もともと終わっていた人生。そもそも人生なんて、15歳ぐらいまでで大まかな筋書きは決まってしまう。
現実主義でCynicalな私は、「人生を変える・・・」的な本のコーナーの前で群がっている大人たちを見て、哀れだと思っていた。あぁ、諦められない人間は、そうやってじたばたするんだろうな、ってね。
努力が報われる、なんて思っちゃいなかった。夢が叶う、なんて1ミリも思っちゃいなかった。ただ、日々目の前のことをこなしていくためのモチベーションとなる、享楽的な何かを見つけ出す。そして、ただただ毎日同じことを繰り返す。それが人生だって思っていた。
でも本当は、そんなことを思ってしまう自分に、心のどこかで嫌気がさしていたのかもしれない。ピュアでいたかった。キラキラしていたかった。勝ちたかった。素直に、率直な願望を追いかけたかった。欲望を諦めたくなかった。
現実的なことを言って、Cynicalなことを言って、いかにも社会のことをわかってます風な大人。斜に構えた大人。こんな人間なんて、昔から「なりたくなかった大人の典型」じゃねぇか、ってね。いつの間に、自分がそっちのカテゴリーに寄っていた。
だからこそ、マーケティングとの出会いは天変地異級の衝撃だった。人の悩みのほとんどを一掃する力があったから。お金、人間関係、時間、・・・・・。全ての問題を一掃してくれるそのパワー。私は恐れ慄いた。
ピュアな自分が帰ってきた。
目前に広がっていたのは、美しく穏やかな世界。
いや、正確には、美しく穏やかな世界の到来はタイムラグがあって。後追いで実感できた。当初は、嵐が去った後の静けさのような世界だった。
以前、友人が、「世間では高学歴やら世襲やら金持ちやら、とにかく上流が悪者にされているけれど、実際のところ、上流の世界に行けば良い人たちが多くてびっくりすると思うよ。だって、余裕があるし、育ちが違うからね。案外、下の方が人間的に荒んでいる人が多いでしょう?」的なことを言っていた。わからなくも無い。
自力で、下層から上方にシフトしてきたとの自負がある私は、彼の言っていた意味がわかる。絶対にそうとは言えないけれど、下の方は確かに荒んでいる。これは間違い無い。
資本主義で資本とされているもの、例えば、お金、才能、コネ、知力、学歴、職能、スキル、・・・・なんでも良いけれど、そういうものを身につけて、お金に振り回されないクラスに到達すると、穏やかな世界は確かに存在する。
上を目指すのを意識高い系と呼び、その向上心を苦々しく思う人たちもいる。
でも、「逃避心」から一生懸命、上を目指す人だってたくさんいるんだぜ。だって、なんでもそうだけど、真ん中らへんから下は、面倒な野郎たちがいっぱいいるから。
マーケティングを習得した私はどうなったか。これまでの世界が、まるで嘘のように感じられた。世の中の人たちが、四苦八苦している問題を一瞬で片付けて、別世界へ移住してしまうことになった。
このスキルが恐ろしいのは、最小努力で最大限の成果を引き出してしまうところにある。だから、その効果を増幅させてしまえば、究極的には働かないで良くなってしまう。労働時間が圧縮されるから。ただしそれは、100の成果を10では無く「1のコストで出せるようになった」という意味でしかない。こんなものを間違ったコンテクストの中で習得してしまえば、待っているのは「労働だらけの人生」だ。もっと、もっと、の世界。1000やれ、10000やれって言われるようになるからね。効率化できるのなら、「もっと、もっと」と要求されてしまう。あるいは、上司に急かされなくても、自分が拝金主義的に振る舞うようになってしまう。もっと稼げる、もっと稼げる・・・ってね。こうやって、お金の奴隷になっていき、せっかくの人生が意味不明状態になっている人がいる。
30年以上、世界的に有名なプロファームで勤めていて、すでに引退された方から、「組織で働くというのは、金儲けに駆動されるということだよ。でも、独立すれば、ある程度、そこらへんはマイルドになる」という経験談を教えてもらったけれど、それは私も共感してしまう。組織人として働くということは金儲けマシーンになるということだ。自己資本でマーケットに接続してない限りは、やりたくも無い金儲けに巻き込まれてしまうこと必至だ。自分は金儲けのために買われているのだから。組織の中にいて、ある程度の立場以上になれば、日々通達されるのは、思い通りの裁量が限られている中で「数字をあげろ!」の一点張り。しかも、各種の雑務、マネジメント業務に追われながら、ね。
DRMで一家言持っているっぽい人なんかは「Enough moneyを決めろよ」って言う。マーケティングを学んだ人間が、「稼ぐ魅力」にハマりすぎて、止まらなくなり、一周回ってお金の奴隷になる事例を散々見てきたからだろう。
労働と低時給に支配された人生を送っていたのなら。仕事そのものが好きじゃないのなら。マーケティングは間違い無く人生を破壊するレベルで激変させてしまう。労働を効率化しまくって、最終的には暇人になるから。ロバート・キヨサキ曰く、マーケティングはシステムを介したセールスであるとのこと。確かに、広義の意味での営業をとことん効率化し、レバレッジをかけてしまえば、理屈としてはそういうことは「あり得る」。ただ、仕事そのものが好きなタイプはこんなスキル学ばない方が良い。好きな仕事で日常が満たされていることに満足するワーカホリックは、マーケティングなんかやっても鬱にしかならない。好きなことで1日の大半を埋め尽くせる求人広告を漁ることから始めた方が良い。(ちなみに昔の私は、マーケティングのせいで鬱になりかけた)
この世界はパラレルワールドなのでは無いかと思う。世間の不条理が対岸の火事と思えてしまう自由な世界が確実にある。面白いことに、ジャンルは違えど、私と同等の「人生を思い通りにするスキル」を習得して、自由に生きている連中がいる。世の中にはそういう人たちが結構いる。ふとしたタイミングで、ふとした時に、そういう連中と接点を持つことがある。見かけることがある。アンテナを張っていれば、そういう連中の存在は、確かに感じることができる。
だいたい、その分野は以下に限られると思う。
- セールス
- マーケティング
- アイデア、知的財産
- 組織構築、マネジメント、リーダーシップ系
- ファイナンス、利益管理、各種投資・資本家系
- 専門技術を持ちフリーランス化
(キャリアにならない番外編:投機、ギャンブル、アングラ系、遺産相続、フリーター)
例えば、セールス(営業)分野は、実力さえあれば、そして特定の商材・業界なら、若くしてとんでもなく稼いでしまえる分野だ。未経験で入っていき、初年度から年収1000万円〜とか、事例として持っている会社はいくらでもある。営業分野なら、20代で億とかそういう人はいる。実際、そうやってガッツリ稼いで、退職し、貯金でマッタリみたいな人もいるし、友人とゆるいノリで始めた仕事で年に数回、どでかい契約をガツンとかますだけで後はダラダラ・・・みたいに生きている21歳とか。そんなのあちこちにいる。組織構築の腕を発揮して、変な流通網(まぁ、MLMとか)を構築させて、その規模を拡大したりしてる人とか。流通させる案件をコネ・ツテで得てきてガンガンフィーを取っている人はいるし、ちょっと番外編だけど、カジノを回って生きているとか、先物取引だけで生きているとか、そういう変なタイプも実際にはいる。
ファイナンスの錬金術で生きている奴も知ってる。やたらとカネを引っ張ってくるのがうまくて、適切なコネクション、機会、人、リソースを繋げるハブとしてちょいちょいと仕事するだけですげー稼ぐ人。あれはすごい。何と呼べば良いかわからないけれど、適切な人、リソース、機会を繋げられる立ち位置にいて、上手い時に上手い具合に大きな金を生み出し・・・・ってことができる人はいる。プロデューサー型人材というか。それだけじゃ無い。腕利きのエンジニアとして世界を飛び回る人、金になる企画をすぐに思い浮かぶ人(頭のアイデアがすぐ金になる人)、動かす金がでかすぎて銀行の支店長から「ちょっと・・・」とか言われてしまう不動産長者・・・・いろんな人を見てきた。
そこは、目覚まし時計とか、上司とか、理不尽に耐えるとか、そういうものが存在しない世界。
そして、ピュアなJDと、「ピュア vs NOTピュア」の狭間でムフフなことができる世界。あぁ、これは余計か。でも、知り合いの話だけど、金曜の夜にクラブのVIPルームを貸し切り、若い女を集め・・・・・・あぁ、まぁいいわ。やめとこ。
個人プレイでできる世界は限られてくると思う。すごく限られてくる。また、一人でやるべきか、グループ(少数精鋭か大多数か?)でやるべきか、といったことも考える必要がある。もちろん、適性についても。何より、どれだけの資源を使える立場にあるかを考えることが非常に重要だと思う。
会社内でいくら頑張っても、会社の資本と看板(ブランド)、人員、仕組みをレンタルして成果を出しているだけでそれはどこまでも個人の成果では無い。だから挙げた成果もゴッソリ、会社に持って行かれるんだ。そして年寄りや役員、社長・オーナーがブクブクしているんだ。
それから、1つの仕掛け(プロジェクト)に関して、どのくらいのタイムスパンで取り組むのかもそれぞれの分野において違いがあると思う。本当に数十年スパンで仕込みをする世界もあれば、数年単位でポンポンと仕込みをしてまわしていく世界があるはずだ。多分、歯車と同じで、回転のスパンが短いとトルクは小さいのかもしれない。それと、一朝一夕で儲かる世界は無い、という教訓は間違っては無いのだと思う。
マーケティングの場合、ある種のアーキテクトだから、バっと浮かんだ絵を設計図の形に落とし込み、具現化するまでには結構な期間を要する。ただ、そうやって設定したものは、陳腐化するまでは本当にオートマチックにストーリーを描き続ける。マーケットのストラクチャーを理解し、ターゲットのマインド、ハートを理解し、適切な資源利用を行なっていくということは、正しい努力をするということ。
なんでマーケティングの虜になったのだろう。それはやはり、成功の筋書きを描いてくれるからかな。しかも、雇われる立場だろうと、ビジネスだろうと、恋愛だろうと、いかなる場面に応用が利いてしまう。自分がどういうシナリオに沿って動いていけば良いのかがわかってしまう。
マネーの話に限るなら、
- まずは交換可能な価値を集めよ
- 価値を金銭と交換せよ
- 金銭をさらに再投資せよ
このプロセスの中で、Hidden Assetsの活用方法、バーター、三者間取引、JV、などの打ち手を組み合わせながら適切なタイミングで適切なトレードを積み重ねていくだけで経済的な問題は大方解決する。
そして、「然るべき努力はしても良いけれど、そんなに労働意欲が無く、正当なリターンを得られないのが嫌」という私の性格にフィットするのがマーケティング。なるべく「早く」「楽に」というゲスな私のニーズにフィットしたからなんだと思う。早く・楽に、を現実的に実行するためには、相当知的労働の部分に負荷をかけないといけないけれど、むしろそっちの方が安心できるというか、信用が置けて心地よい。馬鹿でもできる「早く」「楽に」は危ない。努力不要の「早く」「楽に」は危ない。安心できない「早く」「楽に」は全然、楽なんかじゃない。中小企業向け、零細向けのゲリラマーケティングを理解すると、本当にゼロからお金を生み出せるようになるから、これ以上無いセーフティーネットだと思った。一生ものだと思った。未来がわからない時代において、これほど安心感を与えてくれるものは無いな、ってね。何より、マーケティングの世界は、私に対して考え方の修正をもたらしてくれるものだった。昔から、自分の発想・思想はアクが強くて個性が強すぎるフシがあった。つまり、他者に受け入れられないものであることが多かった。単純に、自分の考えに対して、マーケティングの世界はどういう正解を提示してくるのかが面白くて仕方が無かった。自分の純粋な個性に対して、「ウケ」という視点で答え合わせをしてくれる指針はありがたい。面白い。
でも、私がマーケティングにハマったのは、「金」の面だけじゃない。コミュニケーション全般の悩みを解決する知恵を得られたからだ。
生きているのではなく、生かされていることを知りなさい。
傲慢の塊だった私は、「マーケティングの神様」にそう説教されたような気がした。でも、それは私に絶望と希望の2つを同時に突きつけたのだった。自分の思い通りにならないのが人生なら・・・・?逆に言えば、相手の思い通りなら追い風が一気に吹く。featureではなくbenefitをオファーすること。ビジュアライズすること。魅力的なオファーのためにはtargetの理解・環境分析が欠かせない。researchが欠かせない。適切なリストを収集し、positionを考え、魅力的なオファーを出す。PRにだけ走る愚を犯す前に、全体設計を統合的に俯瞰する目を養える。自分のPricing間違えてない?下手な安売りしてない?売る場所間違えてない?connectionは?distributionは?そもそもリーチの範囲と質が不足しているのでは?何より、自分の人生における「悩みどころ」に対して、ビシッと指針が降りてくる。撤退のラインが見えてくる。正しい諦め方、捨て方が見えてくる。トップ、2番手、ニッチ、オリジナル、お値打ち人間・・・以外の人生はクソだ。母数が半端なく、参加する前も後も、莫大なコストとストレスがかかる報われないレース。そんなもので疲弊する人生とか、2秒で捨ててネクタイを川に放り投げるようになる。コモディティ化する人生とか、ストーリーに磨きがかからないキャリアとか選ばなくなるからね。
学生時代、金儲けの秘密を追い求め、会計士・税理士受験生が使うようなテキストなり、金融のプロフェッショナルコースに行く人間しか読まないような分厚い学術書なり、著名な投資家の書物なり、チープな自己啓発書から金持ち本まで、いろんな本を漁りに漁った。何か、ヒントがあるんじゃないかって思ってね。ジム・ロジャーズは哲学から金儲けの秘訣を学んだと言っていたし、誰だったか忘れたけど著名なプロトレーダーは数学が全てだと言っていたし(林修先生も数学推し)、10代の時に話を聞かせてくれた貿易商の人は英語をやって海外に出れば金儲けのチャンスはいくらでも見つけられると教えてくれた。
でも、個人的に、ブレイクスルーだったのは会計学から得た気付きだった。会計学の各種フレームワークの制度趣旨であったり、ガイドラインを策定している機関が思想として持っている考えとか、そこらへんまで掘り下げて熟考し思索していた時期があった。で、ある時。金儲けの秘訣はB/SとP/Lに乗っているじゃないか、と気付いてしまう瞬間があった。凡人の頭じゃあ、「金儲け=起業=金かかる=店舗費用がやばい・・・」みたいな思考だったけど、そもそも、現代において有形固定資産が事業収益にどれだけ貢献しているの?っていう相関関係を丁寧に漁るような地味な作業から始めたことを覚えている。銀行融資の可否とか資金調達の論点どうのこうのの前に、資本を何に投下したらどのくらいのリターンが見込めるのかという目安すら立てられないと、ビジネスなんて危なくてオチオチやってられないぜ、って。結論から言うと、資産項目の大多数は圧縮可能だし、それに伴って他人資本はほとんどいらなくなるし、P/Lにおける販管費項目以下のコストはほとんどいらない。それどころか売上原価すらいらないのでは・・・・っていう気付きを得てしまった。そして、そもそも、全ての活動は何のためか?という重々しい問いが自分に対して発せられた。この、細々とした数字の数々は、結局、どこにベクトルが向けられているんだ?って。
そのうち、「こいつらは机上の空論ではなくて、本当に金稼いでいるだろうな」って思う、マイベストプレーヤーリストの人たちの言説を集めていると、結局、本質的には同じことを言っているような気がしてきて、「これだ!」とブレイクスルーに出会う瞬間があった。
残念なことに、プレーヤーのほとんどは言語化が下手だから、自分が掴んでいるセンスを言語として表現する能力に著しく欠ける。でも、プレーヤーたちに代わって、とある有名な知の巨人がうまいこと、表現を集約してくれてる。
目の前に、結論やソリューションを提示されても、人はびっくりするほどそれをスルーしてしまう。例えば、「おいしい話」とか「やばい美女」とか「びっくりするほどうまい名店」とかは、そこらへんにある。足元にある。
キザなことを言うと、「幸せ」とかも本当はすぐ近くにあるもの。ただそれを認識してないだけ。しっかりと捉えてないだけ。
自分が認識しない、間違った解釈をしている、そういう限りにおいては、すべて「無かったこと」になる。
しっかりとしたバックストーリーを持っていると、目の前のことに意味付けができる。紆余曲折は無駄じゃない。目の前のことから、「1」の情報を読み取れるか、「10」の情報を読み取れるかは人生経験に依拠するところがある。重い意味付けができたものに対しては、信頼を注ぐことができる。アクセルをガッと踏み込んで取り組むことができる。
リストを集め、リストを教育し、リストに販売し・・・・とか言われても、大方の人にはピンとこなくて当然だろうと思う。リストが無形固定資産であり、有形固定資産を圧縮し、場合によっては棚卸資産管理の効率化・圧縮化を実現し、レスポンス計測をしながらカスタマーロイヤリティを上げていくことが広告宣伝費に抜本的な改革を起こして、リーチとロイヤリティとレスポンスの全てがシームレスに繋がりキャッシュインフローの劇的な上昇と安定化に繋がって・・・・・・とか、こういうのは商売の最前線に揉まれ、実際に商売をし、理論と実務を行き来しながら日々葛藤した人間にしか気付けない世界。
『「意味」を理解するのには時間がかかります。でも、「結論」に触れたり、その結論に沿った行動をするのはズブの素人でも簡単にできてしまいます。』
きっと、そういうことって、あちこちにあるんだと思う。私も、端的な結論を示すことはできても、意味の説明や背景にあるものの説明を求められると、膨大な言葉を尽くさなければならない領域って腐るほどあるな、と。
お寿司食べてお腹いっぱい。
PS
マーケティングに頼りすぎた。今後、「アイデア」か「マネジメント」か「投資」かに軸足を移して行きたいと思う。今後って言っても、今後20年くらいの話だけど。
PPS
「これから」、ゼロイチでマネタイズを画策する人は、以下のワードに注目しながら実際に行動をしていくとマーケターとしてのスタートが切れるかもしれない。
- JV
- コピーライティング(ダイレクトメール)
- リスト
- 未換金の経済価値と自己分析
- 換金可能性の高い知的財産への投資
===
"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。