自由になるための方法を人生をかけて探してきたので、まとめてみる

自由になりたい。

誰もが、一度はそういうことを思ったことがあるはずです。

私も、若い頃からそれを思い続けてきました。

そして、膨大な時間と金をかけて、自由になるための方法を追ってきました。

 

今回は、その人生経験の英知を結集して、

「自由になるための方法」

について語ってみたいと思います。

 

定義できないものは、追えない

非常に大切なことを最初に言います。

「あなたにとって、自由とは何ですか」。

自由とは何かを定義できなければ、多分、あなたは自由を追えないし、自分が望んでいることも手に入らないと思います。

例えば、フリーランスで仕事をしている人を見て、「自由で良いなぁ・・・」と思ったとしましょう。そして、あなたがいざフリーランスになってみると、自分の肩に結果責任が乗っかってくるプレッシャー、会社に守られていないプレッシャー、普通とは違う生き方をしているプレッシャーに押し潰されそうになるかもしれません。

そして、「会社員時代の方が自由だった・・・・(ポツリ)」と思うことだってあると思うのです。

こういうミスは、よくあります。

あなたにとって、自由とは何か?ということをよくよく考えずに、定義せずに漠然と自由を追っていたとしても、(その過程でいろんな発見や気づきがあるかもしれませんが)早々簡単には満足できる結果に辿り着くことはできないはずです。

 

自分の中に、理由を求める

精神論が続いて申し訳ないのですが、「自分の中に理由を求める」という考えもとても大切です。自由に生きている人について、総じて言えることですが、みんな自分の中に自分の軸や物差しがあります。そして、一時的に他人にとやかく言われても動じることがないんですね。

どんなに自由に、幸せそうに生きている人だって、一時期は他人に誤解されたり、批判されたり、摩擦を引き起こして苦しんだりしているものです。

仮に、あなたが自由を手にしたとしても、「自分の中に理由を求める」という姿勢を一貫して持っていない限りは、必ずどこかで揺らいだり、不安になったり、何をやっているのかわからなくなったりしてくると思います。

社会を知り、その中での自分を確認し、

自分の中にあるものに従って、

自分で考えて自分で選択し、自分で歩んでいけることを自由と言います。

それがなければ、表面上は自由に見える働き方・暮らし方をしていても、奴隷のような心境は続くと思います。逆に、表面上は不自由に見える働き方・暮らし方をしていても、それが自分で考え選択した結果であれば、その人の心は大いに自由であるはずです。

 

他人と自分の人生は、どんどん行き違っていく

学生時代は、なんとなく「連れション」する感覚でやることなすことを決めることができたり、周りの空気に合わせて行動したりすると思います。学校が作り出す雰囲気、同級生が作り出す雰囲気にのまれる人も多いはずです。

しかし、社会に出ていくと、みんなの人生はバラけていきます。みんな、それぞれの生き方をしていくものです。学生時代のうちから、自分で考えて自分で決める経験がなかった人、ただなんとなく周りの空気に従っていた人は、大人になると苦労します。

自分の本心で選択し、決めた道じゃないからこそ、長い時間が経つと「コレジャナイ・・・・」「なんか違う・・・・」「何か苦しい・・・・」というような感覚に襲われるようになるのです。そしてだいたい、25歳とか、28歳とかで悩み始めます。30を越えてくると、次の節目は35歳手前ぐらいですかね。

私の友人・知人とかを見ていても、他人からの評価・目を気にして道を決めて行った人、「これが普通の道だから」という感覚で生き方を決めて行った人は、漏れなく20代半ば〜アラサーぐらいで、死ぬほど悩んでるものです。

だいたい、20代前半くらいの間は、友人たちの間で「あいつはどこどこ就職した」とか「あいつは今何をやっている」とか噂し合ったりして、頻繁に集まったりしているものですが、20代後半ぐらいからは消息不明の人間が出てきたり、忙しくて顔を出せない人間が出てきたり、また他人に関してそこまで関心を示さなくなったりしてきます。結婚や家庭で忙しい人間も増えてきます。移住やら転勤やらする人間も増えます。海外に行く人だって出てきます。

自己を自己として確立して、他人に良い意味でも悪い意味でも、あまり影響されなくなったり無関心になってきたり、「他人は他人」と割り切り始めるのがだいたいそのぐらいの年代からですかね。

自分の人生はオリジナルであり、唯一無二であり、そこについて他人とピッタリ一致することがないという意味では、人生は本質的に孤独な状態が続くものです。

また、歳を重ねるごとに、10年前、20年前は肩を並べて同じようなことをやっていた人間たちの間で、違いや差がどんどん広がっていくものです。

学生時代、友達がいなかった人とかが社会に出て大成したりするのは、他人と違うことをやったり、自分で考えて自分の考えで生きること、自分の感覚が周りと違うことに慣れっこだからと思います。

友達に恵まれて、みんなの輪の中の中心にいて、いつも誰かと一緒にいて・・・みたいなタイプは、社会に出た後結構、普通の道に埋没していきます。普通の道から外れるのが怖いと感じたり、「落伍者になった」と指を差されるのが怖かったりするわけですね。

 

自由を追った時点で、マジョリティと決別しなければならない

自由を追うことを決め、また実際に自由を手にし、人生に満足している人というのは果たしてどのくらいいるでしょうか。確かにいることにはいると思いますが、そんなに多くはないと思います。基本的には、「生活のために」「安定した」「普通の仕事」に就くのが常識とされています。それが当たり前だというのが世の中の風潮です。ですから、自由を追うということを決めた時点で、マジョリティとは決別する覚悟がする必要です。最初は意気揚々と自由を追うことができたとしても、思うようにうまくいかなくて凹んだり苦しんでいる時に、マジョリティから「ほら言ったじゃん」とか「やめとけって言ったのに」とか「変なことはやめて現実を見なよ」とか言われると、グサッとくるものです。

西園寺さんは学生時代、散々、「自分は普通の人たちとは合わない・・・」ってことを感じていましたし、内に孤独感や疎外感を秘めて生きてきたタイプだったので、割と免疫がありました。

世の中の自由を得ている人、成功している人、みんな、「普通」から外れても平気なメンタルを持っています。批判されても誤解されても平気な顔しています。

 

正直、結局はメンタル

実は、自由になる方法って、今の情報社会、結構明かされているものです。なので、探せば簡単に見つかるし、誰もがそれに取り組み始めることができるはずなんですね。また、世の中には素晴らしいアイデアを持っている人たちがたくさんいます。自由になっているプランを持っている人たちがいます。しかし、最終的に望んだ結果を得られる人はごくわずかです。

その理由はなぜかというと、最終的にはメンタルの勝負だからです。結局はそれです。たとえ、自分では望む結果に辿り着くプロセスを知っていたとしても、それを実行するためには強い精神と信念を持っていなければならないのです。信じる力が100%でないと、人は前に進めません。疑念に苛まれた瞬間、不安が一気に膨張していって、ブレーキがかかってしまいます。

マインドセットがしっかりしていない人間は、どんな情報、ハウツー、ノウハウを手に入れたって無駄です。自己啓発をバカにしたりおろそかにしている人いますが、私から言わせるとそういうのも大事です。マインドセットができていなければ、絶対何事も成せないのです。

世の中、そんな甘いもんじゃありません。で、なぜそんな甘くないのかというと、私はひとえにメンタルの問題だと思うわけです。このメンタルの問題を、なかなか突破できるもんじゃないんですね。しかし、幸せな人生を送っている、自分の得たい結果を得ている人たちって、総じて精神は強靭ですよ、本当に。

そして、その強靭さの根本にあるのは、おそらく「愛」なのです。

人は、本当に自分が渇望したこと、憧れたこと、目指すものに対して愛を持つことができます。そして、その愛はリスクある道を進む原動力となってくれます。何かに対して強い愛を持っていることが、強いメンタルの秘訣です。

 

年寄りを見て気づいたこと

西園寺さんは、昔から人生哲学的なことを独自に考えて生きてきました。で、若かりし頃に、ふと思ったことがあります。年寄りを見て気づいたことがあったんですね。

年寄りで長生きをしていると、当然ですが同級生とかボチボチ死んでいきます。年寄りになっても友達と頻繁に集まっていたり、遊んでいたりする人はよっぽど元気というか珍しいタイプだと思います。基本的には、そんなに友達付き合いとかしてないでしょう。

また、子供も当然子離れしていくわけですね。場合によっては奥さんだって先に死んでいるかもしれないわけです。で、田舎の家でポツリと一人で生きていることだって大いにあり得る。子や孫が遊びにくるとしても、それはそんなに頻度高い訳ではないでしょう。自分がおじいちゃん・おばあちゃんの家にどんな感じで通いつめていたかを思い出したらわかるはずです。

こうやって考えると、人生は孤独なものです。

しかしながら、死ぬその時まで、「どういう人生を生きてきたのか」「どういう働き方をしてきたのか」「どういう決断と行動をしてきたのか」というのは尾を引く問題です。もっと具体即物的なことを言えば、あらゆる人との繋がりは絶たれたとしても、お金との付き合いは一生消えません。お金とはすなわち社会と自分との接点ですから、自分が社会的にどういう存在で、どういう生き方をしてきたかという問題とはずっと向き合い続けなければならないわけです。

どうせ、最後の最後まで向き合わなければならないゲームなら、最初から向き合い続けた方がいいのではないか。

私は若い頃、そういう結論に至りました。稚拙と言えば稚拙ですが、私の人生の中で、友情とか恋愛とかそういうものを、一時的にプライオリティを下げ、思い切った決断・リスクテイクをしてこれたのはそういう視野の広さがあったからに他なりません。

若い頃から、自分が老化することとか死ぬ時のこととか考えてきたおかげで、プライオリティの設定に関して大きく間違えたことはありません。ジョブズもスピーチで言っていた通り、人生というのは死ぬことを意識すると、すっきりと優先順位が見えてきたりするものなのです。

 

経済的自由と時間的自由

さて。ここから少し具体的な話に入ってきます。私が「自由」というものを意識したのはロバートキヨサキの金持ち父さんを読んで、「そういうことか!」と衝撃を受けたことに端を発します。キヨサキの理論は明快で、

  1. E (従業員)
  2. S (自営業)
  3. B (ビジネスオーナー)
  4. I (投資家)

の4種類のうち、EとSにいる限りは自由は得られないというものでした。これは、私が世の中を見て薄々感じていたことと重なるものでしたし、若かりし頃の私は「まさにその通りだ」と思ったものでした。

自由の定義は人それぞれでしょうが、私の中では、

  • 典型的な従業員のように低い給料で我慢しなくてもいいこと
  • 典型的な従業員のように場所に縛られる必要がないこと
  • 典型的な従業員のように時間に縛られる必要がないこと

というのが強い気持ちとしてあり、私の思っていることに明確な答えをくれる一冊が金持ち父さんでした。

なので、業界探しや職業選び、会社探しを延々と続けたところで、そこから自由を見つけ出せることはないと若いうちに悟ることができていたんですね。

今思えば、それは英断でした。

あの本を見て、「そんなの夢物語だ」と思う人は多いと思いますが、私はスッと入ってきました。というのは、世の中で働いたり、世の中を観察していると気づくことですが、確かに「上」の方には、「下」の人間には持つことのできない経済力や時間的自由を活かして人生を楽しんでいる連中がいるのです。世の中にはお金がある人無い人いて、時間がある人無い人いるわけです。

何が違うんだろう・・・・とそういう人を冷静に見ていくと、やはり自由がある人やお金がある人というのは、商売の上層の方にいるか、自分自身が商売を所有しているか、という人が多いわけですね。

世の中をちゃんと見ていればわかりますが、大企業のエリート幹部よりも、田舎の中小零細ビジネスのオーナーとか、ちょっとしたECサイトの運営者とか、そういう人たちの方がお金も時間もあるものなんですよね。

私はこれまでに、本当に時間とお金をかけて自由になる方法を探しまくってきましたが、ロバートキヨサキの言うとおり、クワドラントを移行するという方法でしか自由は得られないと確信をしています。業種とか職種とか、会社を転々としていても、自由は見つからないと思います。実際、自由を追い求めて国を転々としたり、会社や業種、職種を転々としたという人と情報交換したことがありますが、そういう人は自由が見つかるどころか、むしろジョブホッパーとみなされてどんどん不自由な環境に押しやられている印象です。

ビジネスを立ち上げ、所有するしか自由への道はないのです。

 

“群れの先頭に立つ犬でなければ、見えるものはいつも同じだ。”

 

素晴らしい製品は溢れているが、素晴らしいビジネスはほとんどない

自分でビジネスを立ち上げる、となると素晴らしい製品なんて創れやしない、と思いがちでしょう。しかし、考えてみてください。マクドナルドのハンバーガーより美味しいハンバーガー屋さんはあちこちにあっても、マクドナルドより成功しているハンバーガー屋さんはないのです。

ビジネスは良い商品があればいいという世界ではありません。

これは絶対、忘れない方がいい視点です。小売業などに関してもそうですが、扱っている商品は他店と同じであるにもかかわらず、突出した成績を収めているお店などたくさんあります。

「商品至上主義」というのは、本当に陥りやすいワナなんですね。気を付けてください。商品をベースにして考えると、ビジネスで成功しなくなります。

重要なのは、素晴らしい「ビジネスシステム」を持つことです。素晴らしいビジネスシステムを所有することなのです。商品ではありません。

ここは非常に重要なポイントですよ。

ビジネスビルディング能力の有無です。これを鍛えれば、ゼロから立ち上がれる人間になれます。アイデアを換金する能力が身につくようになるのです。

 

ビジネスの土台、それは安定的なキャッシュフロー

ビジネスで成功している人たちは、経済的豊かさの鍵は安定的なキャッシュフローだと気付いています。だからこそ、amazonのような会社はメンバーシップサービスを提供して月額課金をしようとするし、スタバはポイントカードへの入会を募ります。月額課金や固定収益化が不可能なビジネスについては、リピート収益を増やすためにあれやこれや工夫をしているものです。世界一成功した投資家と言われるウォーレンバフェットはキャッシュフロー主義者であり、企業評価にあたってはキャッシュフローをベースにした企業価値計算をしています。

ビジネスが成功するかどうかの一番重要な点は、そのビジネスに安定継続的なキャッシュフローがあるかどうかです。ビジネスはキャッシュが詰まったらそれで終わりです。安定的にお金の流れがあるかどうかが肝心なのです。そして、そのお金の流れを生み出し続けられるようにマネジメントすることが大事です。

 

収入を増やして支出を減らす→貧乏パターン

また、収入を増やして支出を減らすことで、お金をたくさん残そう、作ろうとするのは「典型的な負け組」の発想であることも知っておくと良いでしょう。このサイクルにハマればハマるほど、経済的な自由からどんどん遠のくことになります。

入っていくお金が出ていくばかりだから、どうにか支出を切り詰めよう・・・というのが典型的な考え方です。この資本主義社会では、「支出を切り詰めよう」と考えれば考えるほど、経済的な不遇に押入られる不思議な構造になっています。この考え方に従って、何歳になってもいつまでも自由が得られない人は多いです。大切なことは、支出を増やし、しかもその支出からいかにお金が返ってくるか・戻ってくるかが重要なのです。要するに、使い方です。

最後に勝ち負けを決めるのは「使い方」だということです。

ビジネスにお客さんが集まるのは、そのビジネスに対して「投票」を行なっているからであり、その投票結果としての売り上げを次回以降、うまく使えるようになることが大切なのです。人がお金を払って、人に仕事を頼んだりサービスを利用するのは、お金を渡す先の人が、上手にお金を使えるからなのです。ビジネスとは、有限資源を集めて投資して何かしらのアウトプットを出す存在であり、その有機体システムに価値を認められたがゆえに、繰り返しお金が預けられるようになっているだけです。本質は、お金の使い方がうまいのです。

お金は使ってこそ稼げる。

お金を使うから入りがある。これをよく考えることはとても大切です。

 

キャッシュフローを支えるのは、マーケティング

ビジネスに流入してくるキャッシュフローを支えるのは、マーケティングです。すなわち、顧客とのコミュニケーションです。素晴らしい製品を持っている人ではなく、素晴らしいコミュニケーションができる人のところにお金というのは流れ続けるものなのです。お金の入りというのは、人とコミュニケーションがうまく取れるようになればなるほど、その対象の数が増えれば増えるほど、流れ込んでくるようになります。意外と、この点はおろそかにされがちなのです。でも、結局ビジネスというのは人とのコミュニケーションなのです。

うまくいかずに苦労しているビジネスというのは、外へ向けてのコミュニケーションが下手であるか、もしくはその量が不足しています。コミュニケーションとキャッシュフローの間には密接な関係があります。

金儲けの秘中の秘を教えます。金儲けとはコミュニケーションに他なりません。貧乏な人というのは、総じてコミュニケーションを取るのがうまくありません。下手すぎるのです。

「儲からない=コミュ下手」です。これは絶対法則です。

世の中には話をしても誰にも聞いてもらえない人、物を売ることができない人、誰の注目も集められない人がいますが、そういう人がBクワドラントで成功することはまずありません。

 

セールスとマーケティングの違い

セールスとマーケティングの違い。それは、セールスが「1対1」で行う人間的な営みであるのに対して、マーケティングはシステムを媒介として行う「セールス」であるということです。つまり、レバレッジが効いているかどうかです。

人力でいちいち営業をしていたら、コストはかかるし、効率は悪いし、何より大変です。しかし、営業というのはビジネスをやっている限り、必須のものです。問題は、この営業をどうやって拡散させるか、数をこなすか、です。マーケティングというのは、そこにレバレッジをかけることができます。

マーケティングを行うにしろ、セールスを行うにしろ、人のニーズが何かを特定し、そこに解決策を提示することができるようになる必要があります。また、スペックではなくてベネフィットに訴求できるようになることも大切です。

また、マーケティングは顧客創造を志向するものでもあるので、自分のビジネスに合っているお客さんを見極めるという役割もあります。自分が求められていないところにはいかない、というのはマーケティングの原則でもあります。自分のビジネスが求められているところで活動する方が、そうじゃない場合よりもはるかに楽なのです。

 

使命の反映としての製品・商品

売れる・売れないを決定づける根幹は何かと問われれば、私は「使命感」だと思います。使命感というのは、世の中に存在する需要やニーズ、問題についての救済者としての役割を自分に与えることで、ある意味のナルシズムでもあります。しかし、そうやって動いている時が一番大きな成果を上げられるし、たくさんの支持を集めることができます。結局のところ、売り上げが上がるかどうかはそこに共感があるかどうかです。お金のことだけ、売上のことだけ考えているビジネスは、簡単に見透かされてしまいます。私は、世の中に存在するこういう需要や問題に対して、立ち向かっていきますという理念や信念があるところに、人は集まります。お金も当然集まります。そして、その反映としての商品・製品がお金を稼いでくるのです。

これは別に、人間的に素晴らしくあれとかそういうことではなくて、売り物に色であったり、考えが反映されているかどうかです。そういうニーズに対して、どういう考えで向かい合っているのかというそのビジネスの理念が注入されているかどうかです。

 

パソコンとネットがあれば、誰もがビジネスを立ち上げられる

今や、パソコンとネットがあれば誰もがビジネスを立ち上げることができます。ネットがあれば、誰もが顧客を見つけることができるはずです。誰もが、一人一人のテレビ局、ラジオ局を所有している状態です。それが今の世の中の凄さです。

その際、あまり方法論やハウツーに浸りすぎないことです。それだけを根幹に置いたビジネスは実に不安定です。まずは、市場を眺めてニーズや問題を探ってみてください、そして使命を授かってみてください。使命感を感じる領域を見つけてみてください。

そもそも、売り物はハイテク商品である必要はありません。スタバのように、コーヒービジネスであそこまで大きくなることも可能なのですから。素晴らしい製品は世の中に溢れていても、素晴らしいビジネスシステムはほとんど存在しないということを忘れないでください。ビジネスと製品は違います。製品・商品はビジネスを構成する構成要素の一つでしかありません。

 

今は農業時代ではないし、産業時代でもない。

農家に生まれる必要はありません。農地がなくても大丈夫。工場を持ってなくても、莫大な土地が無くても大丈夫です。大量の人員を抱えてなくても良いのです。今の時代に、経済的自由や成功を得るためには、情報やアイデアがあれば大丈夫です。お金や人間、土地、店舗、権力がないと商売ができなかった時代は終わりを告げつつあります。この時代の変化に気づかず、絶好のチャンスを掴みとれない人間は、またいつものように出遅れてしまいます。今まだ、大きな変革の真っ最中なのです。このチャンスを感じ取れるかどうかは、ある種試金石と言えるでしょう。

アマゾンドットコムが、既存の小売よりも急成長を遂げてきているのです。インターネット上のサイトが売り上げを上げているのです。広大な地所を持つ既存の小売店よりも価値を持つようになってきています。既存の小売よりも、お金も人員も必要としないビジネスです。最近は、amazonの台頭もあって、米国のトイザらスが破産を検討しているというニュースも舞い込んできています。

 

ビジネスセンスとメンタルを鍛える

まずは自分のビジネスを立ち上げられるようになること。そのためのセンスとスキル、知識、経験を磨きましょう。そして、メンタルを鍛えましょう。今、インターネット上には、個人が簡単にスタートできるビジネスチャンスが溢れ返っています。まずは、そのビジネスを実践していく中で、自分のビジネス能力を高めていくことが大事です。そして、自分の中に力が養われたら、どんどんチャンスをものにしていける、アイデアを形にしていけるようになります。そして、現在、大方のビジネスの成功要因はセールスやマーケティングなどの「売る力」によって、その成否が決まるようになっています。これは決してゴリ押しという意味での「売る力」ではありません。要するに、統合的に商売を運営し、上手に売り上げを上げていく力のことです。継続的な収益を生み出し続ける力のことです。

 

決して顧客にならない人の意見を聞かない

ビジネスを始める時、注意が必要なのはお客さんを選ぶということです。決して顧客にならない人の意見を聞いているようでは、そのビジネスはうまく前に進まないことでしょう。

特別なお客さんのために商品・サービスを作り、価格を設定し、そしてそのお客さんにアクセスするためにマーケティングを組んでいくのです。いいお客さんは手厚くもてなし、そうではないお客さんはお払い箱にすること。このしっかりとした選別ができるビジネスこそが素晴らしいビジネスです。

良いをお客さんを見つけ出すこと。そのお客さんと出会い、接点を持つために全てのマーケティングプランは練っていくことです。

具体的には、特定のお客さんの特定のニーズに向けて、どんぴしゃりの価値を高価格で販売していくビジネスが理想です。低価格販売を続けていれば、必ず粗悪なお客さんに悩まされるようになります。

要するに、自分にできるビジネスを行い、自分の中にある最高の価値を、それを理解してくれる最高のお客さんに届ける。そういったお客さんを見つけ出し、関係を深めていくようなビジネスシステムを構築する。これがビジネスにとって大切なことです。

 

ビジネスを次なるビジネスの足がかりにする

自分が立ち上げたビジネスは、次なるビジネスの足がかりにしてください。土台、踏み台にするのです。まず、ビジネスが成功すると安定的なキャッシュフローが流れ込むようになってきます。しかも結構な額の、です。このキャッシュフローの中で生活をしながら、ビジネスへの再投資をしながら、また次なるビジネスを構想するのです。そして、次なるビジネスへの足がかりにする。必要とあれば、既存のビジネスから上がってくるキャッシュフローを次なるビジネスに投じていく・・・・・・。

この繰り返しにより、経済的な豊かさというのは大きくなっていきます。もちろん、次に取り組みたいビジネスが見つからないという時には、ゆっくりと夏休みのような時間を過ごしていても良いでしょう。次なるアイデアが降ってくるまでは遊んでおいても良いと思います。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。