人生の代表的な悩みを数学的に解決する

最初に言っておきますが、私は数学が大嫌いです。

高校時代の成績はほぼオール1(というかほぼ授業出てない、働きまくってた)、実質高卒程度の学力しかなく、その高校レベルの内容すらボロボロで高校の卒業が危うかったレベルです。

高校卒業後に、「経済的自由が欲しい」というなんともワガママな動機から、自分の目的達成に役立ちそうな学問的視点・フレームを得るために独学で乱読し(バカな人間特有の根拠の無い自信と傲慢さに満ちた若者であったのは間違い無いのですが、先人と歴史の結晶の方が自分より頭が良いだろう、という謙虚さはあったみたいです)、一転して勉強漬けの日々に転じました。とはいえ、大学受験とか資格試験に向けた勉強努力はしてませんでしたし、私の知能や勉強量を証明する各種のタイトルは全く持って持ち合わせていません。

(世の中には「Fラン」という言葉があるようですが、そのFランですら私より格上です。というか、いまいち日本のアカデミックなヒエラルキーすらよくわからず、有名大学の名前、有名高校の名前すらよくわかりません)

 

小学校1年生時点で、「1+1=2」である理由がわからず挫折しました。

ただし、「算数」は日常生活能力に直結し、覚えるメリットが見えたのでちゃんとやりました。というか授業を聞いているだけでパーフェクトに理解できました。学業成績というかテストの類はほぼ100点で終え、6年間を修了しました。

が、中学に入って算数が「数学」に進化してからは、落ちこぼれ特有の、

「こんなん勉強して何の役に立つの?」

という発想から学業を放棄し始めました。特に、数学に関しては一番その思いを向けていました。

 

しかし、高校を卒業して、世の中について、仕事について、社会について、そして世の中で役に立ちそうな知について、うっすらと輪郭が理解できるようになっていく中で、大嫌いかつ実益が見えなかった「数学様」の偉大さに薄々気づくようになります。

これはいわば、激しい反抗期を終えた子供が、あとあと、親の偉大さについて理解が深まっていくような感覚に近いものでした。

 

ビジネス書界隈でも、「教養」という言葉が取り沙汰されるようになって久しいですが、先が見えない時代、先が見えない状況ほど、教養力というのは試されます。教養の有無が、ボディブローのようにじわじわと効いてきて、その人の「生きる力」に結びついてくるわけですね。

その代表格は「数学力」でしょう。ただし、過去問を解きまくって解法パターンを理解するとか、暗記するとか、そういうことの積み重ねで習得した数学力は、時間の経過につれて悲しいほどに朽ち果ててしまいます。実際、学生時代に勉強した内容を覚えている大人は少ないのではないでしょうか。

 

大人になると、無数の悩みが出てきます。

私も、腐る程悩んできました。

しかし、今の所、人生をうまくサバイブできていると感じます。そして、大嫌いだった数学の世界から拝借した思考法、フレームワーク、視点は、意外と自分の人生で役立つことが多いなぁ、、、、と感じる日々です。

かといって、「人生やり直したい」とか「学生時代の自分を叱ってやりたい」とは思いません。物事はトレードオフです。私は、学校の勉強を放棄する代わりに、座学というスタイルとは別の形で「勉強」をたくさんしました。

それが今の人生を作っていると切実に感じるので、人生をやり直したとしてもまた、学校の勉強を放棄すると思います。人生2周目をプレーするとしたとしても、数学をまた同じように敬遠することでしょう。

 

前置きが長くなりました。

自己啓発やビジネス書の類を「怪しい」といぶかしむ人は多いでしょうが、これまでに「数々の実績」を打ち立ててきた数学様のフレームワークに沿って、個人レベルの人生の悩み、問題について考えてみる、というのは割と、スッと心に入ってくると思いませんか。

ちょっと、つらつらと語ってみたいと思います。

 

 

 

(1)自分のやりたいことがわからない、自分の得意・強み・適性がわからない、自分の天職がわからないという不安

18歳〜22歳時期、そして20代の全期間で多くの人が悩むのが、

  • 自分のやりたいことがわからない
  • 自分の得意がわからない
  • 自分の強みがわからない
  • 自分の適性がわからない

というような不安ではないでしょうか。

早い人だと、高校生年代ぐらいから激しく悩むテーマだと思います。では、この代表的な悩みについて、数学的な発想法でアプローチをしてみましょう。安心してください、数学嫌いの私ですから、当然、難しい数式を出してあれこれ語るようなことはしません。

 

中学に入り、数学が「算数とは違うんだなぁ・・・」と見せつけられる場面が、文字を使った計算ではないでしょうか。

あれは、代数学と呼ばれる領域ですね。XとかYとか使うやつです。

 

連立方程式とか、覚えてますか。Xというわからないものの正体を、二つの式の計算を通して、消去法的にというか周辺をジワリジワリと潰していくような形で、「Xの値を求める」という作業を、義務教育の中でやったはずです。

ここからわかること。学べること。

それは、

  • わからないことはわからないのだから、ダイレクトに解かない
  • わからないことは、とりあえず、「X」と仮定してみる

というような発想法です。

どうも人は、自分のやりたいことや天職・適性の類がわからないと、ソワソワして、焦ってしまいがちです。不安になりがちです。でも、考えてもわからないことはあります。

だからこそ、例えばですが、

  • やりたいことがわからないのなら、「やりたくないこと」から炙り出してみる
  • 得意や適性がわからないのなら、「不得意」「適性がないこと」から炙り出してみる
  • 自分のやりたいことや得意そうな方向性をざっくりと仮定して、その周辺をじわじわと攻める、いじくることで「解」を探っていく

というような発想法が大切になってくると思います。

 

また、やりたいことに関して言えば、

  • 海外に行きたい
  • 大学院に行きたい
  • 結婚したい
  • 可愛い彼女が欲しい
  • お金持ちになりたい
  • 自由な時間が欲しい
  • あちこちを旅したい
  • 洋服を買いまくりたい

・・・・・・・・etc

というように、「足し算式」で発想してしまうと、おそらく、無限なまでにリストが積み上がってしまうでしょう。その結果、逆に、「自分が本当に何がやりたいのかわからない」「自分が本当は何を求めているのか、何で満足するのかがわからない」というような状態に至ってしまいがちです。また、人間の望むことには「重さ」の違いがあります。重要度の違いがあります。ですから、あまり羅列的に記述すると、それらのプライオリティや重み付けを踏まえないまま、瑣末なことにエネルギーを向けてしまって、その結果、いろいろやったけど全然幸せじゃないという状態にも陥りやすいと言えます。

大学生時期に、散々やりたいこと探しの一環として、

  • サークル
  • ゼミ
  • 海外旅行
  • 習い事
  • セミナー参加
  • 読書

などをやりまくったのに、一向にして何も見つからないという人、大人になって、必死こいてリア充を演じ、インスタグラムを華やかにしているのに不幸そうな人とかたくさんいます。

瑣末なやりたいことに追われすぎるのは、結果的に、「やりたいこと疲れ」や「プライオリティがよくわからなくなる」という事態に陥りやすいです。何かをやると、その先で多様な展開や誘惑があるものですからね。

 

本当に求めているもの、本当に欲しているもの、そういうものを特定するためには、自分の中にあるうっすらとした気持ちについて、「和よりも積を考える」という視点で切り込んだ方が良いのかもしれません。

和と積は情報量が違います。そして、情報量は「捉えやすさ」に直結します。わかりやすいのは明らかに「積」の方です。なぜならば、積というのは和の延長線上にあるものだからです(かけ算は足し算の集合体ですから)。

分解は積の形でやるのが基本です。

 

自分の中にある願望の数々について、素因数分解してしまえば良いのです。自分の中にある願望の数々の中から最大公約数を取り、素因数分解してしまえば良いのです。

自分の中にあるグチュグチュっとした式を因数分解してしまえば良いのです。

また、3つ以上の要素からなるかけ算は、1つでも低い数値があると、それがボトルネックとなって最終的に導出される数値が小さくなることを覚えておいてください。積の形でコンパクトにまとめてしまった後は、「全体最適」についても意識を向ける必要があります。

 

宇宙という極めて謎な対象について、物理学者たちがやっていることは「素粒子」という最小構成単位を探ることからスタートしています。自分のハートという宇宙について探りたい時も、「素」の部分を探っていけば良いのです。

 

また、「一体何がやりたいのかがサッパリ浮かばない」という人、「自分が得意なことがサッパリわからない(やりたいことはずらずらと出るけれど、得意なことはサッパリわからないという人は多いでしょう)」という人は、まずは情報量を増やすことから考えてみましょう。

 

とあるピラミッドの高さを測りたいけれど実際は無理、という際に、ピラミッドを観測している位置とピラミッドの頂点を直線に結び、ピラミッド頂点から垂直に下ろした垂直線を想定することで直角三角形を頭の中で描くことができますが、

  1. 観測位置からピラミッド頂点を結ぶ直線(斜辺)の地面からの角度
  2. 観測位置と、ピラミッドの頂点から地面に垂直線を降ろした地面との直角交点部分までの距離

がわかれば、ピラミッドの高さは推定することができますよね。

いわゆる三角測量(幾何学、要するに図形)ですね。三角形の1辺と二角がわかっていると、残りの1点の位置が確定できるというやつです。

学生時代、図形の問題を解いた時のことを思い出してください。あれは結局のところ、相似とか、図形の性質とかそういうのを前提にして、図形に線を引いたりあれこれして「情報量を増やす」ことによって、問題を解こうとしていたはずです。

 

自分の人生の中で、「得意だったこと」「好きだったこと」の1つや2つくらいあるでしょう。それらを拡大してみたり、あるいは別のディメンションに置き換える、図示するという思考作業を通して、何かが見つかるかもしれません。

 

特に、私の経験上言えるのは、やりたいこと、得意なことを、

  • 点で捉えるのか (定点的、静的)
  • 線で捉えるのか (方向性を持つ)
  • 面で捉えるのか (面積を持つ)
  • 立方体、3次元的で捉えるのか (奥行きを持つ=動きが必要)

によって話はだいぶ変わるということです。

思考の癖というのは人それぞれですが、「2次元 ←→ 3次元」は明らかに性質が違います。ここの次元の間にある、言ってみればキャズム(溝)に気づかずに、自分のやりたいことや得意なことがわからない人は結構います。

自分の好き・得意は3次元領域にあるのに、「好きなこと・得意なことは何ですか?」と問われたり、自分で自分について考えようとすると2次元的な捉え方から抜け出せない人が結構いるのです。

例えば、

  • 変化するのが好き
  • 進化するのが好き
  • 適応能力や柔軟性がある
  • 流れや先行きを飲む能力がある

というのは、明らかに「奥行き」があるような「動的」な領域ですが、「自分が好きなこと、得意なことは何か?」と改めて自問した際、他人に問われた際は、不本意ながら自然と、静的・定点的な発想、1次元・2次元的な発想にとどまってしまったが故にわからないことというのがあったりするのです。

特に、会社経営や起業、政治など、目先の作業をはるかに超越した高い抽象次元とスケール感あるフィールドでの思考に加え、奥行きのある時間感覚が「日常的に」求められるような職業領域は、その職業領域に就く人間が少ないということと社会がそのような人材を育てることをあまり想定していないのもあって、従来のキャリアアドバイスや学校の先生との面談の中では適性・嗜好性は全く見えてこないことが多いので要注意です。

私は、変化とか進化とかに明らかに趣向・適性があるのですが、これは一定程度の時間軸を前提としたものであり、3次元的な領域に属すると考えられます。私は、ここに気づかず、2次元の視点にとらわれるばかりに自分の趣向・適性が長いこと見つけられなかった経験があります。

世の中には、「何かをするのが好き」とか「何かをするのが得意」というタイプではなくて、そういうものも踏まえた上での時間的な流れ・展開の中で何か面白さや強みを発揮するタイプがいるのです。

ストーリー人間と言えるでしょうか。

 

また、「解析学」的な手法を用いて、自分の好きなこと・得意なことを探す方法もあります。自分自身の過去の行動についてのビヘイビアデータを片っ端から集めてくるのです。定量的な情報、定性的な情報を片っ端から集めます。そして、それらデータを前ににらめっこして、そこから何かを発見するのです。いわば、自分自身に対してマーケティングリサーチ(統計的調査)をかけるわけです。

世の中では、消費者のビヘイビアデータをもとに、ビッグデータ解析をして需要予測をしているマーケターたちが腐るほどいるのです。アマゾン、グーグルなどはその代表例でしょう。需要予測やビッグデータ解析というのは、他人に対してだけではなくて、自分自身に対しても向けることができます。

自分をリサーチするのです。

人間は明らかに、「主観」「偏見」「家庭環境」「個性」の産物ですから、自分の過去データを集めれば必ず、統計的に有意な傾向が見えてくるはずです。それは必ず、何かしらのヒントとなることでしょう。

実家に帰って、小学校の文集を集めたり、中学時代の同級生にインタビューしたり、両親や親戚にインタビューしたりして、自分自身についてのデータを集めまくると良いでしょう。特に、小学校低学年段階までに無意識にやっていたようなことは、あまり社会や大人の影響を受けず、金銭的なモチベーションや外発的動機に突き動かされずに行った、非常に価値あるビヘイビアデータが詰まっているはずです。

 

 

 

(2)自分のことを理解して愛してくれる異性と出会えない、異性に絶望したという悩み

なぜかわかりませんが、

「異性に絶望して・・・・」

みたいな悩みを、女性から受けることがやたら多いです。

そういう時にいつも言っているのですが、「異性に絶望するのにはサンプル数が足りなさすぎます」ということです。これは、男性もよーく頭にいれておくと良いと思います。

 

こういう問題は、統計的な発想(解析学的な発想)によって、新たな視点を得ることができる格好の領域です。

15歳から、35歳まで、毎年パートナーを変えると何人と付き合えるでしょうか。20人ですね。また、それと並行して、浮気をしまくっていたとしても、意味ある異性経験の限界はトータルで50人ぐらいじゃないでしょうか?

 

日本人の現在の人口は1億2000万弱ぐらいだったとします。面倒臭いので1億1000万人いるとしましょう。

人口ピラミッドのデータによると、15歳〜35歳までの人口の割合は10%ぐらいです。なので、1100万人ぐらいが「恋愛対象年齢ゾーン」とします。

20代後半の場合、男性の未婚割合は7割程度、女性の場合は6割程度です。恋愛対象ゾーンの未婚率を平準化して、ざっくりと4割ぐらいが未婚だとしましょう。すると、おおよそ、

440万人

が未婚者で恋愛対象年齢ゾーンにいる人口です。

 

日本の人口分布の割合は、

  • 関東 → 約30%
  • 近畿 → 約18%
  • 中部 → 約18%
  • 九州 → 約10%
  • その他

なので、

440万人をこれで割り振ると、

  • 関東 → 132万人
  • 近畿 → 79万2000人
  • 中部 → 79万2000人
  • 九州 → 44万人
  • その他 (その他の各ブロックの中で、最もパーセンテージが低い北海道地方で4%ぐらい)

という感じになります。

 

(改めて見ると、関東への人口の偏りがすごいですね・・・・。)

 

20年程度、同じ場所(都道府県)に住み続けていて、その間50人の異性経験を持ったとしても、深く異性を知れるのは、

  • 関東 → 50人/132万人
  • 近畿 → 50人/79万2000人
  • 中部 → 50人/79万2000人
  • 九州 → 50人/44万人

ということです。

 

日本タバコ産業が、専売公社の時代から、新商品販売の際に先行販売する県は、

  • 東日本 → 静岡
  • 西日本 → 広島

だそうです。理由は、静岡が「東日本の中で平均的な県」、広島が「西日本の中で平均的な県」だから、だそうです。

ということで、静岡と広島のデータを用いてみましょう。

静岡の全国人口に対する所有人口割合が2.92%、広島が2.23%なので(余談ですが、最も多いのは東京の10.54%です。日本人の1割以上は東京に集中している計算になります。)

440万人に対してかけると・・・・(面倒臭いので静岡を3%、広島を2%とします)

 

  • 静岡(東日本代表) → 約13万2000人
  • 広島(西日本代表) → 約8万8000人

・・・・なので、東日本の県にはだいたい、13万2000人のターゲットが、西日本の県には8万8000人のターゲットがいることになります。

 

繰り返しますが、一人の人間の有意な異性経験人数としての限界が50とすると、

  • 東日本のとある県 → 50 / 13万2000人
  • 西日本のとある県 → 50 /  8万8000人

(※20年同じ県に住み続けた場合)

です。

 

分母をもう少し調整してみます。

 

多くの方は、学生時代、クラスに一人ぐらいは気になる子がいたのではないでしょうか。中学校3年間を通して、あるいは高校3年間を通して、クラスメートの中で一人ぐらいは

「好きになれるかな・・・・」

「まぁ、タイプかな・・・・」

「まぁエッチしてみたいな・・・・」

「デートしてもいいかな・・・・」

「向こうからグイグイ来られたらデートしてあげてもいいかな・・・・」

って思えた子はいたでしょう?

だいたい、学生時代の1クラスが40人だとして、3年間のうちに3クラス、つまり120人とクラスメートになる経験があったと考えれば、そして、「3年間のうちに一人ぐらいは、まぁ、異性として見れなくもないかな」って人がいるような確率があると仮定すると、

1/120

ぐらいが、「ある程度、対象を観察したり理解したり、時空間を共にした上で、異性として好意を持てる相手として意識可能になる相手の確率(自分の嗜好・選好についての確率)」と想定しても良いでしょう。

 

街中で、無作為に若者を120人集めてきて、その中で一人ぐらいは、

  • 彼氏彼女にしてもいいかなと思えそうな候補相手
  • 友達以上の関係にしてもいいかなと思えそうな候補相手

がいるよね・・・・・・・って言われたら、まぁ、感覚的に「そんなもんかな」と納得できる数字ではないでしょうか。

 

分母の中に、「そもそも好みの対象では全くない」という層をいれていても仕方ないので、今の「1/120」の数値を用いて分母を調整すると、

  • 東日本のとある県 → 50 / 1100人 (約4.5%)
  • 西日本のとある県 → 50 /  730人 (約6.8%)

ということになります。

(言うまでもないですが、関東、関西地区の場合は分母が増えるのでグッとパーセンテージが下がります。)

 

つまり、20年間、ひたすら同じ地域に住み続けて、その20年の間で50人の異性と有意な異性関係を持ったとしても、

自分が好意を持てるようなタイプの相手の総数のうち、4〜7%程度の人しか知っていない

ということになる、ということです。

もちろん、恋愛というか異性関係はマッチングなので、自分が良いと思っても相手がOKをして受け入れてくれなければ意味がありません。とはいえ、ここでは「異性に絶望するかしないか」という話なので、そこらへんは省くとします。

 

統計学的に言えば、母集団が1000の場合、280くらいのサンプル数があると有意なデータが取れる、母集団が100の場合、80くらいのサンプル数があると有意なデータが取れると言われています。

 

・・・・・・さて、ここで話は少し変わるのですが、「マッチング」という意味で恋愛と少し似ているものに

  • 就活
  • 転職

があります。

日本人の生涯転職回数は数回程度でしょう。

アメリカの場合、平均して4年で転職、厚切りジェイソンによると2年で転職するのが普通だそうです。人が生涯で働く期間を40年とすると、アメリカ人は10〜20の職場を生涯で体験するようですね。

 

恋愛や異性関係で絶望している人も、サラリーマン生活に絶望している人も、「自分自身の経験則」と、友人知人から聞く情報などを総合して、自分なりに傾向を見出し、一喜一憂しているのだと思われます。

とはいえ、異性関係や仕事というのは、極めて「相性の問題」が大きい分野です。マッチングの問題です。

 

「自分に合った〜」という頭文字で語られる各種の人生の悩みについては、やはり、場数を踏まないと何も見えて来ない、わかって来ないというのはあると思います。実際、私が見ている限りでも、

  • 自分に合った仕事をしている人 → バイト、インターンを通して、擬似的に働く場所や働く環境を転々と変え、その経験の中から自分の適性を見出している
  • 幸せな恋愛関係、結婚関係にある人 → 若いうちに遊びまくっている

というタイプが多いような気がします。

恋愛も仕事も、「1つの相手」「1つの職場」しか知らないのであれば、他に比較対象が無いのでそれを当たり前と思うことができます。なので、それはそれで幸福感を感じやすいと言えるでしょう。

一番幸福感を感じにくいパターンは、「2〜3」程度の経験しかない中途半端なパターンではないでしょうか。

1つの対象に熱を入れ込む純潔さも、多数の経験を通して見つけ出した納得解も無いというような感じです。

 

それと、要注意が必要なのは、人間関係にしろ仕事にしろ、自分の中に何か問題をおびき寄せる要因を持っている人は、環境や相手を変えても、同じような問題と繰り返しぶつかり続ける可能性も高いということです。

ダメンズばかり引っ掛けてしまうとか、同じ失敗ばかりしてしまうとか、ブラック企業でしか働けないとか、そういう人はそもそも、不本意ながらも、無意識的にとある傾向を選好している可能性が高いです。

統計学の基本は「ランダム」なので、自分が何かの傾向をおびき寄せるタネを持っている場合は、上記でズラズラとしてきた統計的な話がパーになります。

 

 

 

(3)お金が無い、お金が稼げないという悩み

さぁ、いよいよやって参りました。

多くの人にとって、「これぞ、我が悩みだ!!」という筆頭が、これでは無いでしょうか。お金が無い、お金が稼げない、所得が低いというお悩みです。

 

多くの人が憧れとする「年収1000万円以上」。これは、給与所得者のうち、男性の場合は7%弱の人が該当しています(民間給与実態統計調査)。

以下は、DODAが発表した出身大学別平均年収です。

1 東京大学 729万円
2 一橋大学 700万円
3 京都大学 677万円
4 慶應義塾大学 632万円
5 東北大学 623万円
6 名古屋大学 600万円
7 大阪大学 599万円
8 神戸大学 590万円
9 北海道大学 590万円
10 横浜国立大学 573万円
11 早稲田大学 572万円
12 九州大学 569万円
13 東京理科大学 563万円
14 上智大学 555万円
15 横浜市立大学 550万円
16 大阪府立大学 546万円
17 中央大学 531万円
18 埼玉大学 530万円
19 筑波大学 527万円
20 明治大学 524万円
20 千葉大学 524万円
22 同志社大学 522万円
23 関西学院大学 513万円
23 大阪市立大学 513万円
25 首都大学東京 512万円
26 金沢大学 511万円
27 青山学院大学 510万円
28 広島大学 506万円
29 成蹊大学 504万円
29 長崎大学 504万円
29 立教大学 504万円
32 学習院大学 503万円
32 山梨大学 503万円
32 山形大学 503万円
35 国際基督教大学 502万円
36 熊本大学 500万円
37 信州大学 492万円
38 長野大学 489万円
39 佐賀大学 488万円
40 岡山大学 484万円
41 宇都宮大学 483万円
41 新潟大学 483万円
43 法政大学 482万円
44 徳島大学 480万円
45 東海大学 479万円
46 香川大学 478万円
47 滋賀大学 476万円
47 京都産業大学 476万円
49 大分大学 469万円
49 福井大学 469万円
49 日本大学 469万円
52 成城大学 468万円
52 名古屋市立大学 468万円
54 甲南大学 467万円
54 関西大学 467万円
56 立命館大学 466万円
57 秋田大学 465万円
58 東京経済大学 463万円
58 富山県立大学 463万円
60 東邦大学 461万円
60 西南学院大学 461万円
60 明治学院大学 461万円
63 山口大学 460万円
63 徳山大学 460万円
65 武蔵大学 459万円
65 鹿児島大学 459万円
67 獨協大学 458万円
67 南山大学 458万円
69 函館大学 456万円
69 駒澤大学 456万円
69 愛媛大学 456万円
69 旭川大学 456万円
73 下関市立大学 455万円
74 名城大学 454万円
74 静岡大学 454万円
76 岐阜大学 453万円
77 専修大学 452万円
78 神奈川大学 451万円
79 東北学院大学 449万円
80 岩手大学 448万円
81 福岡大学 447万円
82 近畿大学 446万円
83 茨城大学 445万円
83 國學院大學 445万円
83 愛知大学 445万円
86 宮崎大学 442万円
87 和歌山大学 441万円
88 北海学園北見大学 439万円
88 弘前大学 439万円
90 日本文理大学 437万円
90 京都府立大学 437万円
90 創価大学 437万円
93 拓殖大学 435万円
93 順天堂大学 435万円
93 城西大学 435万円
93 明星大学 435万円
97 福山大学 434万円
97 三重大学 434万円
99 亜細亜大学 433万円
100 神戸学院大学 432万円

 

まぁ〜、額面だけ見てても仕方ないのですが(例えば給料が高いけど激務、休みがないなどの問題、また勤務地や在住地の違いによる生活コストの違いの問題など)、いい大学を出れば年収が高くなるというのは本当のようです。まだまだ、良い大学を出れば高給仕事に就けたり、権力に近づけるというパラダイムは存在していることにはしているんだと思います。

ただし、年収の平均値というのは、稼いでいる層によってだいぶ上方に引っ張られますし、出身大学別なので全年齢が入っているということ(若い人からおっさんまで)に注意が必要です。

あと、上記したのは「民間給与」なので、その他の所得分類で収入を得ている人のデータは入っておりません。多分ですが、ニートとかフリーターとかも計算には入っていないと思います。

 

マイナビの職種別平均年収データも面白いので、どうぞ。

https://tenshoku.mynavi.jp/knowhow/income/ranking/01#ranking

こちらは業種別。

https://tenshoku.mynavi.jp/knowhow/income/ranking/02

 

「雇われる」という基準で考えれば、

  • IT
  • コンサル
  • 高難易度資格(弁護士、会計士)
  • 不動産営業
  • 営業管理職

というような領域が強いようですね。

また、

  • VC
  • ベンチャーキャピタル
  • 証券
  • 投資銀行
  • 保険
  • 外資系金融
  • 総合商社
  • 放送

などの業界はやはり、強いですね。

 

もう、ここら辺は今更語るまでもないのですが、平均年収が高い業界、有名な高給取り企業、高難易度な技能、資格、学歴を要求する職域・・・・そういった世界に行けば、それなりの稼ぎが得られるというのは周知の通りですね。

 

ただし、こういう話には注意点があって、

  • 年収のようなデータは中央値を見ないといけないと
  • 高年収業界はだいたい激務で、続けられない人も多い
  • 高年収というのは雇う側からすると高いコストなので、テクノロジーでだいたいできるようになるとすぐにクビを切られたりする(トレーダー職は最近、急速になくなっています)
  • UP or OUTの世界であることが多い
  • すでに社会に出た人たちの幅広い年代の平均をとっており、稼ぐ人の年収にだいぶ引っ張られている
  • これからの若い人にとっては参考にならないかもしれない
  • 業界平均的には低い年収の世界でも稼いでいる人はいる
  • 平均年収が高い業界・職能で平均以下のパフォーマンスしか出せない(適性がない)のであればその業界での競争に負けてしまい、意味がない

ということです。

また、「自分でビジネスをする」となると、全く持って話は別になってきますね。アパレル産業に従事する人の給料が低いからと言って、ユニクロの柳井社長のような人が年収が低いとは限りません。というか、めちゃくちゃお金持ちですね。

スポーツで例えるならば、読売巨人軍で3軍としてプレーするのと、マイナースポーツのトッププロとして活躍するのとではどっちが稼ぎが良いのか、という感じの話に似ていますね。あるいは、強豪チームの補欠(あるいはベンチ外)として生きるのと、弱小チームのレギュラーとして生きるのはどっちが良いのか、みたいな話でもあります。マンチェスターUでひたすらベンチを温めるのが良いのか?それともドルトムントでレギュラーとして活躍しまくる方が良いのか?みたいな感じ?

 

また、公務員の年収の「上下幅」と、お笑い芸人の年収の「上下幅」には大きな差がありますよね。成功すればめちゃめちゃ稼げるけれど、成功しなければ全く稼げないという世界がある一方、「そこに入ればある程度稼げてしまう」という世界だってあるわけです。

 

基本的には、

成績が悪ければ、能力がなければ、成功しなければクビになるような世界の働き方(フルコミッション、独立企業・開業、外資系)の場合は、下限と上限の幅が大きく、かつ失職しやすい

という「ハイリスク・ハイリターン」の法則が機能していると言えそうです。

 

仕事に就きさえすれば、なんとかそれなりの稼ぎが得られる世界は、

  • 給与の支給や、給与ゾーンがある程度安定するが、上限も知れている
  • とにかく仕事に就きさえばそれなりの高給・高待遇が約束される世界は入り口の部分で就活競争などがあり、ある意味リスクがある
  • 高難易度資格等にも、それなりのリスクがある

ということです。

また、サラリーマンとして出世をするとなると、それが大企業になればなるほど、成功確率は下がり、非常に困難を極めてきます。

 

こうやって観察していると、結局のところ、

何をやってもリスク・難易度の問題が違った形でどの分野にも存在しており、適性が無いという場合や、成功できないという場合には、意味がない

ということがわかります。

 

有名大学、有名企業、高難易度資格、高給職能・・・・これらは、

  • 現在、生き残っている人たちの数値しか浮かび上がらない(どの世界にも脱落者はごまんといる)
  • 将来的な持続性や可能性、また個々人の問題としてその仕事を続けられるかどうかの話はまた別問題
  • 地位を獲得すれば一定程度の待遇が約束される世界は、「安心プレミアム」に人が殺到し、受験競争などに巻き込まれるので結局別の形での問題が存在する(例えば、弁護士などはデータとしては高年収と出るが、司法試験浪人として20代における「恋愛」「仕事」「お金」などのすべての機会を失っている人も多数いる)

という問題があることを見逃してはなりません。

日弁連のデータによると、年収500万円未満の弁護士が18%程度いるようです。この調査結果はおそらく任意のアンケートである可能性もあるため、そういったアンケートの場合、低所得者は進んで年収を回答しないのではないでしょうか。なので、もっとひどい実態もあるでしょう。そもそも、試験には合格しているが登録はしていない、資格はあるが別のバイトをしているという層もいるでしょうし、そもそも、その資格を習得するために猛勉強を続けている大量の層がいて、その中のごく一部の人たちが合格者になっているという事実も見逃せません。

もちろん、相当稼いでいる層もいるようですが、その層の中にはテレビでお馴染みのタレント化したタイプ、ブランドが立ったタイプの著名人たち、組織を束ねてうまい仕組みを作った人たち、相当な腕利きのゴルゴ13タイプ、超有名プロファーム所属・・・・など、他の業界にも通ずるような格差事情が存在することは各種の定性データから読み取れます。また、その業界に所属している・その職能についている以上は、お客さんによって他のプレイヤーと比較されてしまうことも忘れてはならず、そこにつきまという競争の苦労があることも見逃せません。

やはり、どのような業界・職能に行くとしても、本質的な問題、根っこの部分はすべて共有されているように見えます。

 

数学的な発想法として、「部分から全体を考える」「対称性を見つける」というのは非常に重要な視点です。私が今やっているのは、まさにこの2つです。

また、仕事というものについて素因数分解的に分析してみても、私の洞察は大方当たっているということが言えそうな気はします。仕事における儲けの原理に迫って見ましょう。仕事の報酬は、当然、その反対側に支払者がいます。その支払者は、財やサービスを需要したわけです。仕事というのは、需要に対して供給をする営みのことを言います。

東京における飲食店競争がハードであることを見ても、過剰供給になると当然ながら経済的に成功をすることが難しくなってしまいます。報酬を規定しているのは、

  • 需要について、需要者のWTP(Willingness to pay)が上限値を設定し、下限値はその需要に応える供給活動のコスト構造が規定する
  • WTPの上下限範囲内で(価格)、有限の需要者(数)について供給者同士で奪い合っている

という構造だと思われます。

需要者に対して、満足する財やサービスを提供するに当たっても、競合者に対して優位に立つにしても、結局のところはその分野に適性や学習意欲、継続性がなければどう考えても稼ぐことは不可能でしょう。

やはり、自分に向いている・適性があるという仕事を選ぶことや、成功をするということが極めて重要だということが、仮説としては立てられると思います。結局、職業と自分のマッチング問題、自己分析の問題のように思えてきてなりません。人が仕事を選んでいると思いがちですが、職業も人を選んでいるのです。

 

金を儲けるための方法は、自己理解と職業経験(いくつか働き方や職を変える経験)によるところが大きい、と私は感じてしまいます。

逆に言えば、「その職業は自分に合っている!」と思うのであれば、「アドバンテージが取れる!」と思うのであれば、一般論として成功確率の数字が低く示されていたとしても勇気を持ってチャレンジするべきだと思います。

職業は極めて、個人的な特性に根付くマッチングの問題です。

「この仕事でこれだけ稼げるようになるのは●%の人だけです・・・・」という数字を見るとき、それが構造的な問題なのか、個々人の問題であり、かつ、シンプルに難しいだけなのかはよく考えるべきでしょう。

また、構造的制約について変化させやすいフィールドとそうじゃないフィールドもあります。そこらへんはよく考えるべきです。基本的に、どんな業界・仕事も、利害関係者の積み重なりや、既存の有力者の権力、業界のパワーバランスなどの力学が存在していて、そこに抗いやすい領域、そうじゃない領域があります。

既存のマスメディア上を主戦場とする芸能人などは、極めて構造的制約にしばられており、「運」の要素がかなり大きいと言わざるを得ません。あの世界の勝ち組たちは皆、「運」という言葉を頻繁に使います。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。