【普通の幸せは嘘】独身男性の悲しい気持ちが理解できない。俺の生々しすぎる人生ストーリー。

YO!独身男性の諸君!

独身のカリスマこと、西園寺だ。

ところで、俺の思想は「ちょっと歪んでいる」、いや、「だいぶ歪んでいる」ことで一部には知られている。

 

というか、NAVERまとめに俺の放った発言がまとめられているぐらいだ。

知り合いに、「お前の発言、有名な奴らと並んで取り上げられてたぞ」って言われちまった。

(やめろよ、YEAH!誰だよ!そんな事したの!せっかくアングラ界のヒーローでありたいのに!)

 

世間で寂しい思いをしている独身男子諸君に、勇気と元気を与えるためにこのテキストを紡いでいる。

もちろん、男の元気といえば、「下半身」が大事だから、その辺も期待してくれよな★チェキラッ★

(まずは小手調べに、世界各国の美女始球式でも見ようぜ)

 

 

16歳の西園寺少年の夢 → 財力にものを言わせて若い女を買うこと

https://youtu.be/gzWgN0fG6u8

一般的に、16歳の健全な男子が、「女」に対して抱く夢とやらは何だ!?

素敵な可愛いお嫁さんをもらって、可愛い赤ちゃん、幸せな家庭・・・っていう、いわゆる「普通の幸せ」ってやつだよな。

結婚してハッピーになる、とかね。

もちろん、俺もそういうことを思っていた時期もある。

 

ただ、俺は若くしておかしかった。

おっパブから資本主義を学んでいた。

お金のために乳を出して知らない男たちの上に乗っかる女の子たちが一面を支配してる光景は異様さを放つとともに、武者震いするものだった!

これか!

これが資本主義か!!!

キャバクラの姉ちゃんの谷間に万札を差し込んでエヘエヘしたり、キャバクラで両脇にお姉ちゃんを抱えて鼻の下を伸ばすような典型的なエロオヤジになりたいとその時から憧れていた。

 

年頃になると、女の子たちが、樹液につられる昆虫たちのように、お金に吸い寄せられていく。あの姿を見て、心に誓ったものだ。

 

ここで、「西園寺理論」の1つをご紹介したい。

名付けて、「女の好みの非一貫性の法則」「男の好みの一貫性の法則」だ。

男の好みというのは、幼稚園の頃から安定している。

  • 幼稚園 → 若くて可愛くておっぱいの大きい女の子
  • 小学校 → 若くて可愛くておっぱいの大きい女の子
  • 中学校 → 若くて可愛くておっぱいの大きい女の子
  • 高校 → 若くて可愛くておっぱいの大きい女の子
  • 大学 → 若くて可愛くておっぱいの大きい女の子
  • 社会人 → 若くて可愛くておっぱいの大きい女の子
  • おじさん → 若くて可愛くておっぱいの大きい女の子
  • おじいちゃん → 若くて可愛くておっぱいの大きい女の子

女の子の場合、こうだ。

  • 幼稚園 → いじめから守ってくれる男の子
  • 小学校 → 足が速い男の子
  • 中学校 → スポーツができる男の子
  • 高校 → ちょいヤンキー、ませ男子、オラついている感じ、先輩
  • 大学 → 将来有望高学歴男子、お金持ち、年上落ち着き社会人
  • 社会人 → 経済的にしっかりしていて優しくて結婚できそうでまともで清潔感があって頼り甲斐があって・・・かくがくしかじか
  • おばさん → 相手してくれる人
  • おばあちゃん → 老人ホームの中で一番真摯

 

ちなみに、これに対応するかのごとく、「あれ、お前、アラシック(嵐ファン)じゃなかったっけ」というやつが「何代目何とかソウルブラザーズ」みたいなザイル系男子に乗り換え、そうかと思えばいつの間にかカムサハムニダ系中性男子に乗り換えていたりするというわけだ。

 

お前たち!

若いうちに恋愛しすぎるなよ!

同棲しすぎるなよ!

オレみたいになるぞ!!

https://www.instagram.com/p/Bnm6dkZhf_8/?utm_source=ig_web_button_share_sheet

※この女の子は一切関係ありません。「うお!エロ!元カノに似てる!」と思ってさっきまでみてたのをメモがわりに貼り付けただけです。

だからまぁ、完全なる幸せなカップルというのは、小学校時代から足の速さを発揮し中学校の時からスポーツがバリバリできて、高校時代から「学校の勉強なんて知るかよ」みたいな感じで勉強そっちのけ、髪を染めだしてピッチで闘志を剥き出しにしている男らしいタイプ、そしてプロになると若くしてすぐにお金をがっぽり稼ぎ出すすなわちプロスポーツ選手を小さい頃からそばで見ていた男女と相場が決まっているんだ。

※参考イメージ

  • 中田翔
  • 宇佐美貴史
  • 本田圭佑
  • 内田篤人

この方がパーフェクトだ。気心は知れているわ、付き合いにヒストリーはあるわ、お金はあるわ、と何にせよ、完璧なわけだな。しかも、統計上、生物学的に、女子は24歳が最も健康に子供が埋めるピークであるので、この付近で大量にポンポコ産もうと思ったらスポーツ選手がいいというわけだ。

気心知れた同級生アスリート彼氏も、その時期に全盛期。

これ以外にも例外はある。

それは、「アカデミックアスリート」だ。

学生時代から、お勉強で優秀な成績を叩き出し、有名大学に進学し、将来の進路も明るいという男子がいる。お勉強版のスポーツ選手だな。ガリ勉タイプもいるが、文武両道を果たしている人も多い。そして、就活戦線ではそれが有利な評価を受ける。だから、某広告代理店だとか、某総合商社だとか、霞ヶ関だとか、何でも良いけれど、スタートの時点からある程度の軌道に乗り、将来的な明るいコースが見込めるような男子も大学時代から青田買いが始まるというわけだ。社会的評判、ローンなどの信用力、基本的な所得、関係各所への顔向け、どれを取っても完璧だな。

これらパターンというのは、黄金パターンである。

いろんなことを考えてもバランスが良い。

 

ちなみに、芸能界と接続がある世界では枕営業だのなんだの騒がられるけれど、私が思うに、世の中で枕営業があるとか無いとか噂されるのは、枕営業してる当人たちが自覚が無いからだと思う。

例えば専業主婦も専属枕営業なんだけど、まさかそういう自覚がある人は少ないと思う。要するに、女の子は金と権力がある人がいたら、そしてその人が普通にコミュニケーションできるそつのない人であれば、スーッと吸い寄せられるのだ。学校で目立ってる男子に女の子が吸い寄せられるのと同じ話。枕営業ではなく、『魅力があったから』『成り行きで』みたいな感じでしょ。だって、普通にそこらでセックスするときも、契約みたいな感じで、よし、エッチやるか!股開いて!みたいなやりとり無いでしょ。

売春に罰則が無いのと同じで、掲示板に『ホテル代別3万円〜〜』みたいに露骨に書き込むパターンを除けば、世の中に溢れてるセックスは枕なのかどうなのか、線引きが難しいものばかり。

ある女の子が、『この前デートした男、ワリカンだった、最悪、すぐ帰った』って怒りながら言ってたんだけど、別の男の子とデートしたとき、『〇〇くんは映画に行っても先にお金払ってくれてて♡呑みに行っても出してくれて♡すごいスマートだった♡』みたいな感じで言ってたけど、そのあと抱かれたって言ってた。たぶん、この延長のようなことが、目立つ世界で行われたら、あれこれ名指しされるんだと思う。

https://youtu.be/bQwWabs_Sis

※この女の子も関係ありません。

それなりの良い家庭で子供を育てた親御さんたちは、娘に対して、「相手の家柄を見ろ」「相手の学歴を見ろ」「高卒とは結婚するな」「同じような家庭水準で育ってきたやつと結婚しろ」というようなことを吹き込んだりする。

物事がうまーーーく回りやすいからな。

トントントーンとうまく事が運ぶ。

ちなみに、エリートの連中が、例えば出版社に行って「作家」という凄まじい才能に触れたり、広告関係・マスコミ関係に行って「女優」「アイドル」「芸能人」という凄まじい才能に触れたり、行政に行って「政治家」という特権階級に触れたり、国際的な事業に関わって「中東の石油王」「政府系ほにゃららら・・・」みたいなものに触れてくるし、コンサルとかに行って「大企業の重役」「スター経営者」などに触れ合ってくるわけだ。

そして、彼らは、『ああ、俺は普通の幸せに邁進しよう(オレには才能がない)』と考える。

「普通の幸せ」

とはそういうことだ。

「普通の幸せ」が口癖の連中は、東大、東工大、京大、阪大の連中が同じようなことを言っていることを知っておいた方が良い。彼らも普通の幸せを歩もうとしている人たちだ。

社会に出たら学歴は関係が無い

という意見もあるが、冷静に考えてみれば、「人というのは立場が作る、環境が作る」ものであって、その立場・環境が得られるかどうかでファーストキャリアはかなり重要性が高い。中途採用になれば、「前職何してたの?」「経験者欲しいです」となるしな。つまり、22歳まではフィクションの人生で、社会に出てから実際に換金可能な人材になるのだけれど、その全ての始まりはファーストキャリアだ。

打席に立つチャンスすら与えられなければ、意味がない。例えばあなたが、野球ど素人で、PL学園に入り、補欠に入れない補欠をやり続けるのと、弱小チームでレギュラーメンバーやるのとでは経験値を積めるのは後者の方だ。機会が人を育てる。立場や環境、期待やチャンスが人を育てる。

職能によって稼げる、稼げないがあったり、出世のしやすさがあったりするかもしれない。そして、その巡り合わせも自分では決められないかもしれない。

十分な給料も業界構造がある程度幅を決めてしまうところがあるし、そもそも論、本当の実力主義で勝負する人たちはビジネスの世界やアートの世界、スポーツの世界に突っ込んでしまう。中卒でもトントントーンと成功する人がいるのは、彼らが営業などの実力主義のフィールドを見つけてポンポン成果を上げてしまうからだ。

会社組織には理不尽な力学がまかり通っている。もし、今置かれてる環境の理不尽さに嘆いてる人がいたら、自分の胸に手を当てて問いかけるべきだ。そもそも、今プレイしてる仕事の評価報酬システムはどうなってる?そもそも実力主義なのか?そもそも実力はあるのか?という風に。

(P/L上消しゴムと同じ項目に収まっている)サラリーマンごときにおいて実力主義とは一体なんぞや?

という話になってきてしまう。逆に言えば、プロフェッショナルサラリーマンは、サラリーマンという枠組みでなくても良いけれど、あえてその枠組みに収まっている人たちかもしれない。独立してもいいけどあえてしない人だ。

社会に出たら実力主義だ、とか考えていると、だいたい、理不尽を目にして、あるいは痛い目を見てそのうち「運が大事だ」とか言い出す展開になりがち

だけれど、そもそも論、サラリーマンの文脈で言う「実力」が何なのかをよく考えた方が良いし、オーナー、経営の視点から見れば、労働力は所詮労働力みたいなところがある。そもそもまずサラリーマンになる事が負けという意識があるかどうか、である。

身の丈を弁えた人たちが「普通の幸せ」というものを追求する。やることやって、普通の幸せというものを現実に作っていく。そして、教育システムや、広告、など世の中に伝播するシステムを通して

これが普通の幸せ

みたいなものを流布していく。そして、偏差値60以下が変な影響を受けて真似していく。

実際、そういうイメージ、メッセージの送り手達は本気で自分たちを「普通」と思っているから致し方無い。

末端の水準が国の豊かさを表していると私は考えているけれど、国が豊かな場合、あるいは国が豊かなフェーズにある場合は、末端もイケイケドンドンであるけれども、そうじゃ無い場合は、格差社会になる。

上にいけばハッピー、下はアンハッピー。

※かわいい。

 

 

流行のパリコレモデル。有名大学を出ない無能学生に普通の幸せは訪れません。

 

ファッション業界のことは詳しく知らないが、パリコレみたいな、ヨーロッパらへんでやっているシャレオツなイベント、もしくはハリウッドセレブのような連中をピラミッドの頂点とした影響力の連鎖が世の中にはある。

こうやって、上から下に流行は伝播していく。

流行は意図的に作られる。古今東西、流行は上流に憧れた人間が上流を真似することによって拡散して行った。キムタクヘアーや聖子ちゃんカット、アムラーなどを例に挙げるまでも無い。サラリーマンの宴会では、流行った芸人の真似がなされているだろう。

本田圭佑が両腕に時計をハメたらオシャレ、

一般営業リーマンが時計を両腕にハメたら、「ちょっとあの会社の営業頭がオカシイみたいなので今回の商談は無かったことにさせてください」

 

安室奈美恵がタトゥーを入れたらクールでカッコいい、普通のワーママが息子の名前を腕にタトゥーで入れたら、「●●くんちのママ、大丈夫かしら(ヒソヒソ)」

ということになってしまう。

橋下ちゃんが市の職員のタトゥーについてあれこれしたり、この前の芸能人のタトゥーに関する意見と炎上ぶりを思い出したまえ。

真似したら痛い目にあうこともあるのだ。

昨今のユーチューバーブームや、ブロガーブームはその間隙を縫ったものである。つまり、大衆が遠い世界の人種へ興味を失った(近いものに興味を持った)ということである。会いに行けるアイドルこと、AKB48ブームも間違いなくその流れを汲んでいる。今世の中の人間が興味あるのは真似できる範囲や近い世界だ。

 

ただ、流行のメカニズムとしては、上流から下流に伝播するという流れは注目に値する。そして上流はそれより下とは乖離した何かを持ってるものであり、みんなが上に合わせようとムーブメントが起こる。

当然だが、家庭の幸福、一般人の幸福像なんかもこうやって真似されるものである。

 

私は昔から思っているのだが、学校社会は社会人生活の予備的な段階であって、ここで上に登りつめなかったら、社会に出たあと、「普通の街道」をがむしゃらにやったところで無駄じゃ無いか?と本当に思う。

もちろん、中小零細の会社で上り詰める道もあるだろう。世の中にはたくさん仕事があるから、いろんな実力主義の形があるはず。とはいえ、資本主義というのは私財を投げ打って儲かる仕組みを作るために金銭的にリスクを負った融資者や投資者に利益が還元されるような仕組みになっている。オーナー視点なのか、雇われ視点なのかは極めて重要であって、大学までの評価システムが会社に入ってまで続くとは考えない方がいい。評価の性質が違う。就活で落ちても、いちいちめげない方がいい。

 

ところで、20代前半そこそこ、10代後半そこそこの子と話をすると、「普通の幸せ」だとか、「普通に向いている仕事・好きな仕事をやって幸せに暮らせれば良い」だとか、「幸せな家庭を」みたいな話が出てくる。

こういう「普通」というワードが出てきた時は危険である。

私が10代の頃も、周りに「普通」だとか「安定」だとか言うワードを吐いているやつがゴロゴロいたが、学生時代に上流に食い込め無かった人たちが、それなりに努力をして社会に迎合していったあと、どうなるかのストーリーを散々見てきたが、

どうせこの会社で役員になれるわけじゃ無いし

どうせこの会社で出世できるわけじゃ無いし

とか言って、「起業する」とかいいだして、突然に進路変更して会社を飛び出して、何か始めて、それでボロボロになって・・・・みたいなやつがたくさんいる。進路変更にあたって、自己投資をするわけでもなく、ただやみくもに頭を突っ込む。結果的に、何がしたいのかよくわからない宙ぶらりんの人になっている。

たいていの人というは、普通を目指しているつもりが、普通どころかみすぼらしい生活、カツカツの生活を送ることになる。普通、というのは、保守的に、安定的に敷かれたレールの上をそれなりにおさめた人間たちの上流が手に入るものであって、それ以外の本当の普通、つまり偏差値50付近ぐらいの人間の末路はだいたい、こんな感じである。

https://toyokeizai.net/articles/amp/248999?display=b&amp_event=read-body

  • 普通に生きれれば良い
  • 普通の幸せが手に入れば良い
  • 努力はコスパが悪い
  • 何も頑張ってこなかった

という人は、これが現実だというのをよーく見ておくと良いと思う。

(おまけに、日本は国難的な状況なので、これから国民への締め付けは厳しくなる。)

https://youtu.be/LaEQFqELST4

https://youtu.be/iLYlpYjQzvs

そもそも、週末の駅ビルのごとく、普通コースは混み合う。『才能も学歴も特殊能力もない、普通の幸せを目指すコンサバコース』は人が押し寄せる。週末のユニバ、ディズニーのごとく混むのである。この中で頭角を表すのは尋常じゃない消耗をすることになる。

 

特殊な人間のことは、多くの人は真似したがらない。こいつは変だ、と思う人間の真似はしたがらない。しかし、「これは普通の範囲だ」と思えることは真似したがるのである。Youtuberになれない、芥川賞には受からない、ブログでは食えない、と思うのに、一発逆転を目指して、公認会計士試験や司法試験、中小企業診断士やFPを目指してしまう。宅建を取る、今いる会社で頭角を現そうとする。飲食店を始めようとする。

キャバクラや風俗で豪遊するライフは縁遠いと思うのに、「普通の家庭的な幸せ」とやらを目指してしまう。もちろん、背景には「親世代の影響」がある。親にも威厳があるので、とてもじゃ無いけれど「俺たちの世代は無能でも結婚できた」とか「俺たちの世代は無能でもトントン拍子だった」とか「年金ウハウハです、ありがとう若者達よ」なんてことは言わない。そもそも自覚してないかもしれない。U-30以下の世代にも、「今の日本、今後の日本が昔より厳しい」みたいな話は、陰謀論のように捉えている人たちもたくさんいるのだ。

普通という言葉は、非常に誤認しやすいのである。

よく、アーティストやスポーツ選手を指して、『一握り』と言うが、サラリーマン社会でもピラミッドの上に行くのが稼ぐことにつながる以上(組織人は裁量や決裁権が広がったり部下がついてナンボ)、冷静に考えれば上に上がれるのは少ない。昔のように拡大していた時期は、どんどん上のポストが開いていたことも見逃してはならない。

さっきも述べたように、エリート層に限って謙虚であり、自分のことを普通と思っている。そして、その下の下の・・・ぐらいな、世間的には平均より上ぐらいの人たちは自分のことを「優れている」みたいな感じに思っている。そして、普通から中の下のあたりの人たちはみんな自分のことを「平均〜平均より上」と思っている。このあたりの錯綜が、多くの人の人生を狂わせている、と私は感じるのである。

私は昔から極端に考える男で、

安定なら公務員だろ、官僚だろ

みたいな感覚がある。どう考えても強制的にお金を徴収できる組織が財源としては安泰である。日本の優秀な学生が権力組織の上層を目指すのは、社会のメカニズムを紐解いた上でやってるので理にかなっている。保守的にハイバランスを目指すのであれば、やはり学生時代に頑張った方が良い。学生時代に死に物狂いで頑張っているエリート層たちは、あらゆるバランスを高水準でキープし、「普通の幸せ」を得るために頑張っている人たちだ。そう、貴方も学生時代に散々言われたであろう、わかりやすい栄光のコースだ。

そういう、「普通の幸せ」や「安定」から逸れるのなら、思いっきり逆に張った方が良いに決まっている。

それが私の考え方だ。

ダメでもともと、結果オーライ。てめーの人生2度ともう無い。-ak69

昔から、NOTエリート、特殊な才能が無い人たち、良いコースを歩んでいない人たちと会話をしていて、不思議に思うことが多い。守るものなど別に無いのに、何かに固執しているのである。

そして、何がしたいのかよくわからない。何を追って何を期待してるのかわからない。期待を誤認している。

結婚してるとかならまだわかるけれど、結婚するわけでも無い、みたいな。

 

 

底辺の遊び → パチンコ、キャバクラ、ガールズバー、スナック、酒

 

日本全国、どこに居てもだいたい楽しめる「底辺の遊び」というものがある。それが、パチンコ、キャバクラ、ガールズバー、スナック、酒というようなものである。私にとって、夢というのは、そういうものに根ざしている。私が底辺の遊びに昔、完全に浸っていたからである。

私にとって、憧れというのは、オヤジになっても面白おかしく、お金の力を軸にして遊び呆けるというものであった。

底辺の遊びにうつつを抜かして遊ぶ、地方のお金持ちに憧れた。

女は大なり小なり金で買える。金があればハレンチやロマンスな遊びはいろいろできる。

これこそが私にとってのジャパニーズドリームだった。

そして、そういうものに虜になるような感性の男ほど、家庭の幸せなどはほっぽり出してリスキーな仕事、例えば起業・開業などに頭から突っ込むことができ、結局成功してしまって金満・自由人になってしまうという法則を若き日に発見した。

そもそも、私は都心に縛られることに興味がなく、どこにいても稼げる、好きな時に離脱できる、自由に休めるみたいなことに憧れていた。言ってみれば、女の子が、妊娠出産のことを考えて逆算しキャリアを組むような発想だ。

10代の早い頃から、私は現実を見ていた。

現実しか見てきてない。

 

この法則も、私が現実を見ていたから気付いたことである。

  • 幼稚園 → いじめから守ってくれる男の子
  • 小学校 → 足が速い男の子
  • 中学校 → スポーツができる男の子
  • 高校 → ちょいヤンキー、ませ男子、オラついている感じ
  • 大学 → 将来有望高学歴男子、お金持ち、年上落ち着き社会人
  • 社会人 → 経済的にしっかりしていて優しくて結婚できそうでまともで清潔感があって頼り甲斐があって・・・かくがくしかじか
  • おばさん → 相手してくれる人
  • おばあちゃん → 老人ホームの中で一番真摯

実は、「底辺の遊び界隈」には、リアル底辺と、一般ピーポーと、叩き上げ成功者暇人が混在しているのである。私の知人・友人にもいるが、デリヘルやらスナックやらを経営して若くして月に200万とかを稼ぐようになって暇と時間を持て余して煙草咥えながらパチンコ打ってるような人間は日本全国、ゴロゴロいるのである。

私は昔から発想が極端な男であって、世の中を広く観察した時に、

  • 広い家
  • 定時に帰ってくるパパママ
  • 笑顔の絶えない両親、暖かな愛
  • 豊かな両家の祖父母
  • 子供の学校行事や部活に積極的に参加
  • 子供に対する積極的な教育投資
  • 子供のスポーツ活動に対する絶大な支援
  • 子供の大学一人暮らしへの支援
  • 子供が社会に出るまでの過程における様々な支援

みたいな、いわゆる「綺麗な家庭」「整った家庭」「内外に誇れる家庭」というのは、ある程度、人生の早い段階から有望コースが決まってくるということ、私はそれを痛切に感じていた。

 

はっきり言って、サラリーマンに能力云々は関係ない。もちろん特殊な人は除くが。そんなにシンプルなら、世のサラリーマンは理不尽さに苦しまないだろう。まず入社した段階から事前に聞かされていた話とは違う実態を見せられ、興味も適性も無い仕事に回されるなんて話はあちこちにザラにある。世の中のサラリーマンが死にそうな顔してるのはなぜだ、という話だ。

そもそも、若い人間に勝てるわけがない。能力じゃない部分で優ってるのに「自分の能力だ」と誇っているサラリーマンがタチが悪い。重要なのは、良いコースでキャリアを歩んできたのかという箔のおかげで色々成り立ってる輩が多い。昔、ビジネス書と言えば、起業で成功した奴が書くのが当たり前だった。ところが、最近のビジネス書コーナーに行くと、「●動力」「USJで学んだなんちゃら」「ディズニーで学んだなんちゃら」「人生死ぬこと以外はNo risk(著者サラリーマンwwwww)」とよくわからない。

よく、

  • 20代は素直さ (←いいところに入る)
  • 30代は部下をどう扱うか
  • 40代からはコネ

みたいな話がよく言われるが、結局のところ、良い組織・環境を得られるかどうかである。

ビジネス書界隈では、著者の学歴が大事だという。タイトルに「東大」とつければ売れる法則もある。特に、日本人の大勢が受験競争に突っ込み、挫折して、コンプレックスを持っているからこそ、そういうものは売れるのだ。コンサルなどの知的生産ジャンルで、表向きに出す会社の看板キャラの経歴が華々しいかったり、採用にあたって出身大学が重要なのは、箔づけのためである。

人生くすぶっている人ほど、「大学教授」とか「高学歴」みたいな人の本を手にとって一生懸命、ありがたがって読むけれど、一つ言っておきたい。彼らの考え(妄想?)の前提にあるのは、彼らが良い環境を得られたという条件付きである。所詮サラリーマンなんてのは、しかるべき環境を与えられたら育つのである。実際、権力者やお偉いさんはハンコ押してるだけである。逆に言えば、「コネ」「学閥」「良い組織のコミュニティ」みたいなものを活用できる人間の人生は安泰だ。

知り合いの〇〇大学卒の人が言っていたけれど、事業を立ち上げて速攻潰して、それで同級生のベンチャー社長の会社に雇ってもらうような人がいるらしい。ちなみにその若いベンチャー社長は親の金と基盤を継いだだけのボンボンである。

最近、いよいよみんな、世の中に蔓延っているもののメッキに気付いてきていると思う。

ただ、頭の良い連中が頭が良いのは、学生を洗脳する仕組みがパーフェクトだということだ。学生というのは自信が無い。自分が社会に出られるのか、社会に受け入れてもらえるのか、不安で仕方がない。そこで、お偉いさんからのお墨付きが欲しいのである。権威による承認が欲しい。そこで大学に行くと、なんちゃら学、なんちゃら学というような、壮厳な雰囲気のアカデミックセオリーに触れることができ、それを修めるとアイデンティティーと自尊心をそこに同一化していく。この支配組織は、下部組織まで手を伸ばしており、義務教育にも接続されている。これによって、教授、学術機関、その大学を出た人間、および高学歴支配の世界における統治構造がより強化されて、高年収になった親は子供に再教育して階級の固定化・相続が続くというカラクリである。

別に、これで世の中機能しているなら良いけれど、日本の経済に詳しい人なら、なぜ日本がダメなのかの根本を理解していると思う。結局、日本は古くから続く支配者階級の支配下にあり、もっと言えばアメリカの属国であり、世界で最も成功した社会主義と揶揄されるだけの構造にある。

問題は、それの良し悪しではなく、そうやって社会構造の真実を理解した時、そこにうまく合致できていないような人種が、上を見て、変なところだけ真似するのである。つまり、勉強はしないくせに、いっぱしに幸せな家庭とか普通の家庭みたいなものを目指そうとするのである。

 

個人的にタトゥーに偏見は無いが、10代の頃に暴れまわっていたような女で体にタトゥーを入れている人は多い。日本社会では、どう考えても、タトゥーを入れる便益とデメリットを勘案すると、やる価値が低い。損が多い。そんなこんなで、体に過去の遺物を入れたような女(ただしルックスは良い)が、あの手この手で自分の美貌に磨きをかけて、自分の社会階級を上げようと、あるいは自分の幸せを獲得しようと、一生懸命に上を見ながら、

素敵な男性現れないかなぁ・・・♡

みたいな感じのことを吐いている、アラサー女が世の中には溢れかえっている。そんな女の頭の中に描かれている「普通の幸せ」は当然ズレており、その普通の幸せを手に入れるために支払わなければならない努力の基準値もわかっておらず、「年収800万円の人と結婚して専業主婦になって・・・・♡」というように自分が何を言っているのかわかってない発言をしている。そして休日はひたすらhuluで映画、ドラマを観て頭の中はファンタジーで一杯。

一人で生きる分には人生は勝手であるが、誰かと深い関係性を持つと影響がある。そして、その関係性というものが、「切るに切れない」とか「人生にインパクトがデカすぎる」場合の影響たるや尋常では無い。

 

権力絡みみたいなのと、民間のミズモノ商売の人では同じ額面を稼いでいても、『家庭を守る!』ということでは全然違ってくるからね。将来的に子供が無能になる問題はさておき、温室育ちをさせたいのであれば、やはり出来る人は限られてくる。

権力に食い込んでそこそこ高給をもらうのと、商売人のように手腕で稼いでいるタイプは事情が違う。政治家だって特殊な家の人で無ければ、落選すればニートだし、高給取りはリスクテイカーだったりする。首がいつ吹っ飛ぶかわからない。テクノロジーイノベーションによる人件費圧縮のターゲットにされやすい。起業家なんて、10年前にちやほやされていた人間が、ネットカフェ難民になっていたりするものだ。そもそも、企業寿命が年々短くなり、30年とか言われている時代である。つまり、激動の人生が確定しているのだ。

 

私なんかは、ハナから安定とか糞食らえの精神で生きてきた代わりに、そのリターンとして獲得できている「圧倒的な自由」を謳歌しているだけに過ぎない。実に正しい生き方をしていると思う。自分が選んだ道の特徴的リターンを理解して謳歌してるからだ。逆にサラリーマンを選んでいたらさっさと結婚して家庭の幸せみたいなものに邁進しているに違いない。別に私がいくら女遊びをしようと目くじら立てる奴はいないし、私がいくらハニートラップにかかろうと損害は何も無い。

 

このブログを読んでいる人は、西園寺が中出しが好きだとか、レイププレイが好きだとか、ドエスだとか、風俗が好きだとか、とっくのとうに承知だろう。これで、女性読者が結構いるのだから、もう、かなり頭オカシイ。ちなみに、セックスした女の子に「性奴隷」というあだ名をつけてアブノーマルプレイをして楽しんでいるぐらいなので、人間的に欠落していることはもはや周知の事実である。

 

秋元康氏は、もともと官僚になりたかった真面目な学生だったらしいが、ふとしたきっかけでテレビに送ったものがきっかけで17歳から放送作家業を開始し、あれよあれよといつの間に道を逸れてしまったと語っている。そして、自分自身を官僚のような職業と比較して『ドロップアウトしてしまった』という思いがあると語っている。しかし、彼のやり方は実に正しい。年頃の女の子に水着を着せてハレンチな歌を歌わせている。真面目に対する思い切った逆張りである。清々しいまでの突き抜け方がある。

 

結果論的に普通の幸せが手に入るならまだしも、東大、京大、そのほか有名大学を出て大手に入り安定した給与を、みたいなコースに乗ってない時点で、私は普通の幸せなるものを昔から諦めていた。

そして、どうせなら思いっきり逆張りしようと思った。非日常性溢れる自由なライフを追いかけようと思ったのである。

中途半端は一番後悔すると思った。

私は多分、賢かったと思う。普通の幸せなるものをみんな誤認してることにすぐ気づいた。実はその普通の幸せが、誤認も含めて遠いんだよって話ね。それは、若いうちから現実を見続けた賜物だったと思う。

 

私は、キャリアには2種類しかないと思っている。

一つは、自分の家族のために生きる人生。普通の幸せを追う人生。

もう一つは、それ以外のために生きる人生だ。

 

もし、すべてが手に入っているように見える人がいたら、それはきっと後付けだ。

最初の段階で、選択はしている。

すなわち、売れてる芸能人やアーティスト、起業家たちが家庭の幸せを築いていたとしても、それは最初から望んでいたものではなく、成功して地位が安定した後に手に入れたものである。言い換えれば、下手すれば全て手に入っていなかったかもしれないのだ。

 

もし、普通の幸せを絶対に欲しい、それを優先にしたいというのであれば、学生時代から示されてる通り、勉強して上の世界に行きなさい、という話である。

 

家族のために生きる人生。

それ以外のために生きる人生。

 

前者であれば、それをファーストプライオリティに置く以上は、早い段階から全ての行動が変わってくるはずである。若いうちから然るべき準備をしてた人は人並み程度のところには届くだろう。

もし、それなりの準備ができないまま大人になったのなら、結婚してからの各種の苦しみなどにもある程度、覚悟がある以上、我慢ができると思う。愚痴の内容は、その人が「どんな期待を持ってきたか」「どういう世界観で生きてきたのか」が暗示されてしまう。結婚について後悔の弁を述べている女たちは、「一体結婚を何と思ってやったのか」と不思議に思う。

文句や愚痴というのは、その人が何を期待したか、そして自分をどの程度と捉えているかがある程度暗示される。

そもそも、生きることは難しい。ハードだ。

当然、家族形成となると、余計に深刻である。

 

現実が見えない人間はどうなるかは、この参考VTRでも観て欲しい。

https://youtu.be/_kK-DbJ5kJ4

https://youtu.be/8h8rLvPAPeA

https://youtu.be/FXBrtCJSxEU

 

 

結婚と自由恋愛が結びついたのは最近の話

 

おっと!

そんな現実的な話は聞きたくないだって?

でも、考えてみてほしい。調べてみてほしい。長らくの間、結婚というものは自由恋愛ではなく、政略的な理由で行われてきたものだった。農業をやる労働者が欲しいだとか、お金のために人身売買で売り飛ばすための子供が欲しいとか。それから、海外では未だに、お見合いとか連れ去り婚、地域マッチングなどがあるんだぜ。

そもそもこれは夢とか幸せの類では無い。幸せを感じられるとしても、それが人生の彩りを豊かにするためのオプションの一つ、人生のパートの一つとして輝く場合だ。仕事が順調に言っている人は、休日にギターを弾けば音色で幸福になれる。しかし、人生をギター1本に捧げた人は、売れた人か、相当覚悟のある人か、相当ギターが好きな人でない限り、幸せを感じられないだろう。

元々は、家系の事情を組まされたり、お見合いさせられたり、女の人の社会進出手段として使われたりとしてきた歴史があるし、スパンを長く見ると、女の方が働いていた時代もあるし、共働きの方が歴史的には普通である。

戦争になると、男は戦場に駆り出されて、女は武器の作成に駆り出される。第二次世界大戦中は世界中どこもそうだった。国策主導で、国民が総動員される場合には、そういうパターンがあり得る。日本も、戦後の経済成長の時代は、国策主導で男女の役割分担があった。今はそうではない。

 

結婚に夢とか幸せをリンクしすぎるのはどうかと思う。

たぶん、教養が無いんだと思う。

もっとも不幸感を味わいやすいと思いますけど。

そーゆー発想。

白無垢なんかに憧れてどうするんだ。

 

もちろん、どんな人間にも、「瞬間的に幸福に見える」ことは可能だ。

普通の社会人なら、100万円を貯金することなど余裕だとお思うが、それを瞬間的に使えば、その瞬間はリッチである。お笑い芸人も瞬間的に売れる人はいるが、長く続かない。結婚の類の幸福も瞬間的には幸せに見える・感じられることもある。

つまり、「Rich(広義の意味での豊か)」というのは、コンスタントかどうかである。サステナブルであるかどうかである。日常的な生活の基礎水準である。毎日の平均がどのくらい高いかである。簡単に言えば、人生というのは、誰だって瞬間的に波を起こすことは可能である。しかし、本質的に人生というのは日常であるということだ。ライフスタイルであるということだ。毎日がどのように繰り返されているのかということだ。

 

年頃の女の子が「恋愛と結婚は別」と言っていたりするが、まさにその通りなんだ。そう発言している女の子達が「思っている以上に別」の歴史があるんだ。

シェイクスピアの

ロミオーーー!ジュリエーーット!!

からもわかるように、「階級」や「格差」、「出自・家柄」と「結婚」というのは、劇作のテーマにされるぐらいだったんだ。つまり好きな人と結ばれることが難しいってくらい、昔は自由が無かったんだ。っていうか、日本の支配者たちを見てくれ。皇族の家系とか、政治家の家系とか。日本の内閣総理大臣や、財務大臣、皇族達の家系や結婚相手の家系などを見てくれ。めちゃめちゃ政略的じゃねーか。

上流階級の結婚の様相見てたら、平安時代から変わってねーじゃねーかって気がするだろう。

もし、まともに頭が働く女ならば、ストレートに恋愛結婚をしたいのであれば、自分の水準を高めて、日常的に周りにいる男子が「高水準である状態」を保つことがストレートに人生をうまくいかせるコツだと気付くだろう。そして、高校生時代には、そのためにやることとして、「今は勉強しかねーな」ぐらいに思い、勉強して有名大学などに入るはずである。

そうすれば、将来有望な人たちが周りにわんさかいる。

冒頭述べたが、スムーズにトントン拍子で事を運びたいなら、スポーツアスリートかアカデミックアスリートに目を付けるべきである。

自力で成り上がったストリートスマートの連中は大抵、「女と遊びまくりてぇ」というゲスな欲望を持っていたり、くすぶっていた時代に劣等感を感じまくっているような連中が多いので、せっかく成功したのに、わざわざ好き好んで、若いうちに年貢を納めようなんてなかなか思わないはずである。

 

 

歳上男子、年下女子のマッチング

 

結局、今の現実世界で、どーゆーことが起こってるのかというと、上流は上流同士で結ばれる。例えば才能スター、アカデミックアスリート、そしていろんな意味で偏差値70以上の世界だな。偏差値というのは学力という意味で言っているわけではなく、上流という意味だ。

そして、その下の連中が上を見て、何もかもを真似っこして背伸びして、苦しんでるわけだな。

都合が良いところを真似っこする。

影響を受ける。

えっ、もしかしたら自分には普通の幸せすら遠いのかもしれない

と気づくスピードがどれだけ早いのか、どれだけ内省できるかは人による。

もちろん、おじさんと若い女のペアとか、30代と20代のペア、40代と20代のペア、50代と20代のペアみたいな形で、なんとか歪に成立させているパターンもたくさんあるだろう。下流リーマンの20代は貧乏だからね。年齢によってある程度、稼ぎが付いてくるから、結局、年齢差を使ってなんとかゴールイン、みたいな。

ものすごい汚い言葉を使えば、大抵の人間には家庭形成する能力も資格もない、大抵の人間は遺伝子を残すに値しない、ということだ。

これは洞察力があるとすぐ気付く。

しかし、ファンタジーな連中はずーーっと、そこに気付かない。

人が人生で行動を起こすかどうかは、意識が高いかどうかじゃない。

純粋な「好き」とか「好奇心」みたいなポジティブなものか、もしくは「危機感の基準をどこに設けるか」だと思う。そして、人生に彷徨っている人は、これが好きだとか、あれに興味があるみたいなものは無いはずだから、結局危機感でしか動けないと思う。この危機感をどこに設定するのかが重要であるが、たいていの大人が人生を後悔している、やり直したいと思っている事を考えると、やはり危機感の設定を間違えている人は多いのだと思う。そして、それの典型的な間違いが、「普通の幸せ」とか「普通の暮らし」というものだと思う。

普通って何よ?って感じだからだ。

そもそも、同じ屋根の中で暮らす別人が円満にやれるかどうかは、『企業の働きやすさ問題』と同じで、たとえばマイクロソフトやグーグルのようにイカしたオフィスがあるかどうか、福利厚生があるかどうか、というような経済問題だったりするわけである。一見して、お金とは関係なさそうに見えることがお金に支えられていたりする。お金は究極的に、自尊心や人間としての尊厳、モチベーション、気分すらも左右する。

それでもそんなものは関係ない!と思える相手がいるのなら、おめでとう、あなたはきっとTRUE LOVEを見つけたに違いない。笑。もし、そこに迷うのなら、断言しよう。あなたに好きな人などいない。愛している相手などいない。

広い家で、二人それぞれ別の空間を担保できるのか、二人がそれぞれ違う趣味活動などに時間とお金を使える夫婦なのか、それとも二人で寄り添って必死に家計を維持しようとする貧困体なのかによって、状況はだいぶ違う。

金の力は大きい。

そもそも、金を抜きにした「愛の力」、「信念の力」「根性」を軸に回すとしても、そういった力がある人たちは踏ん張りがきく、努力ができる、頑張れるはずだから、人生で踏ん張ってそれなりのゾーンには留まってるはずだ。なんとかそれなりのところまで登れるはずだ。

生物の競争社会において、全体のために個体が犠牲になることは正当化される。会社は潰れることに意味があるし、人間が個体として死ぬのも種を残すためのメカニズム。競争社会から漏れて悲劇や悲しみにあう人が出るのも、全体のためには致し方無いこと。誰も言わないけどこれが真実。

このへんはヒトラーがうまく語ってるから、参考にしてみてくれ。

要するに弱者をケアしすぎたり、潰すべき会社、潰れるべき人間を救いすぎると、今度は別の競争力ある集団に潰されるという話だ。結局、競争原理や適者生存原理は世の中に存在するという話。

世の中で、不幸な人、可哀想な人、貧乏な人をなぜ救わないのかわかるかね?

むしろ、世の中は、倒産や、自殺や、ドロップアウトや、落ちこぼれの存在を肯定している。表向きにはセーフティネットだなんだ言いながら、世の中の現実はみんなにガリガリ競争させることによって、集団や社会全体の外的な対抗力・競争力を保とうとしているのだ。

 

生きること、種を残すこと、家系を続かせることのリアルな現実を的確に語っている以下の文章を偏見なしで読んでほしい。

そして、世の中が、いかに「都合の良い詭弁」「詐欺的なレトリック」で、ある特定の層たちの子孫繁栄に都合の良いロジックで回っているかがわかると思う。

なぜ世襲は無くならない?なぜいきなり女子高生が高級ブランドのアンバサダーになる?(「おい、ちょ、待てよ、とその子の父親の真似をして全国民がツッコミを入れたであろう」)メディア・芸能界はコネ入社で溢れかえり、オーナー企業では遊びまわったバカ息子が社員の上に立ち、日本の中枢の家系図は繋がっているのか?

貴方は何のために普通の幸せを追う?

何のために結婚をする?

軽いノリで種を残してみたいと思っている?

・・・・・・これが、「生存」や「生殖」の現実だ。

そして、社会における弱者、敗者放置のカラクリである。現実を正確に見ないことには危機感は生まれない。

自然は生殖力そのものを阻止しないが、しかし生まれきたものを困難な試練と窮乏に晒し、強靱さや、健康で劣るものをすべて、再び永遠に未知なるものの膝下へ帰すように強制することによって、生まれきたものの存続維持を妨害するものである。それでもなお生存の不公平に屈しなかったものは、千倍もの試練に耐えた堅固で健全なもので、さらに生殖に適しているのである。こうして根本的な淘汰をはじめからくりかえすことができるのである。自然はそのように個々のものに対して残虐にたちむかい、そして彼が生活の嵐に耐えられないかぎり、直ちに呼び戻すことによって人種と種自身を力強く維持し、むしろ最高の能力にまで高めるのである。

しかしそれとともに、数の減少は人の強化となり、したがって結局は種の強化となる。

人間が数の制限を行おうと準備するときには話が違う。人間は自然を木彫りしたものではなく「人間的」である。人間はこの残忍な全知の女王よりももっとよく知っている。人間は各個の存在維持を制限しないで、むしろ生殖そのものを制限する。これはむしろつねに自分自身だけを見て人種を見ないものには、逆の方法よりもより人間的であり、より正当だと思える。しかし遺憾ながらその結果は逆である。

自然は生殖を自由にさせておきながら、しかし存在維持は極度に困難な試練にゆだね、ありあまる個体の中のものを、生きていくに値するものとして選び出す。こうして自然はそれだけを維持し、そして同様にその種の存続維持の担い手たらしめるものであるが、人間は生殖を制限するが、しかし一度生まれた全てのものをどんな代価を払っても維持しようとし、ひきつけんばかりに一生懸命になる。神の意志を訂正することが、かれには人間的であると同時に賢明であるように思える。そしてもう一度ある点で自然を凌駕し、そのうえ自然のたりないところは証明したと喜んでいる。もちろん実際には数は制限したが、これに対し個々の価値は低下させられたのだという事を、神の愛すべき小猿はもちろん好んで見ようともしなければ、聞こうともしないのである。

というのはひとたび生殖自体が制限され、出生数が減少するや否や、最も強いものや最も健康なものだけしか生きる事を許されない自然的な生存競争の代わりに、最も弱いものや、それどころか最も病弱なもの、どんな代価を支払っても「助け」ようとする当然の欲望、また自然と自然の意志を軽侮することが長ければ長いほど、ますます悲惨なものとならざるを得ない子孫のために胚を残しておこうとする当然の欲望が生ずるからである。

しかし結局かかる民族には、いつか世界の生存権が取り上げられるようになるであろう。というのは、人間はある期間は存続維持の意志という永遠の法則に反抗することができるが、しかし、遅かれ早かれ報復が来るからである。より強い種族が弱い種族を駆逐するであろう。生きんとする衝動は最後の型においては、強者にその場所を譲るために、弱者を滅ぼすという自然のヒューマニティをその代わりに置かしめるために、個々人のいわゆるヒューマニティという笑うべき束縛がすべて、どんどん破壊されるのだからである。

 

 

もしかしたら、無理の産物なのかもしれない自分

ヒトラーの言にあるように、「無理をすればするほど、後世にツケが回る」というのだ。これは、年金問題もそうだし、一つの家系についてもそうなのである。また、弱者を発奮するのではなくいたずらに援助、保護することは、結局全体の弱体化、そして対外勢力に飲み込まれることを意味する。

弱者は突き放さなければならない。

それは弱者のためでもあり、全体のためでもある。

国家というのは「国」の「家」と書く。

国家と国家の争いであったり、国体の維持というのには、「戦争」が絡んで来る。しかし、昔からどのような思惑で戦争が行われてきたのかなど、勉強不足であるとなかなか気付きづらい。

小学生に、

「なんで人間は戦争するの?」

と問われて、貴方は答えられるであろうか。

私は、軍事学や昔の戦争論などの知見から、自信を持ってこう言える。戦争とは、既存の支配体制、国体を維持したい勢力によって実行されるものだ、ということである。

戦争が起こる理由はただ一つ。

現体制の維持のため。

そして、その現体制を中流以下〜末端までのマジョリティが「自分たちのこと(WE ARE….)」と勘違いするからである。

想像がつくとおり、戦争で犠牲になるのはいつも末端の人間だ。

会社も同じで、会社を潰さないようにと、構成員は発破をかけられるが、他社と競争するように命じられるが、これは結局のところ、会社所有者のためである。

これは、一つの家系でも同じことだと思う。お父さん・お母さんありがとう系のメッセージが世の中に蔓延っているが、両親の影響力というものが凄まじく、両親抜きで一人の人間の人生が成り立たないとするのであれば、功罪あって然るべきである。間違いなく、負の側面も存在する。どんな会社に入っても、どんな商品を買っても、どんな地域に住んでいても、メリット・デメリットはある。ただし、「絶対的なもの」「切っても切れないもの」とされているものに関して、あまりにもデメリットを食らっている人がいるのも事実だと思う。

物事は全てバランスであり、個人の内々の事情は内々で処理しろ!というのが世の中の風潮ではあるけれど、

  • 20歳までは親の言うことを絶対聞け!
  • 22歳からは全て自己責任だ!

という人生のレールにおいて、当然のことながら「優れた親」の元で生まれなかった人は明らかなディスアドバンテージをくらって世の中に出て行くし、もしかしたらそのディスアドバンテージが生涯にわたって続くかもしれない。

社会に出てしまえば時間が無いし拘束されるわけであって、考える時間も、情報を集める時間も無いかもしれない。

 

一般的に、多くの人々は日本という国家に対して、「自分たちの」と思っているはずである。

この「自分たちの」というのが、最も人を騙して動かせるのに都合が良いわけだ。

  • 自分の国
  • 自分のお金
  • 自分の会社
  • 自分のスマホ

全部、これは自分のものでは無いのである。

インフレ、税、国家財政、預金封鎖、年金制度、こういうものを勉強すればするほど、いろんなことに気づくはずだ。

入社した会社員に、「我が社」と呼ばせるのは意図的だと思わないか?会社のクレーム対応の最前線に、下っ端社員を放り込んで、経営陣の無理な経営のツケを現場の担当者が対応していないだろうか?でも現場の対応者は、「我が社」というていで対応するであろう。

貴方は自分の「国」、自分の「お金」、自分の「会社」と思って一生懸命に人生を捧げている中で、幸福感をあまり感じられないのはなぜかと自分に問うたことは無いだろうか?

  • 税金 → 政治、行政トップ
  • 国民健康保険、社会保険 → 医療業界
  • 学校教育 → 教師
  • 大学 → 教授
  • 会社での労働 → 経営陣・株主
  • 貯金・投資・保険 → 金融業界
  • 貧乏な親への仕送り
  • 年金 → 戦後、ゼロスタートの中で今の仕組みを作り上げ右肩上がりの中を生きてきた老人世代

がんじがらめである。

ぐるーーーーーーっと一周囲まれていることに気付くだろう。

別にそれが悪いと言っているわけではない。

しかし、世の中の仕組み、構造を理解しないと、永遠に生きづらいままの人生が続く。

そして、もしかすると、あまりにも「ハズレ親」を引いた人や、普通の街道にフィットしない人は、逆説的なルートの方が成功できるかもしれないのである。

重要なことは、「大して幸福感を感じない」「自分が選んだわけでは無い」「買わざるを得ない」みたいなものにガンガンお金と時間が吸い上げられている場合だ。

なぜ一生懸命勉強しなさいと言われるのかがお分かりだろう。権力の側に回りなさいという意味である。

権力の側に回り、優等生コースを歩んで、幸せに結婚し、繁殖をしていれば幸福なのである。

お金の稼ぎ方は基本的に、

  • 権力で搾取
  • 人気で取引

の2つしかない。

「予算を使い切らないと来年から予算を減らされるからパーっと税金使っちゃえ!」「この案件は保険下ろさなくて良いよ!」「会社のお金着服して別荘建てちゃえ!」「親に感謝しろ!!」

こうやってぐるっと一周されている。

重要なことは、ある一定の上層までは、そういう「普通の話」は正解だということ。多くの人にとっては正解だということ。

人生で一番悩ましいのは、

  • そんなに愛国でも無いけれど、そんなに嫌国でも無い
  • 政治には特に意見はない。不満もない。興味もない。
  • そんなにいい親でもないけれど悪い親でもない家庭に生まれたがもしかしたら毒親なのかもしれない・・・
  • 国家公務員・官僚として行政の上層に入っているわけではないブラック環境で働く地方公務員
  • そこそこ良い企業だけれど構造的に上に上がれない会社の末端
  • 有名大学を出たわけではないし、めちゃめちゃ勉強できたわけではないけれど、大学4年でやったことがそこそこ評価されて今がある人
  • 日本の政治、行政、医療、教育に対して不満は無いけれど、満足もしておらず、どちらかというと不利になっている人
  • しがないベンチャーで働く・・・・

みたいな中途半端なゾーンの人たちである。

このゾーンの人たちには、永久に悩みが襲い続ける。

ポジションにエッジが立っておらず、当人としては「普通を追い求めたつもり」であって、しかも「普通だ」という自負がそこそこあり、そこまで落ちているという感覚も無いから、幸福も無いけれど不幸も無いという絶妙なゾーンであり、しかも自分が「普通の幸せ」と思っていたことになかなか手が届かず、仕事自体も好き好んで選んだわけでは無いので、理想と現実の間で苦しみながら、やりがいや生きがいを感じられず、「俺って何やってるんだろう・・・・」となっている状態の人が一番、悩みが深い。

そして、こういうのに限って、書店で、中途半端に恐怖心を煽る書籍を目にして、お金を使わずに、一生懸命資産運用とかやっているから、ますます、日々の活力を感じられないわけである。

  • 貯金もしなきゃ!
  • 資産運用しなきゃ!
  • 結婚しなきゃ!
  • 恋愛しなきゃ!

というわけである。

実際は、もう勝ち負けが決まっていて、自分は負けているという自覚を持つことから最適な打ち手が決まってくるはずなのに、そこそこうまくいってると思ってしまうからそこから動けなくなる。

そして、こういうゾーンの人が、最近は、どんどん老後破綻とかに陥っているというから笑えない。

 

日本という国に対して、民衆を一致団結させて、コミットメントさせる動きがあちこちに張り巡らされてる。

誰だって自国は好きだ。

しかし、例えば仮に日本が「株式会社日本」という皇族の私有地だったとしたら、政治の中枢の人間の支配下にあるとしたら。どうだろうか。こうやって考えてみたとき、歴史に存在する理不尽なストーリーに合点が行く。というのは、社会というのはどうしても、「社会構成員のみんなのための・・・」で成り立っているというよりは、そういう風に見せかけて「実質的な所有者・支配者のための・・・・」で成り立っていることが多く見受けられる。

例えば、日本人は、日本のことを嫌っている諸外国の国民が、日本と戦争を仕向けるような運動を行なっているのを見て、まず、どう思うだろうか?嫌悪感を抱き、危機感を抱き、「日本人」として一致団結して、敵をやっつけようと思うはずである。

しかし、例えば外国で、日本に対して敵対運動を画策している連中は、日本が嫌いというよりも、日本との戦争を仕掛けることによって、自国の内部体制を破壊したいと思っている勢力がいるはずなのだ。

例えば、北朝鮮などに、日本に対して攻撃意識をむき出しにする軍事派閥があるとしたら、彼らは日本に対して敵意があるというよりも、その国家闘争のどさくさに紛れて自国の現体制を破壊したいと思っていたりする。

会社も同じである。

最近はカルロスゴーンの件が問題になっているが、「日産」という会社がまとまっているというよりは、内部分裂、内部闘争が起こっている状態だ。

会社の危機、というと、構成員がみんな悲しんでいるわけでは無い。喜ぶ層もいる。

会社のことが嫌いなサラリーマンは、台風や地震が来ると、「会社が休みになれば良いのに」とか「オフィスが壊れてしまえば良いのに」と思ったりする。ブラック企業で働いていて、抜け出せない人は、会社が倒産したらやばいというよりも、一瞬、安堵感が得られるだろう。きっかけが得られるからだ。

現行の日本社会は、現体制下を維持したい人たちが張り巡らせたシステムによって成立されている。「民主主義」「民主制」「受験競争」「憲法」なるものは、ある程度、民衆を納得させるためのカバーストーリーのようなものである。

 

独身男性の諸君、、、君たちはどうせ、不適合だろう?

結婚、結婚、と言うが、無駄に親戚が増える営みだ。つまり、介護問題が二乗されるようなものだ。子供ができればPTA活動や学校行事がらみの問題もある。男ですら、稼ぐ能力に乏しい人が溢れてるのに、女となれば尚更である。今後時代情勢も厳しくなる。別に才能も能力も無い、実家に財産があるわけでも無い女と結ばれて、これだけ家事テクノロジーや、外食産業、風俗産業が発展して、あちこちで既婚者が不倫したり、離婚率33%以上、既婚者の多くが仮面、、、、という状況で、パッとしないスペックの男が結婚すれば、まあ、地獄を見やすいとは言えるだろう。

悩んでる人たち。

本来、悩む余地は無いのではないだろうか?どうせ不適格だろう?どうせ向いてないだろう。そして、それが普通なのだ。

ヒトラーの言にある通り、普通というのは、繁殖に値しない。優秀こそが繁殖に値する。だから、普通の幸せとして世の中に提示されているものは、本来普通ではないのである。

経済的成功や趣味の充実などは誰にでもリーチできるとしても、家系的な繁殖繁栄というのは、実は生まれたときからある程度決まっている。結婚式などにも参加すればそれがよくわかるはずである。両家のプライド、メンツ、体裁、見栄、いろんなものが絡んでいる世界だ。そして、生まれた頃から、繁殖ゲームにはある程度、勝敗がついている。カエルの子はカエルである。大人になってお金持ちになっても、幼少の頃を経済的に豊かに過ごす思い出は一生手に入らない。お金で親は買えない。どうしても、世の中には抗えないものがある。

国家の騰勢や、国際情勢、国策によって、そこに住む人間たちは翻弄される。

本来、男女ともに、繁殖には不適格な人間だらけであり、これが普通である。国家は国の家と書くから、国家が傾けばやはり全体は傾く。小泉竹中路線以降、非正規が増えて既婚率も下がったはずである。

そこを、強引に突っ切れば突っ切るほど、「しんどい未来」が待っている。問題は、そこに対する意識が弱まったことだ。昔はそれが出来て当たり前だったし、それに対する誇りや意地があったし、未来にかすかな希望が持てた。

ところが、今は、生きることや普通の暮らしがイージーだと勘違いしている輩が多いから、ノリで突っ込んで、「趣味が無くなったー好きなことできなくなったーやらなければよかったー」などと考えてしまう。そして、暇つぶしにスマホをひらけば、そこには誘惑がたくさん待ち受けているというわけだ。

一口に結婚と言っても、経済力がどれだけあるかで、事がどれだけスムーズに進むかは全然違う。家庭の事情も全然異なってくる。たとえば西園寺の場合は24時間自由に都合がつくし、どこに住んでも暮らしてもいいし、欲しいものは買えばいいし、みたいな感じだけれど、こんな人間がする結婚とそうじゃない人間がする結婚もまた違うだろう。

 

普通の幸せを追って苦しんでないか?

私が言いたいメッセージはこれに尽きる。

不適格なくせに、普通の幸せを追って苦しんでいないか?

もう、どうせ、勝負するしかない人生なのでは?

中途半端なゾーンで立ちすくんでいないか?今後、この中途半端な立ち位置の人間の淘汰が進むだろう。そんな中、微妙に貯金して、微妙に普通の暮らしをして、微妙に普通の幸せを追いかけたりして、、、、。そうしたら苦しむのは当たり前だ。

結果論的に、全ての幸せが手に入る希望は捨ててはいけない。

しかし、どのみち、普通の幸せが得られそうな既定路線から外れたのなら、勝負しないといけないのでは無いだろうか?

最後に、ユーチューブで見つけた、面白いコメントを紹介する。

パパ好き。大好き。酒飲まないしタバコ吸わないし優しいし背184cmもあって顔もイケメンだし中小企業だけど良い役職ついて稼いでるし私が小さい頃少ない休みを削って遊んでくれた。現在19歳女子からのパパ自慢コメントでした。

いかがだろう?

見栄、ステータス、競争、これは生まれてから死ぬまで続く。子供すら、親を社会的尺度で判断していくようになる。

世の中には、独身はいけないことだ!という風潮がまだ残ってると感じさせられることがあるが、この30年ぐらいで既婚率も、初婚年齢も劇的に変わっている。クレヨンしんちゃんの野原ひろしの家庭が、パッとしないものとして描かれていたはずなのにいつの間にか理想になってる、なんてのはネット界隈でよく言われているものだ。

昔は誰でもできた普通が遠くなり、年寄りのツケを負担しないといけない宿命が今日の若者に課せられた十字架であり、出自が厳しいと二重苦である。

普通の幸せを追うなと言ってるわけではなくて、普通の幸せの語感に騙されて舐めてかかってないか?あるいはそれに届かないことやそれを追わないことを悪だと思っていないか?ということである。

結婚は、適齢期になるとある種の競争のように扱われているが、本来は結婚自体が競争なのではなくてその前提にあるものが競争の対象であり、結婚はその副産物に過ぎない。簡単に言うと、向いてない、適性が無い人間がやれば後世にしわ寄せがやってくるということだ。

ドヤ顔無能親のツケは子供が払わされることになる。

日本は同一民族国家に見えて移民大国なのが真実だ。これはデータで明らかである。日本は豊かな国に思えるが、年収中央値に届かない相対的貧困率は15%と、弱肉強食イメージがあるアメリカと同等である。社会保障が手厚いヨーロッパの数倍は貧困世帯がいる。夫婦の3割は離婚し、多くの既婚者は仮面夫婦で、不倫の嵐だ。

そして、階級格差が激しい。固定化されている、

国民が思ってる以上に情報も統制されている。

情報収集もしておらず英語もできない大抵の日本人にはわからないだろう。

 

ちなみに、私はよく、全てが整ってると言われる。

今となっては。

 

しかし、ある段階で、

『うわ、俺はもしかしたら普通の幸せには縁遠いかもしれない、いろんな意味で』

と悟り、思いっきり逆張りをする覚悟を決め、そして今日に至る。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。