人生の代表的な悩みを数学的に解決する

最初に言っておきますが、私は数学が大嫌いです。 高校時代の成績はほぼオール1(というかほぼ授業出てない、働きまくってた)、実質高卒程度の学力しかなく、その高校レベルの内容すらボロボロで高校の卒業が危うかったレベルです。 高校卒業後に、「経済的自由が欲しい」というなんともワガママな動機から、自分の目的達成に役立ちそうな学問的視点・フレームを得るために独学で乱読し(バカな人間特有の根拠の無い自信と傲慢さに満ちた若者であったのは間違い無いのですが、先人と歴史の結晶の方が自分より頭が良いだろう、という謙虚さはあったみたいです)、一転して勉強漬けの日々に転じました。とはいえ、大学受験とか資格試験に向けた勉強努力はしてませんでしたし、私の知能や勉強量を証明する各種のタイトルは全く持って持ち合わせていません。 (世の中には「Fラン」という言葉があるようですが、そのFランですら私より格上です。というか、い (さらに…)

4次元的ライフスタイル(4Dキャリア)

たまに、「何なのその生き方」って言われるけれど、発想の次元が噛み合ってない気がする。なんとなく今日を生きればいいというのが1次元の発想。そこに、キャリア上の成否、経済的な成否基準を持ち込んでベクトルが生まれるのが2次元の発想。さらに、ワークライフバランスとか、幸福感とか別の方向軸が持ち込まれるのが3次元の発想。 西園寺の生き方はおそらく、4次元的である。4つ目の方向として時間軸を取って、3次元の生き方の動的な変化と膨張のサイクルを盛り込んで前提としている、それ自体を動的な安定体として捉えているとも言えるし(3次元の連続移動軌跡)、それとはまた別の方向軸としての空間軸を取っているかもしれない。たとえば、キャリアという見方で考えれば、そもそも場所や空間に縛られておらず、自分の仕事が自動的に動いているようなサマ、そしてそれとは別空間にいながら暮らしているサマは4次元的なものに近いのではないか。 (さらに…)

論理でできること、できないこと

論理でできること、できないこと 説得 → 可能 理解させる → 不可能 扇動する → 不可能 創造する → 不可能 仮説を立てる → 不可能 発見する → 不可能 答えを見つける → 不可能 仮説を検証する → 可能 創造も発見も仮説立案も、論理の飛躍。そして、そこには主観的な意志が隠れており、起点の部分ではまったくもって、客観的な営みではない。 矛盾という言葉に囚われてはいけない。そもそも、矛盾というのは前提としている基本概念やその枠の中での整合性が取れてないことを意味するものだけど、基本概念や前提が変われば、話は覆っちゃう。 また、違う基本概念や前提を持っている論理体系、説明体系とは、うまくマッチしなくなることも。 仮に、矛盾が解決するときにも、それはこれまでとまったく違った視点、レイヤーでの話になり、これまでは矛盾していたように見えていたことが、つじつまが合うような形でまるくおさまる (さらに…)