転職しても自由になれない。雇用主を変えても「人生の主権」が戻らない理由

独立には、二種類ある。

国旗を持つことと、予算を決められることだ。

国旗があり、国歌があり、大統領もいる。形式上は、どこから見ても独立国である。

しかし、主力商品を買ってくれる相手が一国しかいない。エネルギーも食料も国外に依存し、借金の借り換えを止められたら国家予算が組めない。

この国は、独立していると言えるだろうか。

政治家の名前は自分たちで決められる。

だが、その政治家が実際に選べる政策は、ほとんど残されていない。

国旗は自分たちのものでも、意思決定権は自分たちのものではない。

人間のキャリアにも、これと同じことが起きる。

会社を変えた。

上司も変わった。

年収も上がった。

名刺には、前とは違う会社のロゴが印刷されている。

本人も周囲も、それを「新しい人生」と呼ぶ。

ところが、平日の大部分を何に使うかを決めるのは、引き続き会社である。

来年も同じ収入を受け取れるかどうかを決めるのも会社。

どの仕事に時間を使うか、どこに住めるか、いつ長期休暇を取れるか、誰に評価されるかを決めるのも会社だ。

国旗は変わった。

しかし、予算編成権は戻っていない。

転職によって変えられるものは多い。

給与、人間関係、通勤時間、福利厚生、仕事内容、会社の知名度。

これらはどれも重要である。劣悪な職場から離れるための転職なら、迷わずした方がいい。

ただし、ここにはひとつ、見落とされやすい区別がある。

転職が変えるのは、多くの場合「雇用条件」である。

「雇用への依存構造」ではない。

この二つは似ているようで、まったく違う。

数学的に言えば、転職で変わりやすいのは係数だ。

年収700万円が900万円になる。

通勤時間が片道60分からゼロになる。

嫌な上司が、話の通じる上司になる。

同じ仕組みの中で、数字が改善される。

しかし、

「収入は、一社の評価によって決まる」

「生活時間の優先順位は、雇用契約によって決まる」

「社会的な信用は、所属企業と役職によって決まる」

という関数そのものは変わっていない。

座標上では右上に移動した。

だが、同じ座標から出たわけではない。

これが、転職直後には自由になった気がするのに、数年たつと同じ閉塞感が戻ってくる理由である。

前の会社が悪かったのだと思って転職する。

次はもっと自分に合う会社を探す。

仕事内容を変える。

業界を変える。

日系から外資へ行く。出社からリモートへ変える。大企業からベンチャーへ移る。

それでも、しばらくすると何かが戻ってくる。

日曜の夜の重さ。

仕事そのものが嫌いなわけではないのに、人生を別の場所で使っている感覚。

高い給料を受け取っているのに、自分で選べることが少しずつ減っていく感覚。

そこで多くの人は、「また会社選びを間違えた」と考える。

しかし、会社選びを間違えたのではないかもしれない。

解決したい問題が、最初から会社の良し悪しではなかった可能性がある。

悪い会社は、人を苦しませる。

良い会社は、人を満足させる。

だから良い会社に行けば、問題は解決したように見える。

だが、「苦痛」と「依存」は同じものではない。

苦痛を減らしても、依存は残る。

むしろ、良い会社ほど依存は見えにくくなる。

年収が高い。

同僚が優秀である。

仕事に社会的意義がある。

福利厚生が充実している。

社内での立場も悪くない。

こうなると、会社を辞める理由は減る。

同時に、会社の外で何かを始める経済合理性も失われていく。

仕事が終わった後に、月数万円になるかどうかも分からない活動を始めるより、目の前の昇進に力を使った方が得だ。

休日を外部の人間関係に使うより、疲労を回復させた方がいい。

自分の商品を作るより、社内で大きなプロジェクトを成功させた方が、早く年収が上がる。

判断はすべて合理的である。

一年ごとに見れば、会社を優先する方が正しい。

ところが、その正しい判断を十年間積み重ねると、会社の外に何もない40代が完成する。

この構造の恐ろしいところは、間違った選択をさせられることではない。

一回ごとには正しい選択をさせられながら、全体として望んでいなかった場所へ運ばれることである。

悪い会社は、出口を塞ぐ。

良い会社は、出口の向こう側を採算割れにする。

だから、良い会社からの方が出られない。

鎖が太いからではない。

鎖を外すと損をするように設計されているからだ。

ここで、「市場価値を上げれば自由になれる」と考える人もいる。

資格を取る。

難しい仕事を経験する。

有名企業で実績を作る。

ヘッドハンターから声がかかる人材になる。

もちろん、市場価値は低いより高い方がいい。

しかし、市場価値が高いことと、人生の意思決定権を持っていることは同じではない。

市場価値とは、簡単に言えば「あなたの労働を買いたい企業が、いくら出すか」である。

一社しか買い手がいなかった状態から、十社が入札してくれる状態になる。

価格交渉力は大きく上がる。

嫌な買い手を断ることもできる。

それでも、あなたはまだ「買い手を選べる商品」の側にいる。

市場そのものを持っているわけではない。

高く評価されることは、主権ではない。

それは、有利な条件で依存先を選べるということである。

では、依存構造はどこで変わるのか。

年収1000万円の会社員が、転職によって年収1200万円になったとする。

収入は200万円増えた。

かなり大きな変化に見える。

一方で、同じ人が転職せず、会社の外で月に1万円だけ売上を作ったとする。

金額だけを見れば、ほとんど誤差である。

年収1200万円の転職と、年12万円の外部売上。

普通に比較すれば、前者の圧勝だ。

だが、依存構造だけを見ると、別の景色が現れる。

年収が1000万円から1200万円になっても、収入の買い手は一社のままである。

一本の太い線が、さらに太くなっただけだ。

一方、会社外の売上がゼロ円から1万円になると、収入の経路が一本から二本になる。

金額の変化は小さい。

しかし、依存グラフの形が変わっている。

ゼロから一万円と、一万円から二万円は、同じ一万円の差ではない。

一万円から二万円は、既に存在する経路が太くなる変化である。

ゼロから一万円は、それまで存在しなかった経路が開通する変化だ。

もちろん、月一万円で会社を辞めることはできない。

生活を支えることもできない。

それでも、その一万円は、「自分の能力は、会社の外でも誰かに直接買われる」という事実を作る。

会社の評価制度を通らずに価値が交換された。

上司の承認なしに価格がついた。

所属企業の給与テーブルとは別の場所に、自分の値段が発生した。

重要なのは一万円ではない。

会社を経由しない因果経路が一本できたことである。

この経路は、売上でなくてもいい。

自分の名前で読んでくれる人。

会社の肩書がなくても相談を持ちかけてくる相手。

退職後も残る専門性。

自分で接触できる顧客。

自分で価格を決められる商品。

組織の外にいる仲間。

それらはすべて、「会社の許可がなくても動く変数」である。

そして、人生の主権は、こうした変数の集合から生まれる。

副業をすれば自由になれる、という単純な話ではない。

会社員が副業で、別の会社から業務委託を受けるだけなら、買い手が一社増えただけで、時間を売る構造はほぼ変わらないこともある。

逆に、まだ一円も売上がなくても、自分の名前で読者との関係を蓄積している人は、将来の選択肢を作っていることがある。

見るべきなのは、現在の金額だけではない。

その活動によって、誰が意思決定権を持つようになるのかである。

顧客との関係は誰に残るのか。

価格は誰が決めるのか。

仕事をいつ、どこで、どのように行うかを誰が決めるのか。

活動をやめるか、広げるか、別の商品に変えるかを誰が決めるのか。

転職先を選ぶときも、本当は年収だけを見てはいけない。

その会社に入ることで、会社の外の経路を作りやすくなるかを見る必要がある。

残業が少ないことより、時間を予測できること。

仕事が面白いことより、身についた能力を社外でも使えること。

肩書が上がることより、会社名を外しても実績を説明できること。

副業が許可されていることより、自分の名前で顧客や読者と関係を作れること。

年収が高いことより、その年収によって生活固定費を膨らませず、外部の選択肢へ資源を移せること。

こう考えると、転職の意味も変わる。

転職は、自由そのものを買う行為ではない。

自由を作るための時間、資金、能力、接点を確保する行為になる。

良い会社に入ることが問題なのではない。

良い会社を「終着駅」にしてしまうことが問題なのだ。

高い給料も、優秀な同僚も、大きな仕事も利用すればいい。

ただし、そこで得たものの一部を、会社の外でも残る形に変えていく。

社内でしか通用しない信用を、自分の名前に移す。

会社が持っている顧客理解を、自分でも扱える能力に変える。

給与の一部を、生活水準の上昇ではなく、外部経路の建設に使う。

職場で得た知識を、守秘義務に反しない範囲で、自分の思考体系へ変える。

会社から逃げる必要はない。

会社だけに人生の生殺与奪を預けている状態から、少しずつ離れればいい。

この介入は、会社が悪い場合にも効く。

逃げるための選択肢になるからだ。

会社が良い場合にも効く。

快適さの中で外部能力が失われるのを防ぐからだ。

転職したい場合にも効く。

次の会社を選ぶ交渉力になるからだ。

転職したくない場合にも効く。

残ることを、自分で選んだ決定に変えるからだ。

どちらに転んでも必要になるのは、会社の外に意思決定権を移すことである。

自由とは、会社を辞めることではない。

いつでも辞められるのに、自分の判断で残っている状態である。

その意味で、転職の成功は年収が上がった瞬間には完成しない。

次の転職先を探さなくても、人生を変えられるようになったときに完成する。

名刺の国旗を何度変えても、主権は戻らない。

主権が生まれるのは、会社があなたの人生の唯一の買い手ではなくなったときだ。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。