東京の大卒の平均年収は700万円超えています。
『男性の平均年収』とかで、くくって見てると勘違いしますよ。東京の人は、他府県を『論外』『アウトオブ眼中』と思っています。
そして、東京には1000万人、関東には4300万人の人口が集中し、メディアも集まっていることを考慮しましょう。
この国の集中傾斜の構造を理解するべきです。
東京の大卒なので、男女混合です。
妊娠出産組や、専業主婦などがいることも考えると、
『東京、男性、大卒』
だと年収800万円超えは平均的な数字だとわかります。
1000万円はちょっと良いぐらいです。
そして、地方に住んでいて『年収1000万円を馬鹿にする』のはやめましょう。大阪、神奈川、名古屋、福岡なんかと東京は事情が違います。
同じ1000万円でも意味が違います。
東京では狭い電車の中でパソコンいじってる連中がゴロゴロいます。駅の構内で移動中にもパソコン片手です。そして電話してるのです。
こんなのは他の都道府県にはいません。
東京では800が平均というのは、要するに、
東京における年収1000万円と地方における年収1000万円は偏差値が違う
ということです。
偏差値は重要です。
偏差値は暮らしに直結します。
年収よりも、偏差値です。
例えば梅田のど真ん中で暮らすのと、枚方で暮らすのとは話が違います。札幌で暮らすのと網走で暮らすのは話が違います。全般的にシティと思われる神奈川も、川崎と横浜じゃ違います。
日本全国、どこにも栄えてるエリアがあり、中心地に住めばシティなライフスタイルが楽しめるのです。どこだってそうです。
そして、そこでは、その地方の上位戦および、他のエリアから流れてきた人間の混戦もあるわけです。こうやって考えると、どこにいても偏差値が重要なのです。
現に、宮古島なんかは、六本木ばりの不動産人気みたいな現象が起き、一部エリアは地元民が手を出せなくなっているのです。流れ着く現象が起こっています。
どこのエリアに住んでても、シティなライフスタイルや、上流ライフスタイルを送ってる人はいます。重要なのは偏差値です。
兵庫県民が神戸の場合はわざわざ神戸を強調したり、北海道民がわざわざ札幌を強調したり、神奈川県民がわざわざ横浜を強調したりするのには訳があります。
そして、偏差値で、街のビジネスのマーケティングモデルが変わります。
税収すら変わります。
例えば、横浜や神戸は税や社会保障関係の徴収が多いのです。
偏差値の高いエリアだと、物価も何もかも高くなるのは当然のことなのです。
東京で年収1000万円はカツカツはリアルです。
リアルの話です。
私からしたら地方で年収1000万円も一人暮らしでカツカツだと思いますけど。
私は偏差値で考えるというのを意識しています。
偏差値で考えるためには、
『自分の内実を磨く』
ということになります。これで突出していかないとバカを見ます。
自己投資をガンガンするのも、基本的にはメディアバイアスをかけるためです。『メディアを信じるな!』という声はありますが、メディアはほとんど東京にあって、メディアに乗せられても余裕綽々ぐらいの水準に持っていくのは、全然意味があります。
東京カレンダーを見て、コンプレックスが湧いて投げ捨てるのと、単純に興味がないので投げ捨てるのでは話が違います。
稼ぐことに意味があるかどうか云々ではなく、
偏差値を上げていかないといけない。
ビジネス偏差値を上げるわけです。
そうじゃないと結局、『有限資源を配分する』という経済学的なテーマの中で、不人気物件ばかりつかまされる結果となります。辛いポジションに追いやられる、押しやられるわけです。どんどん自由が無くなり、立場も苦しくなります。
そこに自由がある訳がないのです。
自由というのは強いということです。めちゃくちゃ強いということです。強さと自由度はセットです。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。