人生で1冊、聖書的に信じられる本があってもいい。例えばこれとか。
人生で1冊くらい、聖書的な扱いをする本と出会ってもいい。きっとそれは、暗い道のりを歩んでいく中で、松明のような役割を果たすかもしれない。 書物などを通して、大量の活字をゴックンして来た人間は、どの言葉を信じていいのかで迷うだろう。また、読書家と呼ばれる人たちには、このプライオリティの設定が欠けていると思う。もし、読書家が世界を制するのなら、司書はとっくに成功者になっているはずだけれど。 つまり、目の前に情報がありすぎると、その情報は在って無きに等しいことになる。自分なりにプライオリティをつけて、そして信じる心が無ければ、無意味だ。じゃあ、私たちは何をすれば良い?答えは簡単。信じられるものを見つけていけば良い。 例えば私は、神的なまでにマーケティングという概念を信奉している。 なぜなら、そこには根拠の無い楽観が無いからだ。そして、常に自己検証する気持ちにさせてくれる。ここには嘘が無い。リアル (さらに…)