人が何かを変えようとするとき、無傷で済むことはありえない。不安や心配、ストレス、新しいことを学ぶことへのパニック、金額的な損失、もともとの環境を手放すこと、別れ、そーゆーものは絶対ある。
何かをすでに得てる人間ほど、変われないよ。
何かを得てるのに、それを捨てられる人間は一流だね。
例えば、月収数百万円稼げるウェブビジネスの手法なるものがあったとしよう。それにくいついて、稼げるようになり、その味を覚えて、そこに永住しようとした人が、時代の煽りを受けたらどうなるか?
まず、真っ先に死ぬ。そうやって消えた人間は腐るほどいる。ま、こんなのはオフラインでも同じことなんだけどね。そーゆー人間なんてのは、腐る程いる。経営者をやってたのに、無職になったり、ホームレスになったりする人が多いのには理由がある。商売はある程度、掘る場所さえ合ってたらブワーッと金脈が湧いてくるみたいなところはあるからね。
私が思うに、ニートとかホームレスとか無職って、過去に成功体験がある人、結構居ると思う。過去が捨てきれないから、そこに留まってる人って結構居ると思う。
月収100万近くもらって、すごいだの、賢いだの崇められてた人が、環境変化で落ちぶれて、そのあと、辛い仕事で罵倒されながらせかせか働けると思う?
無理でしょ?
人間はそんなもん。
昔、そーゆー人たちを見て、『なんでそんな状態のまま生きるんだろう?』と不思議に思ってたけど、今なら理由がわかる。
時代時代によって、稼げる場所ってのは存在する。稼げる資格、技術ってのは存在する。だから、あの業界にいたら稼げた、あの資格があったら稼げた、あの国にいたら稼げた、あの手法に頼ってたら稼げた、みたいなものって常に存在するんだな。
でも、世の中がチェンジして、そーゆーものが一気に消え去ったら、どうなると思う?幸か不幸か、万物は流転するよ。
そーゆー人たちは、ポジションが良かったから稼げただけで、一気に落ちぶれる。そのときが、やばい。彼らはセルフイメージやプライドは高いまま。だから過去を捨てきれない、新しいチャレンジができない。だって、そこには痛みが伴うからね。一時的に生じるマイナスとか、チャレンジへのリスクを許容できないのさ。
諸行無常の効用に乗っかって這い上がった人間が、諸行無常の負の作用で落ちることから逃げてはいけない。
結局、一度、成功してた人間の方が、落ちたら這い上がって来れないものなのさ。こわいねぇ。
だからラッキーで成功なんてしちゃいけないんだよ。結果なんてどーだっていい。プロセスをおろそかにしちゃいけない。
目先の成否を前にしたら、一旦落ち着かないといけない。
人から賞賛されようが、酷評されようが。
西園寺は知ってる。高校生の時、単なるラッキーで美女から告白されて付き合った時、プレッシャーに耐えかねて自滅した。不相応なものを手にしたら、自分の器が耐えられなくなる。私みたいなメンタル弱者は、こーやって勝手に自滅するし、メンタル強者(ただし、勘違い)はいつか勘違いが裏目に出て死ぬ。
過去、うまくいってたweb事業を、何度か自分の手で潰してきた経験がある。稼ぎ過ぎてたフシがあったし、『あぁ、これはこの先、あかんな』ってのは自分でよくわかったから。
結局、なんだかんだで、すごい安定してる人生送ってる。
理由ですか?
変化してるからです。変化に対応してるからです。過去の自分を殺せるからです。以上。記憶力も悪いので、過去、自分が何を言い、何をしてたかも覚えてません。この前、友人に、
『おまえ、高校の時、死にたいって言ってたぞ』
って言われてびっくりしました。うわ、そんなにネガティブなこと言ってたっけ。全然覚えてない。そんな人間の今の口癖は、『私は幸せ』ですからね。
人って変わりますね。
人間関係と住む場所を刷新して、記憶力も悪くなれば、人間、見事に変わります。もちろん、人生においては、過去の積み重ねがその人の今と未来を測るものとしてフィルタリングかけられることはあるけど、それは結局、簡便法。
実績が無くてもサクセスできる方法はありますよ。それは、実用に耐える何かを持ってることと、変化を味方につけられることです。
たとえ過去がお粗末であっても、実用に耐える何かがあれば、それで現実的な何かを生めば良いじゃないですか?それが実績じゃないですか?目に見えてわかるものを出せば?何かやってのければ?未来を引き寄せる動きをしてれば?
過去に意識のベクトルを向ける必要なんてない。
あー、今の自分、あかんな、って思えば、今から未来に向けた動きすれば良くない?
沈没する船に乗り続けてちゃ、ダメです。後ろばっかり向いてちゃダメです。長期利益を考えられないとダメです。
状況判断力が無いと、長期的展望がないと、ダメだよね。これが無くて、消えていった、死んでいった人たちなんて腐るほどいるでしょ。
ふふふ。
事業の定義なんて、平気で腐りますよ。陳腐化します。うまくいってた業界も死にます。だから、みんな、貯金とかするんでしょ、こわくて。
私は、自分の頭とキャリアに投資してきたから、それに沿って生きてる。結局、それが一番、長期利益が大きくて、安定して、幸せになれるのを知ってるのさ。
sustainable and strong and synchronizedであることが重要。持続可能で、強くて、自分にマッチした生き方。これを実行するためには、日本刀のように、『強みからブレない』という意味での硬さと、環境変化に対応していくという柔軟さの両方が必要。
そして何より、Selectができることだよ。これはすなわち、捨てることだ。そこには、痛みが伴う。損失が伴う。変化が伴う。
でも、人間、ワクワクするものを前にしたら、自然とそれができると思うけど、どう?
変わるのはコワイ。
でも、その変わるのがコワイのは、そのコワサを凌駕するほどのワクワクを見つけてないからでしょ?
お金持ちであることとか、どうでもいいんだよね。
資本に依存しても、平気で一掃されるよ、この時代。特に資産価値なんて平気で劣化なう。そもそも、資産に価値があるのはマーケットに価値があるからってことをお忘れなく。アメリカの不動産本が日本では通用せんのと同じようにね。資格信奉者に関しても同じだぜ。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。