。密着タイプ。

こういうタイプと、割と一人でも平気なタイプの場合は、片方が一人の時間を求めるのに対して、片方が異常に寂しさを感じてしまう場合があるでしょう。これは典型的な合わないパターンです。

 

 

生きがいをどこに見出しているか?

 

生きがいというのは、自分の生きている実感だとか、生きている価値・意味のようなものをどこに見出しているのか?というお話です。これが宗教に連結しているようなタイプだと、ここについて相性が合わないと困難でしょう。仕事タイプと家庭タイプの場合は、これについてすり合わせが必要でしょう。

何が嬉しいのか。

何が楽しいのか。

ありがちなのは、男女ともに、「異性からモテる」「異性の目を感じる」ということに嬉しさや生活のハリに繋がる活力を得ている場合、交際している段階では魅力的に思えた相手も、結婚してしまうと「遊べなくなる」ことで魅力が落ちてしまうことがあります。常に不特定多数の異性の目に晒されたり、様々なアバンチュールや、恋愛模様の中で揉まれているからこそ、異性として煌いて見えたりする。それを確保してしまい、一緒に暮らす人にするとまた違って見えるかもしれない。

楽しみに関しても、人によっていろんな楽しみ方がありますが、それが恋愛パートナーや、家庭形成によって大きく制限されてしまう場合は、幸福を感じられないかもしれない。もちろん、新しい楽しみを見つけることもできると思います。ただ、根本的に、「自由な状態を楽しんでいる人」だっています。ステータスとして、自由を失ってしまった人、自分を何かの拘束にかけてしまうことを嫌う人もいるでしょう。別の人からしたら些細なことでも、その人にとっては圧迫感を感じることの場合もあります。

こういうものは、半ば強制的に縛り付けて、年数を重ねてそれを当たり前にしていけば良いっちゃ良いのですが。そして、そのために、若いうちから人生の「前提」に恋愛パートナーや結婚パートナーの存在を織り込もうとする人たちがいます。

 

 

一緒にいて疲れない、を重視する人は、「相手は変わらない」を覚悟せよ

 

「一緒にいて疲れない」ということを重視している人たちがいます。でもこれは、言い方を変えると相手側が「変わることを求めてこない」ということです。お互いに頑張らない関係です。そして、男女ともにおいて

疲れない関係

というのは、初期の段階でお互いの今後が大体決まります。お互い、今後大きく変わることは無いでしょう。それは成長も無いということです。ですから、始まった瞬間が最高にして最後、頂点だとわかっておくことです。むしろ、落ちていくという覚悟が必要です。

 

 

恋愛や結婚は、場合によってはキャリアを潰す覚悟を

 

潰す、というのは大げさかもしれません。

しかしそれは「究極」、です。

段階がありますが、何らかの形で悪影響はあると思います。

恋愛や結婚は、キャリアを大なり小なり潰す覚悟が要ります。ある程度ハイレベルになっていくと、どうしてもトレードオフが生じることが多いのです。表向きのプレゼンテーションで、公私ともにうまくいってる感を出す人は多いのですが、仕事・キャリアと、恋愛・結婚を両立させるというのは極めて難しいことです。バランスを取るにしても、同時並行ではなくて時間軸をズラしているパターンも多い。

この点で、タイミングがものを言うこともある。

 

ただただ、タイミングが合わないだけでうまいこと恋愛が回らないこともあるし、恋愛以外のことがうまく回っているからこそ恋愛の方もうまく回ることだってある。両者の境界線をごっちゃにしてしまうパターンは多いのです。

キャリア、仕事の面を、「恋愛以外の領域の事情」だとするならば、この事情に振り回されてしまうことが多いのが恋愛・結婚の難しさだと言えるでしょう。その領域がどれぐらい大きいのか、どういった内容なのかは人それぞれです。

 

 

中身で選んで、恋愛しようとする男の見極め方

 

恋愛する際に、中身で選んで恋愛しようとする男の場合、「中身について興味を惹かれるもの」を感じたら、まずは時間をとって会う時間を作ろうとか、ちょっとお互いにお試しをしてみよう、という感じになるでしょう。

これに対して、外見重視の場合は最初の段階である程度、仕分けが終わっていると思います。

 

あるいは、「自分の考えを話したい」「自分が思っていることを話したい」というようなタイプもいるかもしれません。こういうタイプは、最初はそんな感じがしないかもしれませんが、どんどん引き出していくことで、たくさん話をするかもしれません。そして、これに対するリアクションだとか、やりとりの相性だとかを重んじるかもしれません。

中身重視の人は、濃い話をしたがるかもしれません。

こういう人たちは、面白いトピックを振って、その人の考えを引き出すかのような、いわばうまい「司会術」のようにすれば、グイグイ食いついてくると思います。特に、質問なんかも良いと思います。

 

簡単に言うと、割と表面派の人たちはシチュエーションで楽しもうとします。

これに対して中身派の人たちは交流の内実で見ていくはずです。特に、お酒を飲んで話をするとか大好きな人は多いはずです。

 

 

もしかしたら、「受け入れてください」と素直に直訴した方が早いのかもしれない

 

よくよく考えてみたら、勝手に、「この人はああだな〜こうだな〜」と性格分析をして、「合うかな〜合わないかな〜」と心配したり、推量したりするのはおかしいかもしれません。

変なプライドが邪魔をするかもしれませんが、最初っから開けっぴろげに自分のことを明かして、それを、「受け入れてください」とまっすぐ直訴した方が良いのかもしれません。当然、これにはリスクが伴います。拒否されて凹むリスクです。でも、勝手にあれこれ憶測を巡らせているより、「お願いします」みたいなスタンスでぶつかった方が早いかもしれない。

あれこれ推測してわけわからないときは、割とストレートど真ん中の方が良かったりします。

格好をつけない、可愛くしようとしない、というストレート。

 

 

20代後半、30代、40代になって、「若さが足りない」「時間が足りない」と言っている人が10代〜20代前半の時に恋愛でやらかしてること、それは「チンケなプライド」

 

20代後半、30代、40代になって、

  • 若さが足りない
  • 時間が足りない

と言っている人が、10代〜20代前半の時に恋愛でやらかしていること。

それはチンケなプライドかもしれません。

 

  • 自分からは行けない
  • 自分からは行かない
  • マッチングアプリを使ったら負けな気がする
  • ナンパは恥
  • 風俗は負け
  • キャバクラは負け
  • 好きという気持ちを伝えて砕けるのが怖い

みたいなことですが、こういうことは、後になって、

どうしてそんな些細なことで立ち止まって時間を浪費していたのだろう?

と思うことかもしれません。

 

泥臭かろうが、結果オーライなら結果オーライかもしれない。

そして、意外と、結果が綺麗に見える人たちは、過去に泥臭いことをガツガツやってたりするものです。

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。