自分の考えの変化は、神様のランキング更新

私の中で神様と思える人たちが複数いるんですけど、崇拝の気持ちは変わらなくても、その人たちのランキングが入れ替わることは何度もありました。 いろいろ右往左往した挙句、今、やっぱり1番尊敬しているのはロバートキヨサキなのかもしれない、と思います。彼に対する高い評価は変わらないのですが、高い評価の中でも、格付けを色々と変えてきました。 でも、やっぱりロバートキヨサキはすごかった。 歴史上、1番頭の良い自分がそう思ってる。逆にウォーレンバフェットに対する評価はぐっと落ちたかな。 って考えたら、やっぱり自分が1番共感できる対象とか、好きって思える対象を選ぶのが大事ってことに気づく。 あの先生の方が正しいのでは?とか、あの人はすごいらしいみたいな基準で選んだら損するわ。好きになれるか、愛せるかだな。好きじゃない、愛せない人の言論なんて頭に全然入ってこない。 女に生まれ変わったら金目当てで結婚絶対しない (さらに…)

「何が正しいのか」って考えるのはいますぐやめたほうがいい

結婚するのとしないのとではどっちが「正しい」のか、情報やセミナーにお金を使うのと使わないのとではどっちが「正しい」のか、起業するのとしないのとではどっちが「正しい」のか、就活するのとしないのとではどっちが「正しい」のか、宗教は「正しい」のか・・・・みたいな発想はいますぐやめたほうがいい。 なぜなら、正しいという発想自体がもうすでに危ないから。 結局のところ、「絶対的な答えが存在しない領域」は答えは「人それぞれ」という結論に着地する。   そもそも正しい正しくないって何だろうか。その判断の根拠を「法」に求めるのなら、法とは何かを考えてみると良い。法学とか大学時代に専攻してた人はわかると思うけれど、結局のところも法もその時代の価値観を反映したものであり、逆に辿っていけば最終的には民主主義、多数決の原理にたどり着く。つまり、マジョリティの中で信奉されていることや、一般的に共通認識されて (さらに…)