男ってやつは、どうも、感情を無視したがる生き物のようです。
「KAWAII」は、「TENPURA」とか「SUSHI」と同じ感じで国際語になっている言葉なのかもしれない。女の子が、「カワイイ〜〜〜」とか言って、何かの購入を決める時。
昔の俺はそれをハタで見ていて「うーん」とか思っていたもの。その感性がわからない。パソコン全然わからないくせに、「カワイイから」って理由だけでmacを即決して買う奴がいるからね。パソコン無知な人が。
可愛いってだけでバカ売れするキャラクター。
可愛いってだけで買われるLINEスタンプ。
理屈を超越して、選ばれる家具。
完全に理に敵ってないのに過ごしてしまう刹那的な一夜。
・・・・・・。
たまに、すっごいカワイイリボンをつけている女の子とかがいる。すごくこう・・・なんていうかわからないけれど、ワンポイントメルヘンみたいな。あれ、うまく伝わらない。ファッションってほら、普通のファッションと、変なファッションあるじゃない?
ある女の子が、こんなことを言っていた。
「服っていうのはその人の中身を表すから大事なものなんだよ!」
って。
もちろん、その感覚はわからないでもないけれど、多分、アンテナ感度レベルが低い。アンテナ2本しか立ってない。でも、彼女は10本立ってる。人生が服で回っている。完全に、服のために破産する生き方。それでもオーケーってやつ?
その時は、ちょっとよくわからなかったけれど、確かに、言われてみれば独特の世界観を持っている人間のファッションは何か少し変。
人は多分、「これいい」「これカワイイ」「これ好き」という理由で何かを選び取り、それを身にまとう。そして、外に対してメッセージを発すると思う。もし、自分が選び取るものがその時のセンスに左右されているとしたら。感覚とか感情、世界観みたいなものに準拠しているとしたら。
当然、心が育って変わっていくと、選ぶものも変わるし、見た目も変わる。選ぶものが変われば、生活環境も状態も全て変わるのかもしれない。
何に対してどう感じるか。
それが全てなのかもしれない。
実はこの、知識とか頭脳とかじゃないっていう部分がミソ。
結局、何かを選んだり、捨てたりしているのもココロの部分だとして。そしてそれは勉強したとか、知識的に進化したとかそういうのじゃなくて、なんていうか、ココロの変化だとしたら。チャレンジするのも、逃げるのもココロの違いだとしたら。最終的に私たちは、ココロをどうするかがテーマになる。
コスパとか議論して生きていたら、一生如何にもならない世界がある。
気付かない世界。
「メンタル強いですね」、とか「よくできますね」、とか「あなたにしかできないんですよ」とか言う人をたまに見るけれど、こういう人たちは総じて、理屈で物を言っていると感じる。
「そらそうですよ、私、風俗で散財していますから」
「そらそうですよ、同じ本を5冊買いますから」
「そらそうですよ、あてもなく心に任せて片道切符で鈍行列車に揺られるのですから」
「そらそうですよ、路上アーティストの絵を買いますから」
としか返しようがない。
・・・・・・なんていうん?
「俺にはできない」「あなたにしかできない」「矛盾している」「コスパが合わない」「割りが合わない」「それは事実じゃない」「主観的すぎる」
・・・・・・みたいなことを喋っている人を見ると、「要するに、ココロだよ」と言いたくなる。
Aという対象に対して、何を感じるのかが違ったら、世界は違うのだと思えないのかい?それは優秀さとか頭脳明晰とかじゃなくて、そういうことじゃなくて、センスとかフィーリングとか、心の豊穣みたいな話。
きっと、「ビジネス書は投資だけれど小説は投資ではない」とか言うのだろう。チッチッチ。違うぜ。だって、孫正義はコンピュータのチップを見て涙を流したのだよ?若い頃、それ見て感動したのだよ?もう、その違いじゃん。それがすごいって言いたいんじゃなくて、どういう心の感覚があるかって話。多分、数学者は数式を見て、エクスタシーを感じている。
頭が良いとか悪いとかじゃなくて。
能力がとかじゃなくて。
どう感じるか?が自分を規定している、世界を動かしていることに意外と気付けていないのかもしれない。
今何感じてる?
不安?
ワクワク?
絶望?
穏やか?
そういうものを、どんどん書き残しておきたい。
そしてそれを後から振り返って見たときに、なんとなく、自分について理解が深まるというか、変化して成長したからこそ、「あぁ、あの時って本当はああだったんだな!」ってのがわかる。そして、そうやってメタ認知できたときに初めて、自分が何に縛られているのかがわかる。自分が何に突き動かされているのかがわかる。
最近読んだ本の中で、「これは!!!」っていう名著があったのだけれど
この本の味わいはたまらんかった。
良い本だった。
この本が好きだとか、石原慎太郎の本を読んでるとか言っている時点で、ちょっと完全に文系的な。それはそれは文系的な。
この本の中に、「知識を積み重ねても仕方がない」っていう箇所があって、大切なのはどう感じるかだ、って話がされていた。これは本当に含蓄に富んでいる話だと思う。私もそう思う。
3年前にできなかったこと。
それって、経験とか資源とかじゃなくて、心だったのでは?という視点は、あまりにも新鮮な気づきを与えてくれる。
ノウハウが、スキルが、思考が、キャリアが、お金が、生活が、コスパが、・・・・・・とかいろんなことを思うのだけれど、びっくりするほど、感情というか感覚の部分?でいろんなことが左右されていて。そして世の中がそういうもので回っていて。
とりあえず、自分に理性なんてないのは知ってる。綺麗なおっぱい目の前にしたら脳みそスパークするのは感じてるから。でも、それは欲望の話。
もっと、こう、センシティブな話をしたい。
心の手触りというか、心の色というか。
自分の心をバケツに張った水だとして、そこに絵の具をピッピッって数滴垂らしたとする。そして、サーっとかき混ぜて、混色にする。クラゲみたいな、モワモワっとした状態。これがこの瞬間の心だとしたら、10秒後にはまた違う色合いができている。まさにこんな感じで心の状態は移っていくのだけれど、当然、どのタイミングで別の色をまた数滴垂らすのかで、変色の仕方は変わってくる。
心はミズモノ。
どのタイミングで、かによってだいぶ変わる。これってデカくない?
きっと、3年後、5年後、10年後の自分の心は違うはず。
割と裕福な層とか知的な層は、アートを大事にする。アートはココロを育てるからね。感性を刺激したり、進化させたりすることがスッゴイ投資だってわかっているんだよね、きっと。結局、自分の最大ドライバーがココロだから。
心を前に進めたら、人生も前に進むのかもしれない!
1年前にビンビンになっていたものが、3年後には「ピクリともこない」ようになっているかもしれない。何が変わった?頭が成長した?なわけない。そんなに簡単に脳みそのスペックは変わらないぜ。変わったのはココロだ。心変わりしたんだ。
見城徹さんは、3万円でも、300万円でも、自分の稼ぎでは苦しくてもそこから何か感じるものがあったらガンガン買ったらしい。アートが自己投資だって。すっごいそれわかるな。気持ちなんだよな。ココロなんだよな。
リボンの女の子の話に戻るけれど、最近、すごいシンプルなスタイルなのに、ワンポイントでちょっとメルヘンチックさが出ているリボンをつけている女の子を見て、「おーう」と思った。そこから何か、感じるものがあった。それは多分、そのリボンどうこうというより、その子のセンスに酔っている感じ。酔わせている感じ。
生きていると、「何この人?」っていうびっくりする出会いがあって、その出会いが良くも悪くも、自分のモチベーションとか、感情の状態を左右したりするんだけれど、それってその人の世界観に触れてるってこと。センスに酔っているっていうこと。魅力的に感じる人はだいたい、そこらへんの感じがすごい。なんか、ブラックホールみたいで、吸い込まれそう。
何を感じるか?
何を感じているか?
これをもっと大事にして良いと思うし、「感じ方」を育てることに、私たちはもっと時間やお金を使って良いのかもしれない。ノウハウとかスキルじゃなくて。ココロをブルブルさせるために。
あー、あれやりてー、
これやりてー、
あそこ行きてー
あの子と付き合いてー
あの会社に入りてー
あの資格取りてー
結婚してー
とかも何もかも、全部、ココロだから。そのココロは、芯の部分では変わらないのかもしれないけれど、ある対象に対してどう感じるかは、時間とともに移ろっていったりする。
どう?
過去に興奮したもの、今は見向きもしないようになってない?
どう?
過去に興味なかったもの、今はすっごい惹かれてない?
・・・・・人間はそういうものだと思う。
多分、情報とかスキルとかよりももっと、根本的な次元で、そういうものに自分の根っこが左右されているのかもしれない。
なんでそれ買ったの?
なんでそれ選んだの?
なんでその仕事なの?
なんでそこに住むの?
なんでそれを目指すの?
そこにある論理的な理由は多分後付けで、最初に来たのはココロだと思う。過去に却下した案件だってそうだ。だから、ココロを育てるっていう視点があっても良い。
・・・・・・ってことで、これから、ココロを育てるためにアマゾンプライムで映画を観ます。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。