2018年3月

サラリーマンがそんなに嫌な仕事じゃなくなる未来

サラリーマンがそんなに嫌な仕事じゃなくなる未来が来るのかもね。むやみやたら飲み会に参加するのが嫌だという層がマジョリティ化しはじめてる。トップが意思決定や責任を下に移譲しないとフレキシブルにならなくなる。パワハラやセクハラへのモラルも向上してる。 組織は個人に対して、その個人が持つスキルやナレッジを活かせる機会を提供しなければ、忠誠心を得られなくなってきた。個人のニーズが高くなり、食えれば良いとか安定できれば良いと言う労働者は減った。 より良い働き方、より良い自己実現を求めてる。 牛丼屋のバイトやコンビニバイトに人が集まらない。そんな時代。組織は、有望な人材を集めるために、給与を上げるだけでなく、組織内の人間関係、待遇、運用制度を考えるようになる。個人が組織に合わせるのではなく、組織が個人に適応するような形になっていく。 実は、私がこれまでに誘われてきた社畜職はどれも、一般的な社畜概念とは (さらに…)

責任と権限の移譲がトレンドか。中央集権化はあかんな。

中央の計画によって経済を運営し、企業の自由なマネジメントをなくした社会(計画経済)は滅びた。同じくわ責任と意思決定をトップに集中しようとするビジネスも同じ運命を辿る、とドラッカーは言う。 責任も意思決定も移譲、移譲、移譲。自由にやらせること。そして、それは個人ベースで見れば、いろんなことが自由にやれるってこと。 明らかに、今の世の中ってパワーが降りてきてる。好きなことが好きなようにやりやすくなってきてる。 自由にやれる。 === @西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男     "make you feel, make you think."   SGT&BD (Saionji General Trading & Business Development) 「人生を変える」にフォーカスしたブランド       (さらに…)

本質的に、仕事は安定しない

社会、地域コミュニティ、家族は安定のために組織される。安定を求め、変化を阻止し、あるいは減速しようとする。 これに対して事業組織は、不安定である。なぜなら、イノベーションをもたらすべく組織されているからである。 事業組織は外部環境を理解し、その上で自己刷新を続けない限り生き残れない。変革か死か。Change or die。 よって、本質的に仕事は安定しないと思う。 常に走り続ける自転車が安定するような動的安定は存在したとしても、どこかに所属したからといって自分の食い扶持が確保されるような静的安定は今後、ますますありえないだろう。 自分の食い扶持が、所属組織や結婚相手で確保されると考えるのはもはや狂気の沙汰、自殺行為だと思う。今日の安定は力強く漕いだペダル、太ももの筋繊維を傷つけて筋肉痛になった回数、進んだ距離、転んで怪我して立ち上がった数によって作られるんだと思う。 ある意味、仕事に安定は (さらに…)

急速に多元化し、共依存が深まる

政府が担っていた社会的機能がどんどん民間に移譲され、それぞれの機能を専門とする組織が仕事をするようになり、社会は多元化する。多元社会における組織間の共生関係は、お互いの仕事に必要な機能を他の組織に任せ合う絡み合いの強いもの。 あちこちで、組織の共依存関係が強まっている。たとえばyoutube関係者やネット関係者はGoogleと深い関係にある。 個人でもそう。appleという民間企業が作ったデバイスのうえで、多くの人たちは個人情報を扱っている。Microsoftの制作したオフィスソフトの上で仕事をしている。 逆にいえば、今の時代の利便さはそれで成り立っている。 === @西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男     "make you feel, make you think."   SGT&BD (Saionji General Trading (さらに…)

知識社会は競争的

知識は資金よりも容易に移動する。様々な境界を無意味にする。物理的な境界や出自など、様々な境界を無意味化する。また、万人に教育の機会が与えられるがゆえに上方への移動が自由な社会だ。つまり逆転ができる社会である。そして、万人が生産手段である知識を手に入れるが、万人が勝者になれるわけではないがゆえに成功と失敗が並存する社会になる。 これがドラッカーの言うネクストソサエティ。 ネクストソサエティでは、高度な競争が繰り広げられる。人生の逆転が容易になる代わりに、勝者と敗者に分かれる無慈悲な世界。二極化が進む。中間層は消える。みんな仲良しこよしは通用しない。それぞれが独立したプロフェッショナルである。 勝ち組負け組ハッキリ分かれるが、負け組はいつでも逆転でき、勝ち組はいつ落ちてもおかしくない。 ある意味、これまでの安定の概念は通用しない。 多くの人が、一発当てた経験を持っていてもおかしくない時代かもし (さらに…)

私とあなたが手を組む必要がある理由

知識労働者の価値は、別の知識労働者と手を組むことによって発揮される。個々の専門知識だけでは何も生まない。私自身、個々の専門知識だけでは何も生まないという意識からさまざまな知識を広げつつも技能は掘り下げてきたくらいだ。 とはいえ、それでもひとりの人間が持てるナレッジ、それから経験には限界がある。 私とあなたは結合しなければならない。それにより、互いが初めて生産的な存在となれる。 知識社会において、それぞれの知識労働者たちは相互依存的な関係にある。 実は、自分の持っている知識が生産的になるためには他の知識との融合や提携が必要なのだ、ということに気づかなければならない。 教え教わるというよりは、独立したプロフェッショナルであるあなたと私が、目的に向かって手を組む美しい関係である。 === @西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男     "make you feel, m (さらに…)

西園寺がやってきたのは学際研究

学校の勉強はなぜ使えないか?なぜ金にならないと感じるか? 理由は単純だ。分化させすぎだからである。学部、学科、科目、学位など、知識の論理で組織されていたから問題だったのである。 高等教育の全体系が専門別に組織されていた。 しかし、今日においてはようやく、応用分野別に組織されるようになってきている。学際研究が急速に進展し始めてきている。 私は昔から、『何に使えるの?何の得があるの?』ばかり考えてきた。 何に使えるの?という思いから学校の勉強を放棄し、使える先を見つけては必要なことを一心不乱に学んできた。あちこちから使えそうなものを仕入れてMIXさせてきた。自然と、学際研究してきたのである。私の頭の中にある数々のフレームワークやモデルは、これまでの勉強で仕入れてきたものを基に、実践を通じて再編集されてきたものばかりだ。 頭の中に学際研究の結果がある。 私に言わせると、マーケティングは、数学、英 (さらに…)

フレデリックテイラーがもたらした生産性革命と、中流階級の終わり

テイラーが発見した生産性向上の手法、科学的管理法はあらゆる先進国に行き渡った。その結果、肉体労働者たちの生活が抜本的に改善された。彼らは最大の労働人口となり、中流階級になり、雇用を保証され、年金に加入し、長期の有給休暇を享受し、包括的な失業保険に入り、終身雇用の地位を手に入れた。そして、政治的な力を手に入れた。 彼らの急速な興隆をもたらしたものは? 知識である。 そして今、いわばそういったサラリーマン的人間たちが絶滅の危機にある。理由は? 知識である。 元来、マルクス言うところのプロレタリアであった人間たちがもっとも恩恵を受けた生産性革命によって、それ以後のサラリーマン文化は形成された。しかし、その常識も、彼らの興隆をもたらした原因によって殺されかけている。 マネジメントには革命が起こった。 マネジメントは知識に関する知識である。営業はいらない、経理はいらない、総務はいらない、ファイナンス (さらに…)

ポスト資本主義社会

2010年から2020年まで大転換の時期。ポスト資本主義社会がやって来る。それはすごい感じる。人間を一元的に縛り付けることができなくなった。権力や教育、企業の生産品が人を一方向に動機付けできなくなり、パワーが消費者にシフトし、知識が資本となる時代。 知識は元来、効用や行為にかかるものではなかった。効用や行為にかかるものはテクネであり、それを体系として捉えたのがテクノロジーだった。プラトンの時代以降の話である。 しかし、1750年から1900年に至る150年間において、資本主義と技術革新が世界を征服した。この150年間は歴史上、類に見ない進展だった。 産業革命は知識によってもたらされたのである。よって、知識の意味はそこから変わった。知識は一夜にして、行為や実用にかかわるものとなったのである。この瞬間から知識は資源となった。 18世紀半ば以降100年に渡って、知識は道具や工程、製品に適用された (さらに…)

英語の勉強がアプリで出来る時代、ネットで起業出来る時代でも、やらんやつはやらん、矢沢永吉の言葉通りに

今の中高生ってアプリで勉強できるから、前の時代の人間よりめちゃめちゃ有利ジャーンとか思うでしょ。だけどふと思い返す。株式会社の設立が1円でもOKになった歴史を。それ以前を知ってる時代の人たちは、独立起業が相当ちょろくなった今の時代のありがたさを知ってる。ネットはあるわ、バーチャルオフィスはあるわ、経理クラウドはあるわ、書類テンプレはネットに上がってるわ、営業はwebマーケティングできるわ、自動化できるわ、、、、。 同世代の連中でも、ネットの利点を理解しないまま不本意な社畜戦線に突っ込んでいって涙を流す人間たちがいる。ああ、そっか。 矢沢永吉は言った。いつの時代もやらんやつはやらん、と。人間は目に見えてるものを認知してない。目で見えてることと心で捉えてることは違う。心で捉えなければ、目の前にあることも無かったことになる。人間は、当たり前のものはありがたさがわからない。だから、平気でチャンスを (さらに…)