稼ぎが変化する人生ストーリーを歩んでいたらわかります。すごく立派で誇れることをやっているのに全然稼げない。逆に、人に言うのが恥ずかしいビジネスや仕事でガンガン稼げる。そういうことってある。そもそも、仕事なんてものは、人がやらないこと、人ができないことをやる営みです。他者に尽くして対価をもらうことです。ゼロサムゲーム系の稼ぎをしてない限りは。
だから、あんまり仕事に崇高なものを見出しすぎると病みやすくなるかも。
「人生に無駄は無い」ってよく言われるのは、まさにこういうことがわかることかな。無駄な経験をすると、その無駄な経験が、「経験値」として頭に残ります。嫌な仕事・ビジネスとか、失敗した仕事・ビジネスとか。例えば、稼げないビジネスをやった経験、稼げない仕事をやった経験とかね。そういう、比較する対象が体験・経験として頭に残るから、良い判断ができるようになる。
例えば、若くして何も経験が無いまま、たまたまうまいビジネスモデルを見つけ、良いビジネスメンターに出会ったとする。トントン拍子で金を稼げるようになったとしましょう。そんなに深く考えない人なら、何も考えないから、それ以上悩まない。稼げたー、わーい。それで終わり。それで万々歳。人生満足ですよね。ハッピー、みたいな。でも、無駄に賢いとそれでも悩み始めるわけです。「え、こんなんで良いの、私」、みたいな。
でも、もしかしたら、むしろそういうのは自己中かもしれません。仕事で自己実現求めすぎるとか、自己中なのかもしれません。反対側に存在している需要に応えるのが仕事だから。でも、それはただただ言うことを聞き続けるというよりは、需要を意識した上でプロとしての知見をもとに提案していくということ。御用聞きだったら、ひたすら御用聞きやってれば良いわけだから。
私、大人になって、漫画を買うことがほとんど無くなりました。そんな私が最近、漫画にお金を使ったんです。何の漫画か教えます。エロい漫画です。なんか、トイレの中でセックスしだすシーンとかありました。綺麗な女性に誘われて、股間をスリスリさせて、そのままセックスしだす。ありえないシチュエーションですが、非常に面白く読みました。
さて。ここで思うのは、当然ながらその漫画は、描いた人がいる。執筆者・制作者がいる。あと、アプリで配信する形だったので、それをビジネスとしてやっている会社がある。もしかしたら、そのビジネスをやっている人たちは、一生懸命、毎日エロいことを真剣に考えながら、仕事しているかもしれない。家に帰って家族を養っているかもしれない。
小学生ぐらいのときかな。中学生ぐらいのときかな。とある漫画家さんの本を読みました。漫画家志望の少年が、若い頃から漫画家になりたいと思い、周りに公言しながら大人になり、実際に漫画家になったんだけれど芽が出ず、そのうち頼まれ仕事としてエロい漫画を描くようになった。すると、仕事が増えた。需要に応えているうちに、あれよあれよと、エロ漫画家になった・・・・・・みたいなストーリーがありました。そして、おじいちゃんかおばあちゃんかどっちかに、「あんたの描いた漫画が見たい」と言われて、それを見せたと。すると、おじいちゃんとおばあちゃんは絶句だった、みたいな。笑
でも、考えてみてください。
自分がやりたいことに固執していたら仕事として成立しなくて、需要に応えたら一応身を立てられるようになった。後者は仕事として成立していますが、前者は趣味になってしまっていますよね。
需要に応えた結果、エロ漫画家になってしまった。でも一応、漫画を描いて飯を食べるということができるようになっている。もし、仕事というものと自分を、過度に重ね合わせすぎたり、仕事を通して自己実現みたいなことばかり考えていると、この漫画家さんは病んじゃうのではないでしょうか。でも、その人の作品に対してマネーを投じて支持する人がいる。そしてそれが仕事として成立している。そこに継続性があるのなら、やっぱり、求められているのでしょう。
不思議ですね、仕事って。稼ぐって不思議ですね。
とはいえ、求められていることばかりに順応しているだけではダメというか、自分が潰れてしまう、自分が納得いかないことだってあるはず。だから、そこらへんはうまく、調整が必要なんだと思います。
お金を稼ぐということに成功している人は、それ以前に散々失敗していることが多いです。そして、どうにかお金を捻出しなきゃと真剣に考え、需要に応えているうちに、あれよあれよと、成るように成ってしまった人って結構いると思うんです。HISの社長の自伝とかも最近読んでましたが、まさにそういう感じだったみたいです。こうやって考えると、仕事なるものは、本質的に、自分がやりたいことができるものなのか、甚だ疑問ではあります。とはいえ、やりたくないことを続けるのも苦でしょう。自分の中で違和感や疑問があり、楽しめないと、仕事をやり抜けない。人に対してバリューを提供できるステージにまで辿り着くこともできないかもしれません。非常に難しいですね。
うーん。
仕事は楽しいのか。楽しくないのか。
仕事は好きなことをやるべきなのか。否か。
もちろん、良い塩梅でマッチングを求めていくものなのかもしれません。
実際にやってみないとわからないことはたくさんあるでしょう。実際にやってみて、想像と実際が違ったと感じることも多いでしょう。
個人的には、就労体験を思い出しながら、特に嫌だったこと・向かなかったこと等を思い出しながら「希望条件」を設定し、かつ、自分の能力や適性などから「制約条件」を設定して擦り合わせて考えるようにしています。当然、自身に制約条件が多くて希望条件もわがままだとなかなか道が限られてきます。しかし、そうやって炙り出されたものが1つとかなら、それはかなりラッキーです。全力投下する道が見つかります。もちろん、情報力がないと考慮のしようが無いですけどね。ですから情報収集は必須。
そして、案外、希望条件のところは妥協できたり、考えが変わったり、やっていく中で思わぬ報酬や成功体験があったりします。だからこそ、希望条件に関してはある程度柔軟にというか、「プライオリティ」をはっきりしておくと良いですね。
個人的に、ビジネスをやってて良かったな、と思うのは、体験の幅が広がったこと、そして制約条件や希望条件が変化して、自分でも気付かなかった自分に気付けたことです。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。