社会に出た時に学習能力を発揮する人は、「教えてもらうことはタダじゃない」とわかっている

社会に出て出世する人ってのは、「教えてもらうことはタダじゃない」って気づいています。自分がリスクテイクをして、犠牲を払い学ぶにしろ、誰かから教えを乞うにしろ、それはタダじゃないって気付いている。そして、率先して対価を払って学んでいく。 他方、学校教育の中で評価されてきた人、そこの基準から抜け出せない人は教えてもらうことはタダだと勘違いしています。親の金、国の金で高校まで卒業し、また親の金で大学に行き、その16年の人生の中で身につけた学びの作法が全てだと思っている。 だから、社会に出て通用しない。 おまけに、社会に出て通用しないってことは機会損失が生じるわけですから、もっと高くつくわけです。結果的に高くつく。無駄な時間とお金と労力を失う。 あぁ、後貯金教の信者ですね。 貯めればいいとか思っている人たち。 お金の本質を見誤り、道具として使いこなせず、ちょっとした節約のために自分の時間を削り続け (さらに…)

日本人、自分で自分たちの首しめてる。オーストラリアとかカナダは19〜20時で店閉まるぞ。

世の中的には、ブラック企業とかその経営者が叩かれますよね?でも、じゃあそのブラック企業のお世話にあなたなってないですか?っていうね。ブラック企業がブラックなのは、社会のニーズに応えようとしたからですね。 政治家も一緒。馬鹿な政治家がいる国ってのは国民が馬鹿なのです。   コインの表裏、見えてますか?っていう。   オーストラリアとかカナダとか、平気で店、19〜20時に閉めますよ。東南アジアとかだと、店の店員がくちゃくちゃ何かを食べながら接客しますよ。 日本人は、消費者として、うるさいのです。だから、自分たちが生産側に回っても苦しいわけです。自分が消費者として評論述べている分には立派で、成果物の結果に対してあれこれは言うが、自分が「生産者」にまわったらまず結果どころかやりきることもできず、挙句の果てには「プロセスを評価しろ」とか「頑張った・努力した」とか言い始めるわけです (さらに…)

稼ぐ人、余る人、安い人

能力が高い人 → 稼ぐ人 能力が中くらいの人 → 余る人 能力が低い人 → 安い人 能力が低い人は仕事を選ばないからやっていける。中くらいの人たちがこれから、やばい。中間層没落時代。無駄にプライドが高いし、仕事を選ぶから。自分が見えてないから。自分の実力を正確に把握しきれず、それ以上だと勘違いしている盲目だから。 実力が見合うことしかできませんよ、人は。 そして実力が見合うようになるためにはそれ相応の犠牲を支払う期間や下積みがあるものです。 === @西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男     "make you feel, make you think."   SGT&BD (Saionji General Trading & Business Development) 「人生を変える」にフォーカスしたブランド   &nbs (さらに…)

学校教育で部活が奨励された理由が今ならわかる気がする

スポーツは、社会の縮図として、暗黙のメッセージを伝えていたのかもしれない。 社会ではスポットライトが当たる席は限られている。 同じポジションの人間とは、競争に勝つか、あるいはポジションを変えるしかない。 勝ち組は、モテる。そして勝ち組と付き合う女のステータスも、女社会で上がる。 努力も重要。運も重要。才能も重要。頭も重要。 他のポジションの人間と連携する必要がある。 レギュラーになれない人間は、レギュラーの人間たちの世話、応援、サポートをしながらチャンスを待つ、練習する。 ベンチメンバーにすら入れない人間は、もはやそのスポーツをしているとは言えないレベルの、様々な雑用や作業をする役回りになる。 もし、自分がレギュラーとして活躍できないのであれば、弱小校(ライバルが弱い世界)でレギュラーになるのもアリ。 あえて強豪校(ライバルが強い世界)に行き、自分の底上げや基準値を上げるという選択もある。 (さらに…)

これを越えるガールズグループはしばらく現れないでしょうね。。。

なんだろう、女性のアイドルユニットとかって、結局やたら肌の露出・エロに走りがちじゃない。売り物ない女が走るのは、行き着くのは、やっぱそれ。もちろん、それは悪いことではないけど、不本意な形で「そうせざるを得なくなった」芸能人たちはいっぱいいるだろう。坂口杏里の件を見ていても、やっぱり人間って然るべき位置に配置されるんだな、って。実力不相応の人が何か外部の引き上げとか力借りて無駄に駆け上がってしまうのは、後々悲劇だなって本当に思う。エロって、男に対して強烈な訴求力を持つけど、飽きも早いのよね。日本のAKBとか見てても思う。 日本で、韓流グループの一大ブームが起こったのは、一過性のものだったって認知されているけれど、この人たちは根強いファンがいる。残っている。何より、未だ一線級で活躍している。それは、彼女たちが圧倒的な容姿、コンセプト、実力、ストーリー性を持っていた人たちだからでしょう。 ドキュ (さらに…)

消火型という才能。対象を疑うという才能。分析性という才能。

世の中には、こう、熱く燃え上がるタイプがいると思えば、 そういう人を引いた目で冷静に見る人がいます。 そういう人に懐疑的意見を差し込んだり、批判的な論法で立ち向かったり、水をかけたりするタイプがいます。 燃えているタイプに、「水をぶっかける」消火型のようなタイプ。   こういう人は煙たがられることも多いのですが、実はこれも一種の才能です。 懐疑心・批判心というのは、ある種、分析性の現れでもあります。 そして、日本にはこのタイプが結構多いのです。 もし、自分がそういうタイプだなーと感じ、また、今やっていることだったり仕事でうまくいかないのであれば、もしかすると自分の土俵選びを間違えているかもしれません。   「職業的懐疑心」が求められる仕事につく 世の中には、「職業的懐疑心」といったものが求められる仕事があります。 例えば、警察官、公認会計士。 警察官は、その職業の性質と (さらに…)