東大を出てハイレイヤー労働者になってしまった場合のがんじがらめ構造

ハイレイヤーは資本主義で負けているとは思っていない。

  • 年収が高い
  • 市場価値が高い
  • 有名企業に所属している
  • 部下や予算を動かしている
  • 高額な住宅やサービスを買える

だから、「労働者は不自由だ」と言っても自分事にならない。ところが実際には、彼らが勝っているのは「労働市場内の順位」であって、資本主義ゲーム全体ではない。

資本主義上の本当の支配変数は、所得額よりも次の権利にある。

  • 誰が顧客との関係を所有するか
  • 誰が価格を決めるか
  • 誰が成果を再利用・複製・売却できるか
  • 誰が時間配分を決めるか
  • 誰が撤退と再挑戦の回数を持つか
  • 自分が止まっても、過去の成果が蓄積して働くか

年収2000万円でも、これらが全部ゼロに近い人はいる。その人は「資本主義の上位層」ではなく、「労働市場の上位層」にいるだけである。

しかし、どう考えても95%の日本人より良い生活をしているため、そこから抜け出すことは期待値が悪い。

転落リスクを考えると、動かない方が良い、となってしまう。

だから動けない。

問題はそれが、楽して東大に入った場合と、

「必死に苦労して、人生捧げて、ようやく文3文2に入った」

みたいなのとだいぶ差が生まれるってこと。

東大生ブランドを押し出してやっていくには、同じクラスタ出身が強すぎる。理3とかとは競争にならない。

下を見れば、慶應クラスの奴らがブイブイやってる。

会社は、あなたの労働時間を買っているのではない。「人生の容積率」を買っている

これは、「給料が安いから会社員は不自由だ」という話ではない。

むしろ逆である。収入はすでに高い。会社にも相応に評価されている。転職すれば、さらに良い条件を提示される可能性もある。日々の生活費に困っているわけでもない。

それなのに、人生の重要な部分を自分で決めている感覚がない。

この記事が扱うのは、その状態である。

不動産には、土地そのものとは別に、「その土地の上に、どれだけの建物を建てられるか」という権利がある。

土地を所有していても、好きなだけ高い建物を建てられるわけではない。容積率などによって、その土地に建築できる床面積が決まっている。

都市によっては、使っていない容積を、隣接する土地へ移転することもある。

たとえば、低層の歴史的建築物が残っている土地には、本来ならもっと高い建物を建てられる余地がある。その未使用分を隣の土地へ移せば、隣には通常より高い建物を建てられる。

元の所有者は、土地を失わない。

今ある建物も残る。

ただし、将来、その土地の上に新しい階を建てる権利は失う。

会社員にも、これとよく似たことが起きる。

会社が買っているのは、平日の8時間だけではない。

その人が将来、自分の人生に何かを建てるために使えたはずの「未使用の容積」まで、事実上押さえている。

契約書に書かれていない取得物

年収1500万円の会社員が、毎週50時間働いているとする。

会社が買っているのは、その50時間だけに見える。残りの時間は本人のものだから、会社の外で好きなことをすればいい。形式上はその通りである。

しかし、実際の高付加価値労働は、勤務時間だけでは完結しない。

重要な会議に備えて、前日の夜から思考を整える。仕事が終わった後も、判断が正しかったかを考える。休日には疲労を回復させる。業界の動きを追い、専門知識を更新し、人間関係を維持する。大きな案件が始まれば、私生活側の予定を動かす。

カレンダー上では空いていても、そこに別の経済活動を建てられるとは限らない。

土地は残っている。

だが、容積が残っていない。

さらに、会社が取得するものは時間だけではない。

その人が最も頭の冴えている時間。その人が十年以上かけて身につけた判断力。その人が失敗から得た知識。その人が他人から信用される理由。その人が何かに挑戦するときに使えたはずの精神的余力。

会社は、それらに対する優先使用権を持つ。

だから報酬が高い。

高所得者の給与は、現在の労働に対する代金であると同時に、「その能力を他の用途に使わないこと」への対価でもある。

会社が陰謀を企てているわけではない。会社は合理的に、希少な能力を確保しているだけだ。

問題は、売る側が何を売ったのかを正確に把握していないことである。

良い会社は、外の人生を禁止しない

悪い会社は分かりやすい。

長時間労働を強制する。副業を禁止する。休日にも連絡してくる。退職しようとすると引き止める。

拘束が目に見えるので、本人も「ここから出なければならない」と気づく。

良い会社は、そんなことをしない。

高い報酬を払う。優秀な同僚を集める。興味深い仕事を用意する。大きな予算を渡す。昇進、役員登用、パートナー昇格、業績賞与、株式報酬など、魅力的な未来を提示する。

会社の外に出ることは禁止されていない。

ただ、外に出ることが割に合わなくなる。

会社の中では、一年間努力すれば報酬が数百万円増える可能性がある。一方、自分で何かを始めても、最初の一年はほとんど売上にならない。

社内では数十億円のプロジェクトを動かせる。だが、会社の外へ出れば、最初は一人で商品説明を書き、顧客を一人ずつ探さなければならない。

社内では役員や大企業の担当者が自分の話を聞く。ところが会社名を外した途端、メールの返信さえ来ないかもしれない。

外の活動が、ひどく小さく見える。

だから、今期も会社に集中する。

その判断は合理的である。

来期には重要なポストが空く。再来年には株式報酬が権利確定する。あと三年勤めれば、経歴に決定的な実績が加わる。

だから、もう一年残る。

これも合理的である。

一回ごとの判断は正しい。

しかし、その正しい判断を十年間繰り返すと、会社の中には巨大な建物が完成し、自分の土地には何も建っていないということが起きる。

外の人生に失敗したのではない。

一度も着工されなかったのである。

高所得者の貸借対照表には、何が残るのか

会社の中で大きな成果を出すと、その成果は会社に蓄積される。

顧客との関係は会社に残る。契約も会社に残る。商品、データ、業務プロセス、ブランド、知的財産、販売網、採用したチームも会社に残る。

一度作った仕組みが翌年も利益を生めば、その利益は会社のものになる。事業が高く評価されれば、会社の企業価値が上がる。

会社員にも、高い給与と賞与が支払われる。職務経歴書には実績が一行追加される。社内での評価も上がる。

だが、その人は、自分が作った事業を売ることはできない。

顧客名簿を持って退職することもできない。会社のブランドを使い続けることも、社内のチームに命令することもできない。守秘義務があるため、最も価値のある経験ほど、社外では具体的に説明できないことさえある。

会社側には、成果が資産として残る。

個人側には、報酬と経歴が残る。

この二つは同じではない。

報酬は、その年に使えば消える。貯蓄すれば残るが、それ自体が自分の能力を複製してくれるわけではない。

経歴は次の会社へ移るときに使える。しかし、それは再び自分の労働を高く買ってもらうための証明書である。

つまり、会社で成功するほど、会社の貸借対照表は強くなる。一方、本人の労働市場価格は上がっても、本人が所有する事業資産が増えるとは限らない。

ここに、所得統計には現れない差がある。

年収500万円の人と1500万円の人を比べれば、後者の方が明らかに豊かである。

しかし、年収1500万円の人と、自分の顧客、自分の商品、自分の販売経路を持つ人を比べると、単純な所得額だけでは関係を判定できない。

違うのは金額ではない。

成果の所有権である。

出世しても、資本家に近づくとは限らない

部長になると、大きな予算を動かせる。

役員になれば、事業の投資先を決められる。何百人もの人員配置に関与し、会社の戦略にも口を出せるようになる。

そのため、出世すると資本家側へ近づいたように感じる。

しかし、会社の資本を動かす権限と、自分が資本を所有していることは別である。

会社の予算を100億円動かせても、自分の判断だけで1億円を自分の事業へ移すことはできない。何百人に指示を出せても、退職した翌日から同じ組織を使えるわけではない。

役員は資本を運用する。

資本家は、その運用結果を所有する。

経営に近づくことと、所有に近づくことは一致しない。

もちろん、経営経験には価値がある。高い報酬を得ながら、巨大な組織の動かし方を学べる。それ自体は、極めて恵まれた機会である。

ただし、その経験を自分の側へ移転する経路がなければ、役職を失った瞬間、使える資源は急激に縮小する。

自分の力がなくなったのではない。

自分の力だと思っていたものの中に、会社が所有する変数が大量に混ざっていたのである。

高い報酬は、何の値段なのか

ここまでの話を「会社による搾取」と捉える必要はない。

会社は給与を提示し、本人は条件を見て契約する。高付加価値人材には高い報酬が支払われる。取引としては、公平に成立している。

だからこそ見えにくい。

不当に安く買われていれば、売ったものと受け取った金額の差に気づく。

十分に高く買われると、何を売ったかを考えなくなる。

給与が高いことは、自由の証明ではない。

それだけ高い価格で、何かを会社へ渡しているということでもある。

渡しているのは、現在の時間だけではない。

社外で信用を蓄積する時間。自分の商品を試行錯誤する時間。失敗しても生活に影響が出ない年齢。何者でもない状態から始められる精神的余白。そして、十年間複利で育っていたかもしれない顧客、知名度、商品、販売経路である。

会社を辞めれば、勤務時間は返ってくる。

しかし、会社は、その十年間に起きたはずの複利成長までは返してくれない。

ここが、労働時間だけを見ていては分からない部分である。

会社の外に建てるべきもの

では、会社員は全員、独立すべきなのか。

そうではない。

高い報酬、大きな仕事、優秀な人間関係、社会的信用を捨てて、無計画に会社を辞める必要はない。会社を辞めることと、人生の容積率を取り戻すことも同じではない。

必要なのは、自分の容積をすべて会社に移転しないことである。

自分の名前で蓄積される信用を持つ。

会社を離れても接触できる読者や顧客を持つ。

自分で価格を決められる商品を持つ。

過去に作ったものが、翌年も価値を生む仕組みを持つ。

所属企業を伏せても説明できる専門性を持つ。

それが副業かどうかは重要ではない。

別の会社から業務委託を受け、指示された仕事を時間単位で処理しているだけなら、雇用主に近い買い手が一社増えただけである。

反対に、売上がまだ月一万円でも、自分の名前、自分の商品、自分の顧客、自分の価格で成立しているなら、そこには自分が所有する一階が建っている。

判断基準は、売上額ではない。

その活動を通じて、何が自分の側に残るかである。

会社名を外しても残るか。

肩書を失っても続くか。

過去の成果を再利用できるか。

自分で顧客に接触できるか。

自分で価格と提供方法を決められるか。

自分が休んでいる間にも、過去の仕事が何らかの価値を生むか。

これらの答えがすべて「いいえ」なら、たとえ年収が高くても、自分の土地にはまだ何も建っていない。

本当に監査すべき資産

高所得者は、保有資産を細かく管理する。

預金、株式、不動産、保険、退職金、住宅ローン、税金。将来いくら残るかを計算し、ポートフォリオを調整する。

しかし、最も大きな資産が監査されていない。

これからの十年間に、自分の名前で何を建てられるかという権利である。

現在の年収がいくらかではない。

十年後、会社との契約を終えたときに、何が自分の側へ残っているか。

それを見なければならない。

会社は、あなたの人生を奪っているわけではない。

あなたが提示した容積を、合意した価格で使っているだけだ。

だから、責任は会社だけにはない。

何階分を会社に使わせ、何階分を自分のために残すかを決めるのは、本来あなたである。

高い給与明細を見て、資本主義に勝ったと判断するのは早い。

その給与が、自分の成果に対する報酬なのか。

それとも、自分の土地に何も建てないことへの補償なのか。

本当に確認すべきなのは、そこだ。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。