見城徹は、女性の小説家に、
精神の性欲
のようなものがあるということを書いていた。
ゲーテも、
結婚や子育てがうまくいってる女は物書きになろうなどという了見は持たない
といったニュアンスのことを言っていた。
容姿端麗な男女が、小説を書こうと思うことはまずない。
私がこれまでいろいろな人を見てきても言えるが、小説家志望には、いわゆる「負け組タイプ」が多かった。
にもかかわらず、プライドが高いのだ。
人殺しが、たまに、小説まがいのものを書いたりするが、あそこに、滲み出る自意識というかプライドが感じられるだろうと思う。
いわば、好青年で、爽やかで、スポーツができて、ナイスガイで、クラブで遊び、先輩から可愛がられ、友達が多く・・・
みたいな連中が小説を書こうなんてことは思わない。
まず思わないのだ。
だからこそ良いのだ。
小説は、書く人間も、読む人間も、だいたい似たような人間である。
惨めな青春を送り、コンプレックスを蓄積し、理想と現実のギャップが開き、孤独で、どうしようもなく、妄想癖がある。
そういう人間が、気がついたら筆をとる。
そしてそんな人間が描き出すからこそ、面白い。
実際、歴史上の作家は、みんなクレイジーだったじゃないか。
正岡子規は
俺に頭を下げさせた奴は死ね
という感じの人間だったし、
金を返さない作家、自殺した作家、頭のおかしい作家はたくさんいた。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。